『第一章』
第一話 参上! ギルドに現れたベテラン冒険者
ざらついた木の手触りに、くたびれた冒険者はふうっと安堵の息を吐く。
木製のスイングドアを押し開けて、建物の中に入る。
入り口から見て左手は木製のカウンターで、内側には何人かの女性がいる。
まだ陽があるにもかかわらず、右手の酒場にはいつものごとく冒険者がたむろっていた。
くたびれた冒険者もまた、いつものごとくカウンターに向かう。
「おかえりなさい、カケルさん。今回も無事なようですね」
「それだけが俺の取り柄だからな。『生き恥』の二つ名にふさわしく、死ぬぐらいなら逃げ延びるって」
「どんな状況でもカケルさんが生きて帰ってくるおかげで、この
「ははっ、初々しい新人だったプティアちゃんが言うようになったなあ」
「もう! 真面目に言ってるんですからねカケルさん!」
この冒険者ギルドでカケルが冒険者となってから、もう二十年以上が経つ。
カケルがやっと初級冒険者を卒業した頃に入ってきた新人受付嬢は、もうすっかりベテランだ。
結婚して妊娠して一度は受付嬢を辞めて、二人の子供を産んで復帰して、いまや年若い冒険者から恐れられる「受付のヌシ」である。
気安く接するのは昔を知るカケルぐらいで、受付嬢が当時のような若々しいリアクションを見せるのもカケルぐらいである。
「チッ、死に損ないの『生き恥』が、今日ものうのうと帰ってきやがって」
カケルと受付嬢の会話を聞いていたのだろう。
酒で顔を赤くした一人の冒険者がカケルを睨みつけて悪態をつく。
つられるように酒場にいた冒険者たちもカケルに目を向け、喧嘩でもはじまるかとニヤついて囃し立て——
ダンッと、頑丈な陶製のジョッキが割れそうなほどに、木のテーブルに叩きつけられた。
赤ら顔の冒険者も、囃し立てていた冒険者たちも動きが止まる。
男たちの目は、酒場の中央にいた
「黙れ。酒が不味くなる」
不機嫌そうな声音で一言。
それだけで、囃し立てていた冒険者たちは静まった。
腰を浮かしかけていた赤ら顔の冒険者も、気がそがれたように座り直す。
「へっ、『鉄壁の戦乙女』、アイギスさんは喧嘩がお嫌いなようで」
そう口にした冒険者を板金鎧の冒険者がギロリと睨みつけ、男は肩をすくめた。
『鉄壁の戦乙女』アイギスと呼ばれた板金鎧と額冠の女性冒険者が、視線を切ってジョッキを
酒場に喧騒が戻った。
冒険者たちにとってこんなことは日常茶飯事だ。
殴り合いの喧嘩にならなかっただけ穏便に終わった方である。
「はあ。それでカケルさん、採集依頼の納品ですか? 今日はいつもより少ないようですけど……」
ベテラン受付嬢は、ちらりとカケルの装備に目を向ける。
動きやすい革鎧、左の腰には小ぶりのメイス。左前腕には
背中に小弓、たすき掛けした皮のサッシュには遺体の手首を切り落とす際に使ったダガーや投擲用のナイフ、ケガを治すポーション、背中側にある矢筒には矢が入っている。
ヒップバッグに入っているのは保存食、水、点火の魔道具だ。
肩から提げたズタ袋にも同じものが入っているが、戦闘や逃走の際はズタ袋ごと捨てることがある。ヒップバッグに入っている分は非常用だった。
ズタ袋には、罠を作る道具も入っている。ロープ、とらばさみ、先ほど使った狼誘香など、強いわけではないカケルが冒険者として生きていくための道具である。
モンスター相手に卑怯な手を厭わないカケルが使うのは罠だけではない。
腰の横のポーチに入っているのは、対モンスター用の毒だ。時にカケルはナイフや矢に毒を塗ってモンスターを殺していた。
泊まりの依頼には、これに加えて寝具にもなるマントをまとうのがカケルのいつもの格好だった。
過剰とも思える装備だが、だからこそ『不死の樹海』に二十数年も出入りして生き延びてきたのだろう。
『生き恥』の二つ名は伊達ではない。
「ああ、途中でダークウルフに囲まれた四人組を見かけてな。初めて見る顔で、苦戦してるようだった」
「新顔の四人組。遺品回収の報告ですか?」
「だったらいつも通り、そのあと採集してからのんびり来るって。全員生きて戦ってたけど、数が多かったみたいでな。離れた場所で『狼誘香』を使った」
「狼誘香……ああ、アレですか」
カケルの報告を聞いた受付嬢が嫌そうに顔をしかめる。
卑怯な手に、ではない。
狼誘香の原料を思い出したのだ。
ダークウルフなど狼系のモンスターを誘引する香りの元となるのは、同種のオスの睾丸を干したものであった。
少量の水をかけて火で炙ることで、狼系モンスターのメスが惹きつけられて集まってくるのだという。
そして『不死の樹海』に生息する狼系モンスターは、オスを頂点としたハーレムとその子供で群れを形成している。
つまり狼誘香を使うと、群れの大半のメスが移動をはじめ、オスもまた「オスの匂い」の元と争うために移動する。
集めて狩るにせよカケルのように気をそらせるにせよ、狼誘香は有効な道具であった。原料を気にしなければ。
「もう戦ってたから、効くかどうかは五分五分だ。あるいは縄張りを超えて別の群れが来て、ダークウルフ同士が潰し合ってくれりゃ御の字なんだが」
「ハーレムをかけた戦いですね。獲物より優先されるようですから、そうなればその子たちが逃げられる可能性も」
「そういうこった。10頭ちょっとのダークウルフぐらい蹴散らせるほど俺が強けりゃなあ」
「先ほども言いましたが、冒険者ギルドとしては、生きて帰って情報をもたらしてくれるカケルさんはありがたい存在ですよ。さて——」
なにやら書類にメモしていた受付嬢が顔を上げる。
酒場にいた冒険者は視線をそらす者、ベテラン受付嬢に目を向ける者、我関せずとばかりに飲み食いして歓談にふける者など様々だ。
受付嬢がそんな冒険者たちを見まわす——より早く、ガチャリと鎧を鳴らして一人の冒険者が立ち上がった。
「私が行こう」
「アイギスさん」
先ほど『鉄壁の戦乙女』と呼ばれた女性冒険者だ。
飲み干したジョッキをテーブルに置き、板金鎧をガチャガチャ鳴らしてカウンターに近く。
「ですが、新顔の冒険者四人組の救助、もしくは遺品の回収という、冒険者ギルドからの依頼です。街唯一のSランク冒険者であるアイギスさんにふさわしい報酬額には——」
「かまわない。新人の救助や育成も『センパイ冒険者』の仕事だろう?」
「いつもありがとうございます」
Sランク冒険者。
それは、冒険者として最上位にいる存在である。
一般的にはA〜Cランクが上級、DとEランクが中級、Fランクが初級の冒険者だ。
ちなみに二十数年、冒険者を続けてきたカケルはEランクの中級冒険者である。
年月や依頼を達成した回数で上がれるのはそこまでで、たいして強くないカケルはそれより上のランクに上がれなかった。いまではランクアップは諦めている。
Eランク。
それがいまのカケルの実力であり、才能の限界であり、あとは歳を重ねて落ちていくしかない、現実である。
「受注の手続きはあとで構わないか? 急ぎ行ってこよう」
少しでも早い方が、四人の冒険者が助かる可能性が上がる。
Sランク冒険者の『鉄壁の戦乙女』、アイギスはそう思ったのだろう。あるいは助かってほしいという願望か。
ガチャガチャと鎧を鳴らして冒険者ギルドを出ようとしたところで——
「待ってくださいアイギスさん。カケルさん、四人組の冒険者を見かけた場所は」
「18-C-上だ」
「え? あの、カケルさん?」
カウンターに視線を落としたままボソッと呟くカケル。
アイギスもまた振り返ることなく、だが立ち止まってガチャっと軽く礼をして、冒険者ギルドをあとにした。
「っと、すまん、俺は自分用に『不死の樹海』の地図を区分けしてんだ。地図でいうとココだな」
「ああ、冒険者パーティや仲間うちで使う符牒でしたか。そういえばアイギスさんは……いえ、なんでもありません。ところでカケルさん、『不死の樹海』の地図が以前より詳しくなっていますね?」
「そりゃまあ、こんだけ潜ってりゃ詳しくもなるだろ」
「また売っていただけませんか? できればモンスターの生息地や採取場所の情報もあわせて」
「これは俺のメシの種だからな。まあ、また金に困ったら売るかもしれないってことで」
「……お待ちしてます。時にカケルさん、武器や鎧を新調するご予定は」
「いまんところねえなあ。俺は、モンスターの群れがいるってのにためらいなく冒険者を助けに行く『鉄壁の戦乙女』みたいな
自嘲するように言って皮肉げに口元を歪めるカケルを前に、新人受付嬢の頃からずっとカケルを見続けてきたベテラン受付嬢はうつむいた。
慰めの言葉も、否定する言葉もない。
二人とも、未来を夢見るには歳を重ねすぎたのだろう。
ずっと顔を合わせてきた二十数年は、一人の冒険者の才能の底を知るには充分すぎる時間だった。
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