第4話 時と超越

 ブレスレットによるエクスタイムは、世間一般にとっては突飛且つ糾弾されるべき事象だったが、僕にとっては身近と言っても過言ではない魔法だった。

 だが、開発者と言われるアルト・エクスが使役しているのではなく、ブレスレットという文献にも存在しない名前を持つ少女が『エクスタイム』を少々のデメリットを背負うのみで簡単に使役していることに驚きを隠せなかった。

 さらに、彼女のや、奇妙な形の時計が付属する赤色のブレスレットをつけた左腕が特に目を惹いた。

 その時計が差す数字は、常に長短針共に『10』を差しており、針が動くことは全くなかった。

 すぐにでも聞いておきたい事ではあるのだが、今はセレスと共に入浴している。

 とんでもない変態でない限りは、この状況で聞きに行くなど有り得ない。

 今はひとまず、学院に自身の安否を報告しよう。

 居間に一人座っていた自分は、机に乗せている手を耳に持っていき、通信魔法『ノクネント』を心の中で唱えた。

 学院のノクネント番号は『888』だ。とてもわかりやすくて良い。

「はい。シャティラ魔法学院の教務課。担当はサテルです」

 サテル先生は学院の教師の中で最も慕われていると言っても過言ではない今年で70歳になる超ベテラン教師だ。

 実際、サテル先生の学院用ノクネント番号は高い確率で生徒と番号交換されている。

 しかし、そんなサテル先生の声はとても若々しく、ノクネントの対応も慣れきっていないような感じだった。

「学籍番号818G10202、アスラです。先程の火事に巻き込まれずに済んだことをご報告します」

 僕の報告に返事をせず、唸っていたサテル先生に問いかけた。

「なぜ、唸っているんですか?」

 サテル先生は何かの書類をペラペラめくる音を立てながら、言いづらそうにゆっくり話し始めた。

「悪いけど、そんな学籍番号は存在しないし、アスラという名前も聞いたことがないなあ」

「...え?」

 何かの間違いかと思った。

 あるいはサテル先生も僕のことを省き始めたとも思った。

「もう一度調べてみてください。きっと何か間違いが」

「今は火事もそうだし、液状化事件とか色々立て続けに起こって忙しいんです。あなたも知っているでしょう?」

 液状化した、という言葉には聞き覚えがあった。

 いや、聞き覚えどころではない。

 僕の祖父が起こした事件の通称名だった。

「...まさか、その液状化って、アルト・エクスが関連していますか?」

「なんだ。知っているならもうノクネントしないでください」

 それっきりサテル先生の声は聞こえなくなった。学院との通信が切れたということだ。

 僕は恐る恐る、近くにあったカレンダーを見た。

 しかし、カレンダーは『現在』の年を表示していた。

 僕は急に怖くなり、セレスの声が聞きたくなってしまった。僕は違う時の中でひとりぼっちになっていると思い込み、セレスという安心感に居座りたかった。

 勢い良く椅子を倒しながら立ち、居間を出てすぐにある風呂場の更衣室に向かって思い切り走った。

 更衣室の扉にカギはかかっておらず、僕はノックもせずに木製の扉を開けようとドアノブをひねった。

 あたりに少々の湯気が漂い、その先にはセレスがブレスレットについた水っ気を拭き取っていた。

「あっ」

 同時にセレスとブレスレットの声が更衣室に響いた。

 僕の中には理性や欲望すらなく、ただ自らの悲しみや孤独感を消し去りたかった。そんな風に弁明したかった。

「セ、セレスゥ〜...!」

 セレスは近くの台上にあった桶を取った。

「変態!」

「ヴッ!」

 近くには桶が転がっていた。

 僕は頭の痛みとともに意識が途切れた。僕のなんと貧弱なことか。


 × × ×


 どうやらブレスレットが言うには、彼女が空から落下した後に『エクスタイム』を使用した。僕はここでただ転移したと思い込んでいた。

 しかし、我が家は『現在』と変わっていなかった。

 シャティラの森の火事は過去に実際に起きていた事象で、僕たちはその時代にタイムスリップしたらしい。

「ウゥ...私が未熟なせいで、アスラ様の御身だけでなく居所としている家までしまいました...。私、こうなったら川に身を投げて償って...!」

 ブレスレットはまたも違う人格を表面に出した。とは言うが、これも違う人格かどうかはっきりしていない。

 この子は家を丸ごとを持っていくということを未熟と言っているのではなく、絞った標的だけを転移させるコントロールを持ち合わせていなかったということになる。とても大きな力を持っているが故に思い通りにならないのは仕方のないことだ。

 セレスは気を利かせて純白なハンカチでブレスレットの涙を優しく撫でた。

「大丈夫、大丈夫...。きっとご主人がなんとかしてくれるよ...」

「え?」

 セレスのブレスレットへの気遣いは見事なものだが、そう易々と嘘を言ってはならない。

「ご主人。私はビレガー家の中でも最弱と知っているでしょう。私がせいぜいできるのは家事と料理のみです」

 僕だってエクス家の中でも最弱だ。

 時を超える魔法はおろか微弱な攻撃魔法ですらほとんど使えない。あるとちょっとだけ便利だなぁ〜系魔法しか習得していない。

「僕は『エクスタイム』とかそういう系統の強力な魔法は全く使えない。ブレスレットは使えるだろうから聞くが、元の世界には戻れるのか?」

 ブレスレットは居間で話していた時のような雰囲気の顔つきになった。

 目に光はなく、言葉に抑揚がない。まるで機械—この世界ではメイフロと呼ぶ—のように思えた。

「可能だ。しかし、世界ここでの目的をまだ成し遂げていない。帰ることは許されない」

 僕は彼女の言葉に疑問の連続だった。ブレスレットの説明が明らかに足りていない。

 人間で言えば、口止め。

 機械で言えば、そう制御されている。そんなところか。

「目的とは、なんなんだ」

「あなたがこの時代でやり損ねたことを今おこなうのです。そうでないと、あなたの野望は達成されません。それでも帰りますか?」

 僕の野望といえば、没落から這い上がることだ。そんな野望をこのままでは達成できないということだろうか。

 そう思うと僕はいてもたってもいられなくなった。僕の意志とは無関係に拳を握り、腕を伸ばす。

 エクス家の存続と安泰が最優先事項だった僕の中では答えは決まっていた。

「目的が達成するまで、僕は帰らない。セレス、ブレスレット。僕の野望の達成に付き合ってくれるか」

 思えばこんなふうに、セレスや他人に物事の協力を頼むことはほとんど無かった。

 無意識に協力を頼んだ僕のなかに、まるでもう一つの人格があるような、ありもしない感覚がよぎった。

 セレスは身動き一つせず、すぐに口を開いた。

「元より、そのつもりでございます」

 セレスの返事に続くように、ブレスレットもうなずいた。

 過去を変えることにより、現在が変わる。薄い希望ではあるのだが僕の野望が達成するのに不可欠な行動なら、やるしかない。

 いつの間にか緊張していた手足は弛んでいた。拳には先ほどとは違う思いを込めて力強く握っていた。

「ではまず、液状化した貴族共を救いに行きましょう」

「は?」

 僕はブレスレットの言っている意味がよくわからなかった。

 それは液状化事件の被害者である貴族達を救い出すこと、という意味だろうか。

 だが、サテル先生の言う通りならば、祖父の起こした液状化事件は既に発生しており、未然に防ぐことは不可能になった。

 それこそ過去へでも行ったりして救い出すことくらいしかできないはずだ。

 考えを巡らせる僕に誰かが語りかけてきた。

「そうしないと、あなたは救われないかもしれないんです...どうか、お願いします」

 誰かと思ったら、人格の変わったブレスレットだった。やはりこの人格には説明が足りない。感情や人の心に訴えかけるようなことをしたがるところは見た目相応と思えるので、むしろこっちの方が当然と言えば当然だ。

「まあわかった。だが、具体的に何をすればいい?既に液状化事件は発生している筈だ。救い出すなんて言ったって、液体から復元させるなんてこと、僕らには無理だぞ」

「そもそも液状化は人為的に行われたものなのです。方法はわかりませんが」

 僕もセレスも、驚きを隠せずに目を見開いた。

「ブレスレットさん...アナタ、何を根拠に?」

「根拠はありません。ただ、例の貴族たちの場所は特定しています。救出したら彼らから情報を得ましょう」

 淡々と話し続けるブレスレットは一切の疑問符もひょうしていなかった。それでいて事実を知らないと来た。

 信憑性のない、不確定な情報であれ、エクス家の復活の材料となるのなら些細なことだった。

 僕の期待と決意は深まるばかりだ。セレスの無表情から垣間見る不安そうな顔も、今の僕には気づくことすら出来なかった。

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