『第1章 出席番号1番:愛川 光の悩み』

第一話 男子校のとあるクラスに、新しい担任教師が着任する


「あー、始業式とホームルームだけなのに登校するってほんとめんどい」

「どーせクラスは変わらないのになー」

「お前らはまだいいって。俺なんて学校来るのに一時間半かかるんだぞ」


 ざわざわと騒がしい教室。

 学年の初日ともなれば、騒がしいのも当然だろう。

 まして、年度が変わって高二になったにもかかわらず、彼らA組だけはクラス替えがなく、見知ったクラスメイトが揃っているのだから。


 30人全員変わらぬメンツで、しかも男だけ。

 席が近い者同士、みんなが話しているのは男子校ならではの光景か。

 異性を意識することがない男子校では、いわゆるスクールカーストはかなり緩い。

 チャラい感じの男とオタクが話すのも日常だ。

 そのせいで、新学期を迎えた教室はいっそう騒がしいのだが。


 ガラリと、教室の前の扉が開く。

 入ってきたのは、スーツ姿の若い女性だった。


「みんな、ひさしぶりです!」


「おっ、田中ちゃん先生だ!」

「せんせー、今年もかわいいです!」

「でもスカートが長すぎると思います!」

「新学期早々セクハラかよ! 田中ちゃん先生の魅力は圧倒的な胸部装甲だろ!」


 男子生徒30人、狼の群れに入ってきたかよわい仔羊、もとい女性教師。

 思春期の男たちの野次をスルーして平然と教壇に向かう。……耳が赤くなっているあたり、スルーしきれてないようだ。

 教師となって三年目、まだ若い女性教師に、きっと彼らは親近感を抱いているのだろう。

 決して舐められているわけではない。決して。


「はーい、みんな静かにしてください!」


「ええー? 田中ちゃん先生、そこ『静かになるまで何秒かかりました!』ってやるとこじゃないの?」

「いやそれやったってみんな話し続けるだろ。静かになるビジョンが見えない」

「たしかに!ってかお前が言うなし!」


 田中ちゃん先生と呼ばれた女性教師が教壇の前に立っても、生徒たちは騒がしい。

 いつものことである。きっと親近感のせいである。

 田中ちゃん先生もいつものように困った顔を見せて、いつものごとく騒がしいまま話をはじめた。


「えっと、今日から先生は、担任から副担任になりました!」


「え、田中ちゃん先生、降格?」

「これひょっとして俺らのせい? お給料下がっちゃった? 大丈夫?」

「俺ら全員、ちゃんと成績はよかったのに! マジかよ!」

「ちっ、がちげーじゃん! クラスも担任も変わらないって言ってたのに!」


「ほらみんな、静かに! 新しい担任の先生を紹介しますから! 先生、どうぞ!」


 ぶーぶーうるさい男子校生たちを無視して話を進める田中ちゃん先生。

 一年間彼らの担任を務めて、自由な彼らを制御することを諦めたらしい。

 半年前に、彼らがからは、よけいに。


 田中ちゃん先生が教壇の前からズレて、教室の扉がガラリと開く。

 30人の男たちと女性の目が、開いた扉に向けられる。


 入ってきたのは一人の男だった。

 髪は短く、口元には穏やかな微笑みを浮かべている。

 時代遅れのスーツに身を包んだ男は30代半ばだろうか。

 まるで、スーツはゆったりしている。


 そういえばこの男が教室に入ってから、生徒たちは静かになっていた。

 穏やかな表情なのに、からかってはいけない何かでも感じ取ったのだろうか。

 男は田中ちゃん先生の前を通り過ぎて、教壇さえ通り過ぎて、顔を教室の扉に向ける。

 後続を待っているのだろう。


 また一人、男が入ってきた。


 そして。


「ウッソだろ、おい……」

「そんな、まさか……」

「おいおいおいおい、ここ日本だろ!?」

「まさか気付かない間にまた俺たち!?」


 生徒が驚き、爆発するように騒ぎだす。


「おおおおお、おっさんキターーー!!」

「おっさん! どういうことだって! 説明はよ!」

「なんでここにいるの!? のおっさん!」


 男は無言で教壇の前に立って生徒たちを見つめる。

 30人の男子校生が騒ぐ中、男は人差し指を掲げる。

 男は中空に何かを描くように、その指を走らせた。


 途端、生徒たちが静まり返る。

 いや。

 ぱくぱくと口だけが動いている。

 まるで、意図せず声が出せなくなったかのように。


「はい。みなさんが静かになるまで5秒かかりました。あと私はおっさんではない」


「あの、ラスタ先生、それ……ですよね?」


「ええ、そうです田中ちゃん先生」


「ちゃんはつけなくていいって言ったじゃないですか! じゃなくてですね! 魔法で静かにするのはちょっと違うと思うんです、その、みんなしゃべってるみたいですし」


「そういうものですか。では魔法は止めましょう」


 ラスタと呼ばれた男が、さっと指を宙に走らせる。

 途端、教室にざわめきが戻ってきた。


「おっさんなんだいまの!?」

「そのネタおっさんがやるのかよ! どこで知ったし!」

「やべえ楽しい! もう一回、もう一回!」

「音だけが出ない……空気を振動させない? 逆位相で相殺している?」

「うっせー! 賢者タイム発動させんな!」

「なんでラスタさんがここに……」

「あれ実はここ異世界? 俺たちは学校ごと召喚された、みたいな?」


 大騒ぎである。

 むしろさっきより騒がしい。


「静かにしてほしい。いまから説明しよう」


 さっと指を掲げたラスタの動きに、ざわめきはやや静まる。

 また魔法が使われるとでも思ったのか、何人か「あーーー」と声を出していたが。子供か。


「この世界の時間軸で半年前、私は君たちを異世界に召喚した。そして、この世界では一日後に送還した」


「中身は一年経ってたけどな!」

「ほんと、あれは信じてもらうの大変だった……」

「俺、17才だけど16才なんだ」

「年齢詐称かよ! おっと俺もか!」


「君たちを送り還してからすぐ、私は〈界渡り〉の魔法を使ってあの世界を離れた。そして、君たちから遅れること一週間後のこの世界に到着したのだ」


「……え? おっさん、ストーカー?」

「男が好きな方! もしくはどっちもイケる方はいませんか!」

「待て待て待て、おっさんひょっとして追っ手? やっぱり国宝はマズかった?」

「『すぐ』なのに一週間後? 時間軸がおかしい理由は」


「〈界渡り〉の魔法は不完全だ。ゆえに、狙って君たちの世界に来たわけではない。まあ国宝もその他もマズかったのは確かで、だから私は逃げてきたのだが」


 小さく首を振るラスタ。

 それを見た生徒たちは、「あ、やっぱり」とでも言いたげな顔をしている。


「ともあれ、私がこの世界に来たのは半年と少し前ということになる。その場にいた特務課に保護され、調査と研究に協力してきたのだが……」


「あれ? んじゃヒカルは知ってたのかも?」

「ああー、アイツ意外に口が堅いからなあ」

「というかヒカルは?」

「どーせまた護衛って名目でデートでしょ」


「君たちが、自由すぎて始末に負えないと聞いてな。私に白羽の矢が立ったのだ」


 じっと生徒を見つめるラスタ。

 生徒たちは、「あ、やべ」とバツの悪そうな顔をしている。


「君たちに力が宿ったのは、私が異世界に召喚したせいだ。ゆえに、私も引き受けた。今日から私が、君たちの担任だ」


「マジか……」

「え、でもおっさんなに教えるの? 頭いいんだろうけど、この世界じゃムリじゃね?」

「そりゃアレだ、外国人っぽいし英語だろ。ってあれ? おっさん日本語でしゃべってる? 翻訳魔法は?」


「必要ない。この半年、調査と研究のかたわらにマスターした」


「え、ええー。マジかよおっさん優秀すぎだろ」

「だてにハゲてねえな」

「さすがにムリがある。それにラスタさんは俺たちが異世界に召喚されたとき、界を渡ると力が宿るって……」


「そう、君たちと同じように私も強くなった。知能も上がっているし、身体能力も魔法もまた。ゆえに……以前のように好き勝手はさせん! あと私は23才でおっさんでもないしハゲてもない!」


 拳を握って宣言するラスタ。

 23才であることに田中ちゃん先生は目を丸くしていた。哀れラスタ。


「君たちは言ったな、『自由には責任があるんだ』と。私はそれに付け加えよう。力にもまた責任があるのだ! 君たちにその力を宿らせた原因の一人として、私が力の制御を教えよう!」


 溜まっていたうっぷんをぶちまけるかのように吠えるラスタ。

 きっと彼の脳内では、異世界での出来事が思い浮かんでいるのだろう。

 自由な男子校生に振りまわされて、謝り倒した日々のことが。


「つまり私が担当する授業は……『魔法』だ!」


 ラスタの勢いに飲まれたのか、パチパチと拍手する生徒たち。

 男子校生とは、基本的にノリで生きる生き物である。特に男子校では。

 それに。


「マジかよ高校の授業で『魔法』とか!」

「異世界召喚の次は異能モノか……素晴らしい」

「目が輝いてるぞ職業クラス〈ラノベ作家〉!」

「ああ、知りたかったことが聞けるのか……」

「時を止める魔法、いや催眠とか催淫とか触手を生やす魔法」

「願望漏れてるぞ〈性騎士〉!」


 『魔法』の授業。

 一部、いや多くの生徒にとって、大歓迎であったようだ。


「ということで、君たちの担任と、『魔法』の授業を担当するラスタ・アーヴェリークだ。今後ともよろしく」


 ようやく、自己紹介を終えて。

 この世界における『異世界人』。

 ラスタ・アーヴェリークの、教師としての初日が始まるのだった。


 願わくば、自由で業の深い彼らと、二度と会わずに済むことを。


 ラスタの願いは届かなかったらしい。

 約束された苦労性である。



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