エッセイ集
空飛ぶゴリラすん
「死んだ兄に学んだこと」
私の兄は16年前に交通事故で植物状態になり、今年の4月に亡くなりました。生前の兄は「立派な人」と呼べるような人ではなく、実家にひきこもりのような状態で仕事もせず、ゲームばかりしていました。それでも兄は「そんな自分ではいけない」と思っていて就職活動をし、内定をもらい、仕事を始めました。その矢先に起きた事故でした。家族の全員が悲しみました。16年間度々、家族みんなで病院に植物状態の兄に面会に行きました。そして16年間頑張って生きた兄は息を引き取りました。
兄が亡くなり葬儀が執り行われました。親戚一同が集まりました。葬儀の合間にはみんなで世間話などをし、和やかな時間が流れました。この時に思いました。
「これは兄が作ってくれた時間」
であること。兄がみんなを集めてくれたこと。兄は最後に素敵な時間を作ってくれたのです。
私は兄の死から学んだことがあります。兄の葬儀の時に、親戚一同、家族全員が、兄のことを「想って」いました。兄は最後に色んな人から「想われていた」のです。私はそれを感じ
「人はたとえ立派ではなくても、最後に人に想われていたら幸せな人生だったといえる」
と思いました。この考え方は、私の「生きること」への解釈の一つとなっています。兄の肉体はもうこの世にはありませんが、兄が私に残してくれたものは、この胸の中にあり、兄は私の心の中で生き続けています。
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