4-2 思い出と真実(後編)

 いつか兄上が言っていた。


――俺は、臆病者だな


 昔の僕はその意味がよく分からなかったけど……今なら少し、分かる気がする。



 ◇■◇



 人ひとりが入るくらいの卵型の機械――揺り籠が、蒼い光を放ち始めた。

 光はやがて、揺り籠上部に密集している透明な管の束へと移り、そして管の束が埋め込まれた壁の向こうへと送られていく――


「っ、あああああああああ!!!」


 突如、揺り籠の中からくぐもった悲鳴が響いてきた。


「ニアーーーー!」


 レイズの叫びは届かなかった。揺り籠の中でニルヴェアはしばらくもだえ苦しんで、それからがくりと首を落とした。


「ニア。おい、嘘だろ」


 一方、ヴァルフレアはレイズを一瞥だけすると。


「エグニダ、あとは任せる」


 それだけ言い残して動き始めた。彼は懐からひとつの鍵を取り出すと、最奥の壁にひとつだけ開いている小さな穴へと突き刺した。するとがこんっと音が鳴り、壁の中に隠されていた扉が開いた。扉の向こう、先の見えない真っ暗な通路へと、ヴァルフレアはすぐに立ち去っていく。

 そして、それを見送る騎士ひとり。エグニダは主が扉の向こうへと去っていったのを確認してから、再びレイズの方へと振り返る。


「さて、王の用事は済んだ。邪魔者もいない……あの夜の、続きといこうか」

「そこを、どけっ……!」


 レイズの目にエグニダは映っていなかった。レイズはエグニダの背にある揺り籠。そこに囚われている相棒だけを見据えて思考を続ける。


(剣帝はなんて言ってた? 力を奪い、殺す? 早く助けなきゃ。いざとなりゃ……!)

「おやおや、嫌われたものだな。俺は君を嫌うどころか興味津々だというのに」


 エグニダは冗談のように肩を竦めて、それから軽々しく言う。


「改めて言おう、レイズ君――我々の同士にならないか?」


 それはかつて、ニルヴェアと出会った蒼月の夜にも行われた誘い。しかしレイズの返答もまた、あの夜と同じであった。


「くたばれ。神威の仲間になるなんて死んでもごめんだ!」

「おっと、ひとつ勘違いしないで欲しいのだが……この場合の同士というのは神威のことではない。むしろ逆だ」

「は……?」

「ここだけの話なのだが、俺は神威を裏切っているのだよ。今この瞬間も、ね」


 レイズには、エグニダが語る言葉の意味が分からなかった。


「なに言ってんだ。ヴァルフレアはお前と……いや、神威と手を組んで」

「二重スパイ、というやつだよ。俺は神威の立場を利用して、神威側の監視であるフリをして、実のところは我が王に神威の情報を横流ししているのさ!」

「なに……?」

「そもそも俺にとって神威とは、俺が理想とする王の下に就くまでの仮宿に過ぎないのさ。そして俺は今その理想を叶えている……」

「意味分かんねぇし、てめーの理想なんて知ったことか」

「おっと、話がそれてしまったかな? すまないな。要するに、だ……レイズ君。俺は君に、神威を潰す手伝いをして欲しいのだよ」

「なっ……!?」


 レイズの表情が驚愕に染まり、エグニダが歯を剥いて笑った。


「レイズ……いや実験体三十二号。君の素性をこちら側は、ともすれば君自身よりも把握しているわけだが……なぁ、憎いだろう? 君の体を弄んだ神威が。抑えたいだろう? いつ体を燃やすとも知れない炎を……ならば、俺と共に王へと下れ」

「…………」

「王は、そう。領主ではなく王だ。彼は人造偽人の力を使いこのグラド大陸を統べ、最終的には神威すら大陸から駆逐するおつもりだ。つまりは王に跪くことこそが、神威に復讐する一番の近道というわけだ。それに……」


 エグニダは改めて、見せつけるように掲げた――他ならぬレイズが旅の目的としている『祈石いのりいし』を。


「これも君に渡そう。これがあれば君の炎を安定させるも高めるも自由自在だ。王は君に宿る可能性を高く買っている。その力があれば成れるんだ! ただのナガレじゃない、王の側近に! 世界の頂点の一握りに!」

「俺はナガレだっ!!」

「む……?」


 エグニダとは大穴を挟んで向かい側。レイズがゆっくりと立ち上がる。度重なる苦痛がその肉体を痙攣させ、滝のような汗を顔から滴らせ。それでも拳を固く握りしめて、眼光を鋭く研ぎ澄まして。


「そこをどけって、言っただろ……!」

「ふっ。もしやこの状況で、俺から祈石を奪おうとでも画策しているのか? ますます見上げた根性ではある、が……」


 エグニダは祈石へとさらに力を込めた。持ち主の意思と響き合い、白光が一際強くなる。響き合う。小さな体に閉じ込められた膨大な力と響き合う。


「あ、が、ぐぅ……!」


 レイズの脚は一気にがくがくと震え、彼はすぐに膝をついてしまった。


「人を超越してこその遺産だ。子供の体ひとつで抑え込めるわけないだろう?」

「だったらっ、試してみるかっ。その遺産のフルパワーってやつを……!」


 レイズはむりやり立ち上がった。その体内では”炎”が暴れ狂っている。今にも皮膚を突き破って噴き出すのではないか、そう錯覚するような膨大な熱量を全力で抑えこんで、右手ひとつへとかき集める。


(たとえ、暴走しようとも、ニアだけは……!)


 揺り籠の中で眠る少女へと意識を向け、そして。


「それで君は、また全てを炭に変えるわけだ」

「っ!」


 精神が乱れる。手の内にこもる炎が荒れ狂い、がくがくと五指を暴れさせる。


「かつての研究所のように……いや、今度は大切な仲間たちをも巻き込んで、かな?」

「俺は……あのときとは……!」


 暴れる五指をむりやり硬く握りしめた。血管が浮かび上がるほど強く握られた拳へと、エグニダが視線を向ける。


「まぁ好きにするといい。とはいえ……そこまで乱された遺産の力を1度でも引き出せば、もう後戻りはできないだろうがな」

「うるせぇ……!」


 レイズは奥歯を噛む。噛み締める。ぎりぎりと。それでも彼は今すぐに飛び込むことができない。炎を解放することができない。

 その脳裏には蘇っている。忌まわしき炭と炎の情景が。自分を見つめる真っ黒な骸が――蒼い瞳が焼き尽くされて、奈落のような空洞へ。


(ニアッ……!)


 無意識のうちに視線が動く。揺り籠の中に眠っているはずの少女へと。


「!」


 瞬間、目が合った……うっすら開いた、蒼色と。



 ◇■◇



 どうやら僕に、ブレイゼルの血は流れていなかったらしい。

 どうやら僕は本当は、男じゃなくて女だったらしい。それどころか、人間ですらなかったらしい。

 どうやら僕がずっと信じていた兄上は、僕を殺そうとしているらしい。あの人にとって僕は弟じゃなくて、ただの兵器だったらしい。

 だったら僕は一体、なんなのだろう。そんなことを考えて……でも、答えなんてもうずっと前から知っていたんだ。


 ――譲れない物があるならなにがなんでもまかり通す。それがナガレの流儀ってもんだ


 ……なぁレイズ、お前はまた呆れるんだろうな。でもさ、今回ばかりは僕だって我ながら呆れているんだ。


 ――お前にはちゃんと、帰る場所があるんだろ?


 だってもしも僕が何者でもないのだとしたら、帰る場所なんて最初からなかったのだとしたら……


 ――お前が僕をここまで連れてきてくれたように、僕だってお前の旅に最後まで付き合ってやる!


 またお前と一緒に旅ができる、なんて思ってしまうんだ。


 ――お前はお前の剣を信じろ。いつだって真実はそこにある


 そうだ、なにも変わらない。

 兵士のみんなに屋台のお土産を持っていった思い出も。アイーナが僕を庇って死んでしまった事実も。みんなのために、そして僕自身のために事件の真相を明かしたくて旅に出たことだって。

 そうだ。やるべきことも、やりたいことも、なにひとつ変わらない。兄上だって……たぶんきっと変わっていない。

 なぜあの人が僕を殺し、遺産の力を悪用する気なのか。そこまでは分からないけど……でも1度決めたら父上であろうと弟であろうと手にかける。あの人はきっとそういう人で、そうやってなにがなんでも貫き通す。そんなところに僕は憧れているんだ。

 ほら、やっぱりなにも変わらない。……っていうと、お前はやっぱり呆れるのかなぁ。


 ――僕の隣で、一緒に戦ってくれ。僕が僕の決断を貫き通すために


 なにも変わらないのなら、諦める理由なんてどこにもない。だからまだ……こんなところで終われない……!



 ◇■◇



 痛みと熱に擦れる視界。その中で、たったひとつの蒼だけは、確かにはっきり見えている。


「ほんっとに諦めが悪いんだもんな、お前はさ」


 レイズの心臓は脈を刻まない。


「そうだよな……偉そうに導いて、修行までつけちまって」


 脈の代わりにじくじくと、灼熱が全身を駆け巡っている。


「お前を焚き付けたのは俺なのに、その俺がこんなとこでへばるなんて――」


 むりやり抑え込んでいた炎に通り道を作る。全身から右手へ。右手から外界へ。荒れ狂う熱の全てをただ一点に。


「かっこわりぃよな!」


 紅蓮を、迸らせる。


「――なにっ!」


 黒騎士の眼前で、紅蓮の光が爆発した。

 爆心地は大穴を挟んだ対岸の一点。急速に膨れ上がった焔が暴れ出し、渦を巻く。その中心にはちっぽけな少年だけが立っている。


「黒騎士。これが三度目の正直ってやつだ……」

「まさかっ、本当に暴走を……!」


 掲げられた右手には光が迸っている。それは人を超越せし遺産の力を凝縮した、紅蓮の光。レイズが右手を突き出し吠える!


「そこをっ……どけぇぇぇぇぇ!!!」


 光が瞬く間に燃焼、爆発。急速に膨れ上がり、うねり、竜が如き炎と化して大穴を越えて迸る!


「ちぃっ、さすがにこれは……!」


 エグニダは眼前の光景に驚愕しつつも判断を迷わなかった。彼は急ぎその場から飛び退いた。が、炎の竜は構わず直進。揺り籠の頭上を全力で喰らう――壁面と激突したその瞬間、竜は再び光に還り、光は爆発と化した。

 ほんの一瞬なにもかもが止んで……ごうっ! 続く衝撃と熱風が、退避して距離を取ったはずのエグニダの体をも襲った。


「ぐおぉぉぉぉ!?」


 エグニダは脚で地面を砕いて踏み込み、狂える熱風の中を耐え忍ぶ。やがて風が収まった直後、エグニダはすぐに揺り籠へと目を向けて……唖然とした。


「なんだ、これは……!?」


 揺り籠の頭上の壁。その一部がぽっかりと消滅していた。砕く、どころの話ではない。まるで最初からそうであったかのように、先の爆発に巻き込まれた一切合切がそこから消え失せている。壁を構成していた岩も、揺り籠から壁に伸びていた管の束も。そして揺り籠上部のごく一部……丁度、蓋と本体の繋ぎ目の部分も。

 ゆえに揺り籠の蓋はいとも簡単に外れた。がこんと蓋が落ちて、揺り籠内部に溜まっていた液体が流れ落ちた。中に閉じ込められていた少女と一緒に。


「遺産をこうも容易く破壊するとは……っ!?」


 エグニダは背後に”熱”を感じた。すぐに遺産から視線を外して背後へと振り返った。すると眼前にはすでに迫ってきていた。大穴を飛び越え、右腕から炎を振るうレイズの姿が――炎刃一閃! 巨大な紅が黒鎧を一気に呑み込む。


「ちぃ……!」


 エグニダは炎をその身に浴びながらも、しかしすぐさま退避。わずかに髪を焦がしながらも炎から逃れて面を上げれば、その先には倒れ伏した少女とそれを護るように拡がっている炎の渦。そして……。


「……ふん。揺り籠が壊された以上はここに留まる意味もない、か」


 エグニダはそう呟くと祈石を持ったまま、炎の渦に背を向けて歩きだした。先ほどヴァルフレアも入っていった扉へと向けて。


「それよりも”戦艦”が心配だ。理論上は7、8割ほどのチャージでも動くはずだが……」


 呟いているうちに扉の前へとたどり着いた。エグニダは最後にもう1度だけ、炎の渦へと振り返り。


「……まったく、惜しい人材だったが仕方ない。全てが燃え尽きたあとでもし遺産が自壊していなければ、それだけでも回収しに来るとしよう」


 そしてエグニダもまた、扉の向こうへと去っていくのであった。



 ◇■◇



「ん、んんっ……」


 視界がゆっくりと開けていく。

 最初に感じたのは体内の倦怠感。まるで全身の体力が奪われたような感覚。

 次に感じたのは体外の熱だった。


(まるで暖炉か焚き火のすぐそばにいるような……って、火?)


 ニルヴェアはなにかを閃き、すぐにがばりと体を起こした。その直後、すぐそばから少年の声が聞こえてくる。


「なんだよ、全然元気じゃねぇか。なんか知んねーけど斬られた傷口も塞がってるみてーだしな」


 それはすっかり耳に馴染んだ声だった。何度も聞いた軽口だった。


(そうか、レイズが助けてくれたのか)


 まだ2人揃って生きている。その事実にニルヴェアは表情を明るくして、「レイズ!」と振り返って。


「――なんだよ、それ」


 蒼の瞳が、驚愕に震えた。その瞳には今もなお映っている。レイズの右手から、右腕から、そして右肩から。


「ちょっと、本気出し過ぎちまってな……」


 紅い炎がとめどなく噴き出している、そんな現実が。


「お前、まさか……」


 レイズの右手から肩にかけて、すでにその部分の衣服は燃え尽きていた。それどころか炎はレイズの皮膚を少しずつだが焦がし、あるいは剥がし、その体を傷つけ始めている。

 ニルヴェアは目の前の現象を初めて見た。だけどそれがなんであるかは、もう理解していた。


「暴走しているのか……まさか、僕を助けるために!?」

「気にすんな、どのみちこうしなきゃ誰も助からなかったんだ……」


 炎に己が身を焦がされゆく中で、それでもレイズはほほ笑んでいた。

 その表情をニルヴェアは知っている。危機から救ってもらったとき、あるいは一緒に食事しているとき、あるいは修行を見てもらっているとき……彼は不意にそういう顔をするのだ。


(何度も見た優しいほほ笑み。なんで今、そんな顔を)


 そして、レイズは告げる。


「ニア、今すぐここから逃げろ」

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