第31話 泡沫の歌姫


 春と夏の間の風が廊下から部屋に入ってくる。


「……そう。これから本番なの。楽しみだわ」


 楽屋から、誰かと話す女の声が聞こえる。


「そっちはどう? ……ああ、いいの。……アマンダ、……ちゃんと会える日が来るわ。今は……体のことに集中して」


 女は溜め息混じりに笑い声を出す。


「アタシは大丈夫。……大丈夫だから。……謝らないで」


 女は頷いた。


「大丈夫よ。アマンダ。会えた時に、また話しましょう」


 女は話し相手の言葉を聞いて、返事を返す。


「アタシも愛してるわ。姉さん。……それじゃ……」


 女が受話器を置き、しばらく受話器を見つめて――深呼吸をした。

 久しぶりのコンサートに溜め息ばかりが出る。

 鏡を見つめる。

 自分が映っている。

 化粧のチェックをした。

 メイク係の化粧は完璧だ。


「……」


 前回は、隣にスケジュールチェックばかりしているマネージャーがいた。自分よりも精神統一しているマネージャーを見ては、ステージに立つのはアタシなのよ。と笑っていた。

 時間になれば、いつも彼女にステージまで背中を押されて、振り返れば、舞台の端から親指を上げてウインクして、自分を見届けてくれていた。


 アマンダ・ウォーター・フィッシュ。

 たった一人の、血の繋がらない姉。


「……」


 自分は一人ぼっちになってしまった。

 しかし、スターは孤独なものだ。

 彼女は一人で立ち上がる。

 丁度ドアがノックされ、開かれる。


「イザベラ、時間だ」

「はいはい」


 婚約者に言われ、イザベラは鏡の自分を見てから、呟いた。


「行ってくるわ。姉さん」


 彼女は一人で廊下に出た。

 現場のスタッフが彼女を見つめる。

 彼女は舞台に向かって歩いていく。

 たった一人で多くの目に見られる。

 それがスター。


 みんなが彼女の歌を聴きに来ている。


 真っ暗なステージに彼女は歩き出した。ヒールの音が響く。人々の息遣いが聞こえる。彼女がマイクの前に立った瞬間、ライトが当たった。


 目を閉じた。


 彼女は多くのものを失った。

 親友。好きな人。支えてくれていた人々。姉。

 だったら全員に届けるまで。


 この歌声を、永遠ではない、泡沫の間だけでも。



 ――イザベラが歌い出した。


 それはまるで神に与えられた歌声。

 一声聴いただけで人々が呼吸するのも忘れてしまうような迫力のある歌。音。圧。力。メロディはない。ステージには、イザベラのアカペラが響くだけ。たったそれだけなのに、歌い終わった直後、その場にいた全員が涙目で立ち上がり、彼女に拍手を送った。


「ブラボー!」


 拍手喝采が嵐のようにコンサートホールを包みこむ。


「イザベラ!」

「素敵よ!」

「最高だぜ!」

「生きてて良かった!」

「イザベラ今日も綺麗よー!」

「イザベラああああ! ウィンクしてー!!」


 みんなのスターはにやりと笑った。


「イザベラー!」

「歌ってー!」


 イザベラがコンサート会場を眺める。人が多すぎて、誰が誰だかわからない。けれど、今日のコンサートは大事なの。なんて言ったって、自分が呼んだゲストがいるんだから。それも、貴族に王族。


「みんな、元気にしてた?」


 イザベラがマイクを使って会場内の人々に声をかける。


「今日のコンサートはすごいわよ。なんて言ったって、アタシの友達を呼んでるの。誰だかわかる? これはすごい偶然なんだけどね、ほら、なんて言ったかしら。あの豪華客船。アタシ、性格が無邪気過ぎて結婚延期になったでしょう?」


 人々がドッと笑った。


「結婚式会場に向かうために乗った船、改名される前はマーメイド号って呼ばれてたわね。そこでね、アタシ出会ったの。キッド殿下の婚約者様に」


 キッドファンの女が殺意を込めて絶叫した。


「あははは! そう怒らないであげて。彼女とは良いお友達になって、今日はゲスト席に座ってもらってるの」


 イザベラがゲスト席に手を振った。


「はい、テリー! 上からの見晴らしはどう!?」


 ――あたしは涼しい顔で優雅に手を振ったが、思う。お願い。やめて。煽らないで。またテリーちゃんアンチファンが増えるじゃない。お願い。やめて。パーティーの紹介状かと思って開けてみたらカミソリだったのを見て、サリアの胸に泣きついてるのよ。


「王族ご一行様もいらっしゃるなんて、とても光栄だわ。どうもありがとうございます」


 ゴーテル様とスノウ様が微笑んだ。


「でもね、これだけは覚えておいて。アタシのコンサートに身分は関係ないの。貴族様には悪いけど、この会場に入ったら全員同じ身分で同じ立場。肌の色も過去も関係なし。全員同じ人間としていてもらうわ」


 キッドがクスッと笑った。リオンが肩にぴぃちゃんを乗せ、犬のコリーを撫でた。


「この会場では人は平等になり、差別はない。夢の楽園よ」


 アリスがわくわくした目をして、ニクスが胸に手を当てた。


「みんな、今日も一緒に楽しんでくれる?」


 盛り上がる人々の歓声が耳の奥まで入って貫通してしまう気がして、リトルルビィは仕方なく耳栓をした。ソフィアがその隣で気にせず笑顔で拍手をする。


「聴いてちょうだい。マーメイド・プリンセス」


 イザベラの背後に並ぶオーケストラが譜を弾いていく。イザベラが曲に合わせて歌を歌い始める。その素晴らしい歌声に、メニーが耳と目を奪われた。あたしは腕を組んでイザベラを見下ろす。


 ――人魚の肉を食べていたら、今頃麻薬に走っていたであろうイザベラ。


(言っておくけど、あたしは赦したわけじゃないわよ)


 一度目の世界で、イザベラはあたし達に逆恨みし、散々色んな事をやってくれた。その傷が塞がり、『仕方なかったのよね。イザベラにだって事情はあったんだもの。赦してあげるわ。きゅっぴ☆』などと考えて、笑顔で仲良しこよしな展開にもっていこうだなんて、心の小さなあたしには永遠に出来ないだろう。


 やられた側はいつまでも覚えてる。やられた事を忘れることは出来ない。


(だから、あたしはお前を同情し続けるわ)


 様々なものを失ったイザベラ。それでも人に笑顔を振りまくスター。


(せいぜい、泡沫のような限られた時間の中で、良き人生を送るのね)


 ステージの端からマーロンがイザベラを見つめる。歌う彼女を見て、思わず笑みが零れた。


「どうもありがとう!」


 いつまでも止まらない拍手をあたしは鼻で笑い、その歌声だけは褒めてやろうと思って、――あたしも心の底から、イザベラに拍手を送った。






(*'ω'*)











 ベックス家の屋敷のドアがノックされた。


「郵便です!」

「ご苦労様です」


 サリアが受け取り、名前を見て、ギルエドの元へと向かった。


「ギルエド様、お手紙が」

「誰からだ」


 サリアが無言で手紙を差し出した。ギルエドがきょとんとして――差出人の名前を見て――その意味が分かり――封を切った。


 手紙はこう書かれていた。



 ベックス家の皆様


 吹く風も次第に夏めいて参りましたが、いかがお過ごしでしょうか。

 こうやって手紙をお送りしたのは、他でもありません。九月にアトリの村で百年に一度行われる星祭りが開催される事をお伝えするためです。

 その日は、女神アメリアヌ様が悪しき西の魔女を滅ぼし、支配下に置かれていたアトリの人々が救われたとされる特別な日なのです。

 その日を境に百年に一度、女神アメリアヌ様が平和を祈って、アトリの夜空に星を見せに来ると、言い伝えがございます。

 宜しければ、使用人の皆様もご一緒に、アトリへいらしてください。

 兄も、成長したお嬢様方に会いたがっている事でしょう。

 お待ちしております。


 ピーター・マルカーン





 八章:泡沫のセイレーン(後編) END

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