第6話 ふたりは妖精
「君、最近文学館へ来ないんだね。」
ユースタスは、いつのまにかマリノーのすぐそばに、滑るように近づいていた。
「もう勉強しに来ないの?」
「ユースタス…」
「今度一緒に本を見ようよ。」
マリノーは無言で首を振った。聖書を抱きしめる細い指先が赤くなる。
「まだあの本のことが怖いのかい。」
マリノーの返事を待たず、ユースタスは歩み去った。彼の言葉は、さざめきにたち消えながら、マリノーの耳に残された。
−残念だな。君なら語り合えると思ったんだけど。
その日もまた、寄宿舎へひとり戻ったマリノーは、自室のドアに手を伸ばすのを躊躇すると、踵を返して足早に来た道を戻った。生徒たちの、校庭で遊ぶ活発な声をあとに、マリノーが向かったのは文学館だった。
薄暗い書架をみる。
いない。
窓辺をみる。
いない。
奥の席。
いた。
ユースタスはそこにいた。オレンジの光が、形の良いその顔に投げかけられていた。相変わらず分厚い、茶の革表紙の本を広げている。マリノーに気がつくと、その顔が柔らかくなった。
「君、また来る気になったんだね?」
「ちがうんだ、あの、僕。」
深い色を湛えた眼差しが、鳶色の目を覗き込んだ。
「僕、謝りたかったんだ、ユースタス…。」
「構わないさ。」
それから、ユースタスはぽつり、ぽつりと語り出した。
彼もまた、学校やクラスメイトにあまり興味がないこと。抜け出したくて、この文学館へ来たこと。学校では読めないような重厚な知識に触れたくて、誰も読まないような書物を選んだこと。ラテン語は彼の家で教育されていたということ。
「どう、君も見てごらん。」
ユースタスは、奇妙な図形の並ぶページを指差した。やはりマリノーには難解だったものの、いずれ異教の儀式に使われていただろうことは明白だった。マリノーの目に怯えと困惑が浮かんだのをみて、ユースタスは言った。
「まだ怖いの。そう、君は熱心なカトリックみたいだものね。」
マリノーの小さな手を、下からそっとすくい上げて握る。その手は、もう蛇ではなかった。そのまま、図形の上へ導こうとするのだが、やはり小さな手は頑なだった。それで、ユースタスは一度その手を放してやった。
しかし、鳶色の視線はページに留まっているのを見て、ユースタスは付け加えた。
−こうしよう。僕たちは人間じゃない。妖精だ。だから、聖書も関係ない。
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