第6話 ~雑用担当のアフターサービス~

 屋根の上の視界はとても広い。王都といっても商業区を除く地区は基本的に二階建ての家屋が殆どだからだ。視線を前に向けるとどこまでもオレンジ色の海が広がっている。遠くには上流階級の者達が住んでいる高級住宅街の屋敷が見える。その更に奥、街の中心部にそびえ立っているのが王城だ。内に住むもの程ステータスが高いというわかりやすい構造だ。


 王立魔術学院は円形状に作られた王都の外れに位置している。貴族の子息達が通う場所ではあるが、魔術の訓練等での事故を考慮し、十分にスペースを取れるという理由で外側に作られたのだ。そのため、彼等が馬車で通学するのは庶民からすると大仰だなと考えてしまうが、彼等からすれば当たり前の事だった。


 さて、僕は不審者よろしく屋根の上に登ったのには理由がある。別に下着泥棒をしようだとか、そういう事では断じてない。これは仕事の『アフターサービス』のためだ。リリィさんの魔導車と並走して怪しい奴らが居ないかチェックする。居なければ問題ないし、もし見付けたら――丁重におもてなししようと心に決める。


 そんなわけで、屋根の上で身を低くして待機していると、黒塗りの魔導車が門から現れた。改めてその異様を見て、あれは見失う事も無いけど、間違えられる事もないなと思わず苦笑してしまった。


 全身に魔力を循環させ、『身体強化魔術』を発動する。これは文字通り、身体機能を上げる効果があり、その範囲は五感、そして思考速度や反射神経にまで及ぶ。

 これだけみると、とても便利な魔術の様に見えるが、体内に魔力を循環させる行為は調整を間違えると負荷に耐えきれず、身体にダメージを与えてしまう事に繋がる。その調整が非常に難しく、長い修練と才能が必要とされる。

 一般的な魔術師はそんな危険な代物を身に着けようと努力する位なら、魔術師らしく、遠距離で戦う術を身に着けようとするので、遣い手は限られてくる。

 ウェールズの騎士が使用者として有名だが、先の戦争で多くの戦死者を出しており、現在の遣い手はかなり少なくなっていた。



 お嬢様の帰宅は順調に進み、もう少しで折り返し地点といった所で、不意に悪寒が全身を駆け巡る。

 戦場で何度も経験した感覚だ。即ち――殺気。

 

 感覚に従って強化された足を酷使し即座に前方へ飛ぶ。次の瞬間、僕の頭があった空間を何かが薙ぎ払った。間一髪で回避した僕の後頭部に押し出された空気が当たる。着地に気を使う余裕はない。オレンジ色の屋根を多少傷つけながら着地し、後ろを振り向く。そこにはローブを被った人影が立っていた。



「気配を全く感じなかったけど……もしかして、貴方が透明人間さんですか?」



 殆ど確信を持って語りかける。戦場を離れて久しいとは言え、簡単に背後を取らせるようなヘマはしない。そういう風に修行させられた。あり得るとすれば、気配を完全に断って接近出来る者……インビジブル使いだろうと予想したからだ。



「お初にお目にかかります。ええ、私が透明人間です。といっても今は透明じゃないですがね」



 ローブを被った男は何が面白いのか笑いながら答える。男だと判断したのは声からだ。



「透明人間さんの挨拶っていうのは、人の後ろに忍び寄って後頭部に攻撃をする事なんですか? 随分と物騒なんですね」

「ええ、そうです。実に透明人間らしいでしょう?」



 人を小馬鹿にした様な態度。しかし、その男から発せられるプレッシャーは尋常ではない。先程までは何も感じなかったのが嘘みたいだ。

 どういうからくりなんだ……?



「それで、今日は挨拶だけですか? ダンスでも踊りますか? 男性と踊る趣味はないのですが、今日はそういうお仕事なのでお相手しますよ?」

「『ウェールズの死神』さんと踊るなんてとてもとても……私等では手をつないだだけで魂を刈り取られそうなので、遠慮しておきますよ」



 この人、僕を知っている!?

 『ウェールズの死神』――それは統一戦争時代、敵軍が僕に付けたあだ名だ。王の命令で敵軍に潜入して、重要人物を次々と殺し回っていたらいつの間にかそう呼ばれるようになっていた。



「遠慮しなくても……いいですよ!!」



 詳しい事は捕まえてから聞き出せばいい、そう判断して間合いを詰め――腹部に向けて拳を突き入れる。通常の魔術師であれば反応する事すら困難な一撃。



「おっと……危ないですねぇ」



 それを男は身体をひねり、軽々と回避する。その動きを高速化された思考が遅滞なく認識し、次なる一手を紡ぐ。相手の足首を狙った下段蹴りだ。足首を砕く勢いで放たれた高速の一撃をまるでその攻撃が来るのがわかっていたかの様に、一歩下がって回避され、それを追うように踏み込んで放った掌底は相手の右手によっていなされる。その後も高速で攻撃を繰り出すが、尽く捌かれてしまった。最後に放った回し蹴りもバックステップで回避される。



「どこかで……お会いした事あります?」



 この場合の『お会い』は、『戦ったこと』があるか? という意味だ。恐らく、相手は身体強化魔術を使っている。これは間違いない。通常の魔術師が今の攻撃を全て受けきるなんて事は不可能だからだ。しかし、ここまで完璧に対応をされるのは不可解だった。まるで一度、戦い、こちらの連携パターンを把握しているようなそんな違和感を覚える。



「さぁ、どうでしょう。貴方がそう思うならそうなのかもしれないし、そうじゃないかもしれないですねぇ!」



 一々おちょくるように喋る奴……一瞬、殺してしまおうかと昔の自分が出てきそうになったのを精神力を抑え込む。今の攻防だけでも相手は相当な実力者だという事がわかった。それこそ騎士に叙任されていてもおかしくないだけの……そこで僕の頭の中にある可能性がよぎった。



「もしかして――第三騎士団の方だったりします?」



 その瞬間、男から発せられていた人を小馬鹿にした雰囲気が消える。後に残るのは、粘っこい独特な……憎悪だ。



「どうしてそうお思いに?」



 感情を殺した声で男の問いが飛んでくる。これでほぼ確信が持てた。



「そこまで身体強化魔術を使いこなして、戦い慣れていて、僕の戦い方を知ってる人って……騎士位しかいないですからね。それ以外は全員殺しましたし……」

「なるほど、なるほど……それでだったらどうだっていうんですか?」

「ただの同郷人なら、この後一緒にディナーでも……と行きたい所なのですが、『敵前逃亡者』となるとそうも言ってられないんですよねぇ」



 相手の憎悪が殺意に変わるのを感じる。やはりそうかと僕は自分の予感が正しかった事を確信する。

 『第三騎士団』――統一戦争時代に北方戦線で活動をしていた者達。戦争終期に突如として謎の壊滅が報告されている騎士団。帰還兵はおらず、北方戦線は特に戦いが激しかった事もあり、全員が戦死したのだと考えられていた。



「敵前逃亡者……ですか。なかなか辛辣な事を仰っしゃりますね。流石はあの地獄を一人で駆け抜けた死神さんは言うことが違う」



 そう、僕も同じ北方戦線に居た。先程のウェールズの死神というのはその時に付けられたものだ。何度か第三騎士団とも共同で作戦に当たっており、僕の戦いを近くで見たものも少なくないだろう。



「ただ、僕も国を出た身ですので、貴方を捕まえても本国には送ったりしないので安心して下さい。この国の法で捌かれるだけで済みますよ」

「はは、あの死神が? 法? 随分とお優しくなったものですねぇ!!」



 男の殺意が膨れ上がるのを感じる。

 来るか……?



「っといけないいけない。今日は本当にご挨拶だけのつもりだったんですよ」



 突如として奴から放たれていた殺意が霧散する。こちらを油断させるための演技かとも思い、構えは解かない。



「ふふ、そんなに身構えて頂けると嬉しいのですが……、今日の所は御暇しますね」

 

 唐突に姿が消える。 これがインビジブル……魔術発動の兆候が全くなかった。気配を探るが、何一つ感じとる事は出来なかった。

 暫くその場で周囲を警戒するが、特にその後の攻撃などはなく、本当にこの場から去ったと判断する。

 彼の残した最後の言葉、本番はまた今度……何か事情がありそうだと考えながらも、思っていたより厄介そうな敵という事で自然とため息がこぼれ落ちる。



「これ……割にあってないですよ。社長……」



 リリィを乗せた車はとうの昔に通り過ぎ、今頃は家についている頃だろう。

 オレンジ色の海の向う側を眺めながら独り言ちた。

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