第十七話 鱶河城
数日後。
勇輝は外出許可を取って、街を歩いていた。
楓は相変わらずだった。その真意がわからず、勇輝は楓と顔を合わせるのが億劫になっていた。
一方、大輝には、申し訳なくて会わせる顔がなかった。
よく一緒にいる人と、顔が合わせられないのなら、渾天院を出るしかない。
だから、無理やり用事を作って、逃げ出したのだ。一人で考えたかった、というのもある。
夢想しなかったといえば、嘘になる。いつか、もし、万が一、伊吹に求婚されたら、と。
伊吹は、自分達の恩人で、憧れで、目標だったからだ。
そして、それは、憧れでしかなかったと今ではわかる。
求婚されたのに、ただただ苦しかったからだ。
伊吹の言葉を聞いた時、胸に広がったのは罪悪感だった。
伊吹は答えは急がなくていい、と言ってくれた。
結婚は、最終手段だと。
楓が、というより、三条家が動き出した時に、身を守るには、伊吹くらいの身分がないと逆らえないだろうから求婚したのだと言っていた。
愛ゆえにではない。ただ勇輝の身を案じての求婚だった。そこにあるのは、同じ隊の隊員であると言う情だった。
それを聞いて、逆にホッとしたものだ。これも、彼の策の一つなのだ、と。
それに、伊吹のことだ。一緒になった者を
きっと、大切に、
それがわかっているから、彼にこんな責任の取らせ方をした自分が情けなかった。しかも、大輝の目の前で言わせてしまうとは。
伊吹の求婚は、彼の瞳にどう映ったのだろう。
勇輝は怖くて聞けなかった。
◇ ◇ ◇
逃げ出す、と言っても、アテがあるわけではない。
勇輝の世界は狭い。渾天院が駄目なら、行き先は一つ。古巣しかなかった。
益体もないことを考えながら、都の大通りを通り過ぎ、寂れた方へと
あばら家、掘っ建て小屋、長屋が折り重なり、あちこちでつながって、一個の巨大な建物になっている。そこはこの都最大の貧民街、通称
まともな都の住人なら、近寄ろうともしないそこに、躊躇なく入っていくと、辺りからバラバラと汚い
警戒も露わに飛び出してきた彼らは、だが、勇輝の姿を認めると、ぱぁ、と顔を輝かせた。
「にーちゃん!」
「大輝? 勇輝? どっちだ?」
「大輝だろ、大輝!」
「どっちでもいいよ! おかえり!」
そう言って、わぁ、と
「ただいま。お前ら、相変わらず、くせーな」
「うるっせ! これが俺らの仕事だからな」
彼らがいう通り、ここは彼らの『仕事場』だった。
鱶河城は、最大の貧民街だけあって、怖いもの見たさ、好奇心で訪れる者が多い。そんな者たちに、哀れな貧民の子を演じ、金を落として行ってもらうのだ。それがなかなかいい稼ぎになる。
だから、このボロ服も、都の暇人に嫌悪感を抱かせない程度に汚れた姿も、彼らの仕事着と言えた。
わざとボロを着て、体も汚していることを知っている勇輝は、それをからかったのだ。
だが、この場にそれを知らない者が一人いた。その者には、勇輝が貧民の子らに
「お前たち! 今すぐ勇輝からその汚い手を離せ!」
「へ?」
「何?」
ぽかんとした子供たちの声。その視線の先には、
「――楓!?」
それは、勇輝にバレないように後ろをついてきた楓だった。
◇ ◇ ◇
「なんでこんなところにいるんだ!?」
「なんでって、お前が外に行くのが見えたから、ついてきたんだ」
「外出許可は!?」
渾天院の外出許可は、事前に申請していないと下りない。それを知っている勇輝は驚いたが、
「そんなもの、どうとでもなる」
と楓は、どこ吹く風だった。
「――青羽は?」
「置いてきた」
けろっとした声で返されて、思わず勇輝は頭を押さえていた。きっと今頃、渾天院では青羽が半乱狂になっていることだろう。彼の心痛を思うと、勇輝の心も傷んだ。
「勇輝、こいつ、友達?」
「いいベベ着てるな〜」
わらわらと子供達が楓の元へ集まって行くのを見て、勇輝は慌てて近くのあばら家に避難した。
こんなところで、こんな身なりのいい子供が護衛もつけずに一人いたら、面倒にしかならないということを知っていたからだ。
楓もそれがわかっているのか、刀は鞘にしまったものの、いつでも抜けるようにしてあった。
「楓、帰りなさい」
「嫌だ。俺もついて行く」
「ここは危ないんだ」
「知っている。なら、お前も危ないだろ?俺が守ってやるぞ」
そう胸を張られて、勇輝はため息をついた。
「……僕は大丈夫なんだよ」
なぜ?と不思議そうに首をかしげる楓に、あまり公表していないことを告げた。
「……僕たちは、ここの出身なんだ。だから、安全な道も危ない所も知っている」
「そうなのか……」
都の人が、ここにどんな偏見を持っているか、勇輝は知っていた。いや、偏見ではないか。眉唾物の噂はほとんど真実だから。だから、楓が手のひらを返すように嫌悪感を露わにすると思っていた。
だが、楓はけろっとした声で言った。
「なら、お前についていけば、俺も安全というわけだな!」
その答えに、別の意味で勇輝の頭痛がひどくなった。
「お前はなんでここへ来たんだ? 里帰りか?」
「違うよ。頼まれた荷物を届けに来たんだ。それが終われば、すぐ帰る」
そういう勇輝の背には、小さな荷物が一つ括り付けられていた。
帰れという勇輝に、帰らないという楓。
問答を繰り返したが、埒があきそうになかった。しばらく二人で言い合った後、勇輝は、楓一人で帰すより、自分がついていた方が安心か、と判断した。ここで一人で帰して、
それでも、子供に言い含めるように、自分のそばから離れないようにときつく何度も念押しした。
そして、近くにいた子供に、商売道具でもあるボロ布を二枚借りた。代わりに、お金ではなく、小さく包んだお菓子を渡す。
勇輝は、借りたボロ布の一枚を頭から
楓は、ものすごく嫌そうな顔をして何かを言いかけたが、勇輝はそれを制して言った。
「これを被らないと、僕の身が危ない。だから、被ってくれないか」
その言い方は少し卑怯だったが、反論材料のない楓は大人しく従った。
◇ ◇ ◇
あばら家から出て、二人連れだって歩く。
周りの様子が珍しいのか、楓はキョロキョロと辺りを見渡しながら歩いていた。その縁日を覗く子供のような様子に、勇輝は苦笑した。
「おい、『双輝』の片割れ! 茂じいの裏のところが破れかけてたって、大家さんに言っといてくれよ!」
店から出て来た体格のいい中年の親父が、勇輝を見つけ、そう声をかけて来た。それに立ち止まることなく、勇輝は返事する。
「帰りでよければ、僕が寄ってくよ」
「そいつは助からぁ!」
しばらく歩くと、今度は頭上から、綺麗なお姉さんの声が降って来た。
「あら、『双輝』! ご無沙汰じゃない。寄ってかない?」
「夕霧姐さんに呼ばれてるんだ」
「あ〜、残念! 今度は必ずいらっしゃいよ」
その言葉に笑って手を振り返す。
勇輝は歩いていると、周りの者から色々な声をかけられた。
「『そうき』というのは何だ? お前は有名人なのか?」
楓はびっくりしながら勇輝に尋ねた。
「有名人じゃないよ。便利屋やってたから、顔が広いだけ。『双輝』っていうのは、その時の屋号。大輝の『輝』と勇輝の『輝』。『輝』が二つで、『双輝』」
「安直じゃないか」
「いいんだよ。わかりやすいだろ」
そんなことを話しながら歩いていると、周りの店の様子が変わっていた。
今までの小屋に毛が生えたような店とは違い、二階建て、三階建ての店が建ち並び始めた。
しかし、そこは店ではあるのに、商品がない。代わりに、格子がはめられた大きな窓があり、中の座敷の様子が見られるようになっていた。だが、そこもがらんとしている。
今まで見たことのない店構えに、楓にここは何だ? と尋ねられた。
「う〜ん。楓には、まだ早いかな。もう少し大きくなったら、教えてあげるよ」
勇輝はそう誤魔化しながら、一軒の店の裏口へと回った。
そして、慣れた手つきで裏口から人を呼んだ。
「ごめんください。夕霧姐さんをお願いします」
「あら。大輝? 勇輝? ……その落ち着きは勇輝の方だわね」
中から、着物をしどけなく着崩した女が、気だるそうに出て来た。
そして、勇輝の隣にいる楓を見つけると、にっこりと微笑んだ。
その
その様子に、なぜかムッとしながら、勇輝は出て来た女に問いかけた。
「夕霧姐さんに届け物なんだけど、今起きているかな?」
「だぁめよぉ。夕霧姐さん、昨日はいい人とお・た・の・し・み・だったんだからぁ。まだ寝てるわ。もうすぐしたら起きると思うけど?」
お楽しみ、を強調して女が言った。それだけで、勇輝は色々と察せられてしまった。
「なら、待たせてもらえるかな。直接渡せって言われているんだ」
「いいわよぉ」
そう言うと、女はついて来いとばかりに二階に上がった。
勇輝は、裏口に被っていたボロ布を置くと、店へと上がった。楓も一瞬躊躇したものの、勇輝に続いてお邪魔した。
店の二階は、襖に仕切られた小さな部屋がたくさん並んでいた。
板張りの廊下を歩きながら、女が問う。
「ねぇ、その子、勇輝の
「違います」
「何で否定するんだ。俺が悪人だと言いたいのか」
楓の一言に、勇輝は女と目を合わせると、笑った。
「やぁだぁ。お坊ちゃん、かぁわいい。……ね、勇輝の用事が終わるまでお姉さんと遊ぼうか?」
女が、楓にしなだれかかろうとする。それを制して、勇輝は言った。
「姐さん、この子に悪いことを教えないでください」
「悪いことじゃないわよぉ。イイことよぅ。ねぇ」
と笑いかける女に、楓はどんな反応をしていいのかわからないようだった。
それを背中に隠して
「どの部屋で待っていたらいいんです?」
と勇輝は尋ねた。その様子に女はくすくす笑いながら言った。
「そぉねぇ……、あ、この部屋。もう準備が終わってるわ。この部屋だったらいいんじゃないかしら」
女に案内された部屋は、確かに準備が終わっていた。その部屋は、遊郭らしく、真ん中に寝具がデンと敷かれた部屋だった。
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