第七話 朧

 翌日の朝。四人は示し合わせたわけではないが集まって、朝稽古をしていた。

 大輝と楓が模擬刀を構えて打ち合っている。それを傍で見て、指示を飛ばす伊吹。

 勇輝は二人の体力に早々に見切りをつけ、縁側に座って三人を眺めていた。


 楓がどう思っているかは知らないが、大輝は楓を買っている。口は悪いし、すぐからかうようなことを言うが、それは素直になれない大輝の性格だ。でなければ、こうやって稽古に付き合うことすらしないだろう。大輝はそういうヤツだ。


 体格のいい大輝と並ぶと、楓の幼さが強調される。そもそも、楓は渾天院に入る年齢に達していない。だが、伊吹がいるうちに渾天院に入りたいと、かなりの横車を押したらしい。それで、特例中の特例として入学を許可されたそうだ。

 そのせいで、どうしても幼さや線の細さが目立つ。だが、楓は年下という足枷を物ともせず、伊吹隊で成果を上げていた。


 その陰にどれだけの努力があるのか。それを感じ取れないようでは、同じ小隊の隊員とは言えない。

 だから大輝も、嫌がらずに稽古に付き合っているのだろう。

 なんだかんだ言いながら、皆、楓の成長を楽しみにしているのだ。本人には決して言わないが。


 勇輝が、稽古する三人を微笑ましく見ていると――。


「朝から精が出ますね」

「うわっ!?」


 気を抜いていたわけではないのに、いつの間にか勇輝の背後に男が立っていた。急にかけられた声に驚いて、変な声が出てしまう。

 後ろに立っていたのは、痩躯の神経質そうな男だった。その物腰や、簡単に勇輝の背後をとったことから、只者ではないとわかる。


「失礼。驚かせましたか」


 男は、能面のようにピクリとも表情を動かさず、そう謝罪した。その気持ちのこもっていない謝罪にどう返答しようか迷っていると、


「あなたは、参加されないので?」


 と、チラリと視線を投げかけられた。その冷え切った目に、ゾッとする。

 この目は、昨日も見た。楓の母親が自分たちを見ていた時の目だ。しかも、それは彼女だけではなかった。自分達が武家出身ではないと知られた後の下働きの者からも同様の視線を投げかけられた。


「いや、僕は……」

「『僕』?」


 男はそういうと、勇輝の全身に舐めるような視線を這わせた。その不躾さに、勇輝の嫌悪感が高まる。


「失礼ですが、あなたは女性では?」

「そう……、ですけど」


 それが何か?と睨み返してやる。だが、能面男にはその視線は届かなかったようだ。


「ですよね。神司とは言え、女で渾天院は珍しいと思いまして。――あぁ、それとも何か? でもおありで?」

「あんたなぁっ……!」


 その言葉に、勇輝の頬にかぁっと血がのぼる。勇輝は、神司とは言え、伊吹の隊で戦っていることに誇りを持っている。それを、どうせ慰安婦なのだろうと言われたことが許せなかった。


 怒りに思わず振り返った勇輝の視界に、男はいなかった。

 能面男は、勇輝を置き去りに、稽古している三人に向かって歩みを進めていた。

 その身のこなしに、勇輝は愕然とする。全く、ついていけなかったからだ。


 能面男は、三人に近づくと、「楓様。私ともお手合わせいただけますか」と何事もなかったかのように話しかけた。それに、「おぉ、おぼろ! 久しぶりに相手してくれるのか!」と楓の嬉しそうな声がする。


「この男は、俺の剣の師範でな。朧という。なかなか強いぞ」


 楓のその言葉に、「なかなか強い」程度じゃないだろ、と勇輝は心の中でツッコミを入れた。


  ◇ ◇ ◇


「それで? あの二人はどうだったの」


 楓の母親が、自室でお茶を飲みながら、軽い調子で聞いた。その脇に影のように控えていた朧は、重々しく返事をした。


「奥様のおっしゃる通り、一人は女でした」

「そう。やはり。で、楓は?」

「口では色々おっしゃいますが、お二人を信頼している様子」

「あら。じゃ、ちょうどいいわね。渾天院に通える程度には身元もしっかりしているでしょうし」

「そうですね。……では、今夜?」

「えぇ。楓も、そろそろ大人になる頃でしょう」

「承知いたしました」


 その朧の答えに、彼女は妖艶に笑う。


「いいことをすると、気持ちがいいわね」

「奥様の寛大さには、頭が下がるばかりです」


 うふふ、と笑う彼女は、まるで少女のように楽しそうだった。


  ◇ ◇ ◇


「伊吹様。ご母堂様がお呼びです」


 襖の向こうから、女中が伊吹に声をかけた。

 勇輝は、伊吹の部屋で今後について相談していた。その最中に、伊吹が呼び出されてしまったのだ。

 早めの夕餉が終わり、三条家当主が帰ってきたら、すぐにでも妖について説明できるようにと、情報を整理していた時だった。

 時間的に、渾天院に出した早馬が戻ってきたのだろう、と二人は当たりをつけた。


「早馬が戻ってきたのでしょうか。勇輝、あなたも……」

「ご母堂様は、伊吹様お一人で、とのことです」


 身分の高い者の言葉を遮る、という無礼を働きながら、呼びに来た女中は顔色一つ変えなかった。そこには、有無を言わせぬものがあった。

 しかし……、と伊吹が心配そうに勇輝を伺う。それに、大丈夫だと勇輝は笑い返した。


「行ってください。僕、部屋に戻っていますから」


 部屋には大輝がいるし、と付け加えると、伊吹は後ろ髪を引かれつつ、去って行った。その過保護な様子に、勇輝は申し訳なくなると同時に、嬉しくなった。

 同じ部隊だから、大切にされているのはわかっている。だが、夢を見るくらいは許されるはずだ。




 だから、油断していなかった、と言えば嘘になる。


「ただいま〜。先輩呼び出されちゃったよ」


 部屋に戻って、襖を開けると、そこはもぬけの殻だった。


「あれ? 大輝、どこ行った?」


 その瞬間、『沈め!』と人ならざる声がした。

 何が、と考える暇もなく、反射的に身を沈める勇輝。その上を、勇輝を捉えようとした手が空振りしていった。


「何っ――!?」

「……かわすか。だが、甘い」


 身を沈めた勇輝に向かって、蹴りが繰り出される。それは、勇輝の鳩尾を的確に蹴り上げた。


「がはっ!」


 勇輝の口から、胃液が吐き出される。そして、咳き込む暇もなく、口を布でふさがれた。その布からは、ツンとした刺激臭がする。


(あ、だめだ。これ、薬の匂いが――)


 それが、勇輝が最後に思ったことだった。

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