第29話 後世の歴史家は身勝手に批判する

 司令室の中は、何度も報告に踊らされていた。


 先制攻撃を受けてどよめき、作戦継続に安堵し、富嶽が攻撃を受けて狼狽し、桜花の攻撃で快哉をあげ、作戦の中止で絶望し、基地の破壊を受けて――お祭り状態となった。


 だけど僕は、どんな状況でだって、喜ぶ気にはなれなかった。


 理由は当然……多くの生体誘導機と大事な教え子が逝ってしまったから。


 特に最後の報告、基地の破壊は決定的だ。由仁が、逝ったのだろう。


 詳細を聞かなくてもその事が容易に想像できた。


「由仁……よく頑張ったな。美弥、苦しかっただろ。ごめんな」


 喜び、抱き合う人々の中で、その言葉が僕の口から自然と漏れていた。


「唯人……」


 安寿さんが喜ぶ振りをして僕をその胸に隠してくれる。


 彼女の声にも、僕と同じ様に喜びは感じられない。


「ありがとう」


 安寿さんも辛いだろうに、それでもこうやって僕を支えてくれるのだ。


「ありが……」


 だからもう一度お礼を口にしようとして……でも堪えきれずに……。


「うん」


「あ……」


 喜び溢れるこの場所で、ふたりぼっちの僕らは、人として認められないあの子たちの死を悼んだのだった。








 あれから恋を理由に司令室を離れ、僕は自室に籠っていた。


 僕は感情・自我発露個体情報担当官。三佐と同等の扱いであるため、個室を貰えている。その真っ暗な個室のベッドに一人で座り、震える体を抱きしめ、こぼれそうになる声を必死にこらえていた。


 分かっている。


 今、この呉地方隊は戦勝ムードだ。


 実際これは日本が、ひいては人類がオーム相手に巻き返す第一歩となるだろう。恋に対しても笑顔で喜ぶのが正しい。美弥と由仁はよくやってくれたと言い、発破をかけるべきなのだ。


 その正しい事が、どうしても僕には出来なかった。


 最初の頃は出来ていたはずなのに。


 ああそうだ。僕の精神に、そろそろ限界が来ているからだろう。


 純粋なあの子たちを洗脳し、何度も何度も死地へと送って来た。その罪悪感が、僕の心を押し潰しているのだ。


 安寿さんにも言われたが、僕が壊れてしまうだろう。


 それでも僕はやらなくちゃいけない。


 これからも生まれて来るEE体、感情と自我を持ってしまった生体誘導機たちを少しでも生きていてよかったと思ってもらえるようにするために……。


 そんな折、コンコンッとドアが叩かれる。


 安寿さんが来たのかと思い、入るように告げたのだが……。


「失礼しますよ」


 入って来たのは、細面で長身の、どこかネコ科の動物を連想させる身のこなしをしている男性自衛隊員だった。


「……君か。僕は何も頼んでいないはずだけど」


 ここ、呉地方隊には酒保と呼ばれる売店が存在する。ただ、そこで手に入れられないが、それでも欲しいという物品は数多くあるのだ。それを独自のルートから調達してきて売りさばく、いわゆる調達屋と言われる人物がいて、ちょうど目の前の人物がそれだった。


 僕も子供用の物を色々と調達してもらうために、割と頻繁にお世話になっているが、今は何も頼んではいなかったはずだ。


「相馬担当官にはね」


 そう言うと、調達屋は背中に負った袋から、パッケージングされた肥料の束を出すと、こちらに差し出して来る。


「水原誠から手に入るだけって頼まれてたんすよ。でも、アイツ死んじまったみたいっすから」


 知っている。


 水原誠は、由仁と共に特攻を行い、散って逝ったという。


 だがこの情報は、戦術偵察機からの情報で、ある程度階級が上であったり、特別な立場のにしかまだ知られていないはずだというのに、目の前の一兵卒は知っていた。


 調達屋が店先に並べる品物の中には情報もあるからだろう。


「どうせアイツはEE体に渡すつもりだったんでしょうから、こっちに寄らせてもらったってわけですよ」


 生き馬の目を抜くような男だ。


「…………いくらだ」


 物が到着してから後払いが基本である。恐らくこの男はほとんど買い手のつかない肥料を、唯一買ってくれる可能性のある僕に売りつけに来たのだろうと判断してそう尋ねたのだが……。


「いえ、ロハでいいっすよ」


「……え?」


 ロハ、つまり漢字のただを縦読みした隠語だ。


 この男がこんな珍しい事を言うなんてと思わず耳を疑ってしまう。


「水原とオタクの生体誘導機のお陰で勝てたんでお祝いっすよ。勝利にかこつけて色々注文も入って、ちょいと一儲けできたんでね」


 ――分かっている。僕の中に沸き上がった感情は、この男に対してはただの八つ当たりみたいなもんだって。


 でも、お祝いと言った上に、彼女たちが命を差し出してまで得た勝利で懐を潤している目の前の男が、どうしても許せなかった。


 思わず立ち上がり、調達屋の襟首を掴んで睨みつける。


「……放してもらえませんかね」


 ゼイゼイと耳障りな音がする。


 それが自分の呼気だと気付くのに一瞬理解できなかった。


「一応、階級が上の人を殴りたくないもんで」


「……なんで、なんでそんな平然として居られるんだ!」


 亡くなってしまったのに。


 もう会えないのに、決して帰ってこないのに。


「俺は俺で生きてるからっすよ。死んでるヤツにかかずらってる暇なんてねえんすよ」


「それでも、それでもお前は狂ってる! 平然と今を受け容れて、死を受け入れて……生体誘導機を……」


 生体誘導機を、特攻を平然と当たり前のように……。


「狂ってるっていうのは簡単ですけどね」


 僕の手に重ねられた調達屋の手は、熱かった。


 血が通い、肉と骨で出来て、心を持った人間なのだから。


「それしかないからやってるだけですよ。死ぬのが当たり前の世界で、俺らは生きるためにそういう判断を下した。アンタもその恩恵を受けて生きてるんすよ。もし俺が狂ってるなら、アンタも狂ってるでしょうね」


 調達屋の言う事は、憎らしいくらいに正論だ。


 僕が生きているのは彼女達が代わりに死んでくれたからで、僕はその死を受け入れているから生きている。


 彼女達の死に対して責任を取りたいのなら、僕が死ぬしかない。


 後からその判断が間違っていたと指摘するのは簡単だ。でも、その時に間違っている叫ぶ事は難しい。それに、正解が分からないのだから、余計にそんな事はできなかった。


「それでも、程度ってものがあるだろう。死体を漁るような真似……」


「生きるためなら死体だって漁りますよ。俺には家族がいるっすから」


 人には事情があるのは分かっている。


 分かっていた。


 それを言われれば、僕は……何も言えない。何もできなかった。


 僕のこの行動は、所詮八つ当たりでしかないのだから。


「……すまない」


 言う事を聞かない手へと命令を伝え、一本一本指を引きはがしていく。


 自分の手が、まるで他人の物であるかのように感じられた。


「金は払う」


「タダでいいっすよ」


「…………」


 もしかしたらこれは調達屋なりの気遣いなのかもしれなかった。


 僕はもう一度謝罪をして、受け取ろうと――。


『唯人、聞こえる?』


 腰につけた通信機が、安寿さんの声で僕を呼ぶ。


 一瞬調達屋の前で返事をするかためらったのだが、彼女の慌てた声が気になったため、


「聞こえるよ」


 安寿さんの方を優先した。


『良かった。唯人、今は一人?』


「…………」


 一人ではない。


 僕は調達屋から肥料を受け取ると、部屋から追い出して扉を閉める。


 一応盗聴を警戒して部屋の隅へ行くと、小さな声で話す様に安寿さんへ伝えた。


『いい、唯人。これはまだ私のところで止めてるんだけど、どうするかはあなたが決めて』


「……いったいどうしたの? 何が――」


『美弥ちゃんが、生きてたの』

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