第5話 わかってない わかってる わかってない

「空中要塞の撃破を確認したそうですっ」


 そう司令室に声が響いた瞬間、わっと歓声が上がった。


 中にはヘッドフォンを放り投げて喜ぶ通信士の姿もある。


 だが、安寿と共に部屋の隅で待機していた僕は、一切喜ぶことが出来なかった。


 必要な事を聞いていないからと、成功したところで、それはあの子たちの命が失われることと同義だからだ。


「唯人」


 自分でも気づかぬうちに膝の上で固く握り締められていた拳の上に、そっと手が重ねられる。仕事でもプライベートでも僕の事を支えてくれる女性、安寿が僕の身を案じてくれているのだ。今の彼女に子どもたちの前に居た時の様なおちゃらけた雰囲気はない。それは彼女なりの仮面なのだから当たり前だ。


 本当の彼女は今の様に優しくて、物静かで落ち着いた雰囲気の女性である。


 眼鏡越しに揺れる瞳へありがとうと唇を動かす事で気持ちを伝えると、大切な教え子たちの生死を確認する為に立ち上がった。


 騒ぐ人たちの横をすり抜ける様にして移動する。


 最初に報告した通信士ならば情報が入って来るだろうと踏んで、足を速めていると……。


「相馬担当官」


 横合いから声をかけられた。


 声の主がただの一兵卒であるのならば、喧騒に紛れて聞こえなかったふりをして通り過ぎようと思っていたのだが、


「司令官……」


 相手がこの呉地方隊の中で最も偉い人間であればそうもいかなかった。


 後ろについて来てくれていた安寿と共に背筋を伸ばし、直立不動の姿勢を取って敬礼をする。


「何か御命令でしょうか?」


「いや」


 白く長い眉毛が印象的な、柔和な顔をした老人。しかしその中身は鬼と呼ばれる事もあるほど冷酷な判断を下して来た老獪である。


「まだ不確かな情報だが、君が教育したEE体がやってくれた様だ」


「…………そう、ですか」


 司令官の言葉が意味する所は、美弥、由仁、陽菜の三人の内、誰か、あるいは全員が命を落としたという事だ。


 いきなりその事実を突きつけられた僕は、何とか言葉を絞り出したのだが、それ以上は何も言えなかった。


「ここまで明確に攻撃成功率が高いとなればもう違い様は無いな。今回一番の功労者は君だ」


 僕のお陰だなんてそんなわけがあるかっ!


 特攻なんてものを成功させたのは、彼女達自身の力だ!


 そんな言葉が喉元までせり上がって来るが、もちろん言いはしない。


 彼女たちは生体誘導機。人間どころか生きていることすら認められない兵器のパーツなのだから。


「……何、番が使用されたのかはお判りでしょうか?」


 名前、と言いそうになる自分を抑え込んで尋ねる。


 なんとしてでもそれだけは聞いておきたかった。


「に号の25番だそうだ。他のEE体は現在帰還中との報告が入っている」


「ありがとうございます」


 陽菜が死んで……美弥と由仁が無事、か……。


 やるせない想いと生きててくれた事への感謝の念が同時に去来する。


 だが、死地に追い込んだのは僕だ。


 EE体。


 感情・自我発露固体。EmotionかんじょうEgoじがだから略してEEというわけだ。


 生体誘導機には本来そんなものはない。


 三か月で細胞から人の形にまで培養され、機械的な方法で記憶を埋め込まれて桜花の操縦に使い捨てられるだけの存在だ。


 しかし、たまに感情や自我が生まれてしまう個体が存在する。


 そんな彼女たちは、プロセスを解明するために実験か解剖に使用されるか、場合によっては廃棄処分となる。


 だが安寿の提案から再教育が可能かどうかを試すことになり、その教師役として僕が選ばれた。


 僕は少女達と向き合い、そして、どうしても普通の子どもに、人間にしか思えなかったのだ。だから人間として接してしまった。


 その結果、通常よりも高い作戦成功率を叩き出してしまう。


 そうなれば次々と僕の元へEE体が送りつけられ、今に至るという訳だ。


 罪悪感で押しつぶされそうな今に。


「顔色が悪いな。今日はもう休みなさい」


「……はい、ありがとうございます」


「私が相馬担当官を部屋までお送り致します」


 安寿が軽く敬礼をしながら僕の腕を掴む。


 うむ、と重々しく頷く司令官へもう一度敬礼をしてから、彼女に引っ張られるままにその場を後にした。








 安寿は無言のまま歩を進める。


 彼女の手はずっと僕の腕を掴んだままだ。


 その手が僕に告げている。言いたいことがあると。


 たぶん、過去に何度も何度も言われた事だ。


 そうしなければならない事は分かっている。でも……出来ない。


 僕には無理なんだ。


「安寿さん……」


「いいから歩いて」


 そうして僕は訓練室にまでやってきた。


 安寿は僕を室内に連れ込むと、後ろ手に扉を占める。


 訓練室まで来たのは、周りに人がおらず、多少騒いでも音が漏れる事が無いからだろう。


 そして……。


「ねえ、あなたの仕事が何かは分かってる?」


 よく分かっている。当たり前だ。


「第24航空隊所属、感情・自我発露固体情報担当官。役目はEE体のソフトを調整する事」


 そして目の前の女性、中村安寿は生体調整管理官。肉体、つまりハードを担当する。


「そう、調整なの。分かる? 調整よ。彼女たちは生体部品を使っている、ただのパーツなの。そしてあなたは情報。記憶ではなくて情報。あの娘たちは人間じゃないの!」


「分かってるよ……」


「分かってない! 分かってないからそんな顔をしてるんでしょ!?」


 感情を高ぶらせた安寿が、僕の腕を掴む。


 彼女がどれほど僕の事を心配してくれているのかが伝わって来て……。


 それが、痛い。


「他のみんなはよく分かってるの。分かってるからことさらに番号で呼ぶし、言葉を選んでるの」


 搭乗ではなく搭載。出撃でなく発射。


 彼女たちが道具であると考え、扱い、使用する。


 そうすることでみんな自身の心を守っているのだ。


 生体誘導機なんて名称を付けてみても、姿形は完全に人間のそれだし、行動だって人間そのものである。


 そんな存在を一方的に利用して、命を湯水のごとく使い潰して、罪悪感が湧かないはずがなかった。


 司令官が僕に休むよう言ったのもきっとそれらを勘案しての事だ。


「このままだと唯人が壊れちゃうよ……」


 僕は、何も答えない。


 答えられない。


 頭では理解できていても感情で受け入れたくなかった。


 彼女たちは、人間だ。


 機械的に培養されて作られた存在だけど、感情と自我を持った人間だ。


 人形の様に命令されるまま、桜花に乗って特攻をかける名も無き生体誘導機――少女たちだって、感情を知らないだけ、自我がまだ小さいだけ。


 EE体なんて呼んでいるけれど、少し他より分かりやすかっただけの存在なんだ。


「安寿さん」


 僕は、彼女の腕に自分の手を添え、真珠のような涙が浮かんだ瞳を見つめて無理やり笑みを形作る。


「ごめん」


 自分でも、笑顔なんて作れていない事が分かる酷い出来だった。


 安寿の顔がクシャリと歪む。


 涙と共に堪えきれなくなった感情をぶつける様に、体をぶつけて来る。


 彼女の心を受け止めきる事は出来なかったけれど、せめて体だけはと足に力を入れてしっかりと安寿の全てを抱き留めた。


「ばかっ」


 そうだ。僕は馬鹿だ。


 それなのに彼女は何時までも見捨てず傍に居て何度も叱り付けてくれる。


「ばかぁ……」


 繰り返される罵倒が、少しだけ僕の心をやわらげてくれたのだった。

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