第17話 5000兆円で独立してみた

 セバスティアンが静かにテーブルの上に置いた、二丁の拳銃。

「スミス&ウェッソンのチーフスペシャル。アメリカで手に入れた中古品ですが、きちんとメンテはしてあるので使用上の問題はありません」


 和夫と美知子は絶句した。

「こんなもの……どうやって手に入れたんだセバスティアン?」

「秘密です。5000兆円あれば大抵のことはできますよ」

 そう言って涼しげに笑ったセバスティアンを、和夫は少しだけ怖いと思った。


 今までもセバスティアンは自分たちのために色々なものを用意してくれたし、その中には、どうやって入手したんだ?と疑問に思うほど入手困難なものも多かった。しかし、それにしても拳銃とは。有能執事のセバスティアンは、ついに法律に触れるものすら平然と手に入れるようになってきた。

 この調子でいけばそのうち、戦闘機を一機買ってきてくれと和夫と美知子が頼んだら、セバスティアンは眉毛一つ動かさずすぐに買ってきてしまいそうだ。


「射撃訓練、しますか?」

「え!?」

「少し車で行くと狩猟OKの山があります。今は狩猟解禁日も過ぎてますし、そこの山奥でこっそり試し撃ちする程度なら、たぶん猟師の撃った弾だと思われるので問題にはならないでしょう。

 一度も撃ったことないのに、土壇場でいきなり銃を撃てと言われても無理がありますからね。ぜひ練習しておきましょう」

「ちょ……ちょっと待ってよ?だいたい、セバスティアンは銃の使い方なんて知ってるの?」

「スイスには徴兵制ありますから」


 平然とした顔で二人を射撃訓練に連れ出そうとするセバスティアンを、和夫と美知子は必死で引き留めた。セバスティアンは不服そうだったが、しぶしぶ射撃訓練は諦めた。


「それにしても、なんで急に銃なんて必要になったの?俺たちが命を狙われる可能性があるってこと?」

「まあ、そういうことです」

「え!?……でもFBIって警察だろ?警察なんだから逮捕はするかもしれないけど、さすがに殺されはしないんじゃない?」


 一瞬だけセバスティアンの顔が曇った。何をどう話すべきか、少しだけ躊躇しているようだった。

「基本的にはそうです。でも、相手はアメリカの警察ですし、テロの温床になりかねないカルト宗教は今やアメリカの中で最優先の抹殺対象ですから、万が一ということもあり得ます」


 奥田先生は警察内部に秘密のパイプを持つ特殊警備会社を雇っている。セバスティアンがいきなり拳銃なんて物騒なものを用意しだしたということは、おそらくその特殊警備会社から、FBIの方針についての裏情報が入ったのだろう。


 ――CIAやKGBやMI6がお前を殺しに来るぞ。

 以前、兄の秀夫が言っていた言葉が脳内に甦ってきて、和夫は背筋が寒くなった。


「本当であれば、お二人には日頃からしっかりと射撃訓練をしておいてほしいのですけど、どうしてもお嫌だというのであれば、一つだけ絶対に肝に銘じておいて欲しいことがあります」

「何?」

「いざとなったら、撃つことを躊躇しないでください」

「……!!」


 和夫と美知子は思わず息を呑んだ。セバスティアンの顔は真剣そのものだ。

「いざという時には、ためらわず引き金を引いて下さい。本当に撃つ必要なんてあるのかとか、撃たないで済む方法はないのかとか、余計なことを考えると撃てなくなります。その一瞬のためらいの間に、相手に撃たれてしまったら全ておしまいです」

「でも……殺しちゃったら……どうするの?」

「運悪く急所にでも当たらない限り、この程度の拳銃でそうそう人は死にませんよ。そんな心配をする前に、ご自分の命の心配をするべきです。それに――」

「それに?」


 セバスティアンは口角一つ動かさず、機械のような無表情で静かに言った。

「5000兆円あれば、いかようにでも揉み消せます」


 和夫は、セバスティアンという人当たりの良い好青年の中に秘められた、冷徹な一面を見て思わず身震いをした。


「私は、とにかく和夫さんと美知子さん、お二人の命を何よりも守りたいんです」

最後にそう言うと、セバスティアンはそれまでの堅い表情を和らげ、ニコッと微笑んだ。しかし和夫と美知子には、その微笑みが一層恐ろしいもののように感じた。


 ――こうして、和夫と美知子は秘かに拳銃を携帯しながら暮らすことになった。


 隠し持った拳銃が万が一警察にバレてしまったら大騒ぎだが、山奥に隠れて暮らす二人は近所の人と話す機会もなく、日々の買い物くらいしか外出もしない。そもそもこの平和な田舎町に暮らすごく普通の夫婦が、まさか違法に拳銃を携帯して暮らしているなんて誰も予想だにしないわけで、全く問題にはならなかった。


 一か月後には衆議院選挙が行われて、奥田先生は見事に比例代表で当選を果たした。当選するや否や、奥田先生は党内の国際局の委員になった。

 奥田先生の専門は金融・経済なのに、なぜか財政・金融・証券関係の委員会ではなく、国際局の委員になるという不自然な人事だ。先生が背後で糸を引いて、強引なゴリ押しをしたのは間違いなかった。


 半年後にはネット上のニュースサイトで、カロカロ族がサン・ステファノス共和国からの独立を画策しているというニュースが初めて掲載された。


 その記事は、超高級リゾート建設を巡るドロドロした裏事情には一切触れていない。ただ単に、カロカロ族が民族衣装の文様の違いでサン・ステファノス共和国の政府と揉めていて、それが彼らが独立を願う理由であるとだけ書かれている。そのユーモラスな書きぶりはいかにも、のどかな南の島で起こった微笑ましい珍事といった三面記事風の取り扱いだ。

 重大な国際問題には絶対になりそうもないと思わせるその報道のされ方は、奥田先生が裏で手を回して書かせたのかは分からないが、まさにこちらの狙い通りだった。


 初めのうちこそ、カロカロ族を独立させるというこの策に対して、奥田先生のもとに集まったメンバー達も半信半疑だった。

 しかし奥田先生は最初から一切迷うことなく、まるで預言者のように「この策は成功する」ときっぱり断言していた。そしてその言葉通り、先生はとんとん拍子にカロカロ族との交渉をまとめ上げていく。

 そうなってくるとメンバー達も次第に、奥田先生が頭に思い浮かべていた成功のイメージと同じものを、具体的に頭に描けるようになってきた。

 カロカロ族が、まるで奥田先生の掌の上で転がされるようにあっさりと独立の意志を固めつつある今、全員がもはやこの作戦の成功は絶対に疑いないと確信している。


 金生教の支部を立ち上げてそこに資金を持たせるという最初の作戦は、今となってはもう危険なだけなので、活動は完全にストップしていた。

 その分だけメンバー達の手が空いたので、メンバー達は様々な係に分かれ、サン・ステファノス共和国政府内に賄賂をばらまいて独立容認派を増やす係、他国にカロカロ族の独立の意義をアピールして、独立を支援して国家として承認してもらうよう裏で手を回す係、行政機関を運営した経験のほとんどないカロカロ族に組織作りと法律作りの指導をする係など、カロカロ族の独立に向けた様々な活動を精力的に進めている。


 そして最近は、カロカロ族の独立運動がニュースに登場する頻度が着実に増えてきていた。しかしその内容は一貫して、どこか緊張感に欠けている。

 世界中で起こっている独立運動は普通、その過程で膨大な量の血が流れているのが常だ。それなのに、カロカロ族の独立運動には不思議なほど暴力と軋轢の影がない。


 独立運動の言い出しっぺであるカロカロ族の族長は、リーダーである手前、時には仕方なく人々に向かって演説をしたりもする。

 でも、その下手くそな演説の中で、別に高邁な理想や力強い主張を掲げるわけではない。和夫にカロカロ族の言葉は分からないが、その演説が、田舎の村長が村の忘年会で乾杯の挨拶をしている程度の内容だろうなというのは何となく雰囲気で分かる。


 そんな冴えないリーダーに率いられているのに、なぜかカロカロ族の団結力は不自然なほどに一枚岩なのだ。革命にはつきものの裏切者も日和見主義者も、誰一人として現れない。

 それは奥田先生と仲間たちが裏でしっかりと手綱を締め、お金の力でカロカロ族たちの心を強固にまとめ上げているからこそだった。


 その一方で、そんなカロカロ族の前に立ちはだかるはずの、サン・ステファノス共和国政府の反応も実に呑気なものだ。

 大抵の場合、国内の一部民族が分離独立運動を起こすと、国はそれを簡単には認めず運動を弾圧して抗争になる。しかしサン・ステファノスの国民議会は、カロカロ族を弾圧するどころか妙に及び腰だった。

 その姿勢は弱気というよりは無関心に近く、「独立したいのなら好きにしろ、別に止めはしない」といった風に、カロカロ族のことなど知ったこっちゃないという突き放した見解を示す議員が大多数を占めた。

 もちろんその背後にも、奥田先生とその仲間たちが湯水のようにばらまいた賄賂の力があることは言うまでもない。


 凪のように静かに、奇妙なほどに波風一つ立たず、カロカロ族の独立に向けた動きは粛々と進んでいく。

 ほんの一年前、カロカロ族の島にある行政組織といえば、島の中心部にある小さな古ぼけた事務所一つだけだった。その事務所が県庁と村役場と公民館を兼ねていた。

 政府のお役所はなくとも、島には昔から伝統的に続いている部族会議がある。警察署はなくても部族の自警団と隣組はあるし、消防署がなくても部族の自営消防団があるので、国の行政組織など無くても全く問題はなかったのだ。


 それが最近になって、近代的な四階建てのビルがいきなり町の中心部に建てられて、それが「カロカロ共和国仮設政府庁舎」になった。


 その仮設政府の中にはまず仮設内閣がおかれ、総務省、財務省、外務省、法務省、建設省という五つの仮設省庁が作られた。それぞれの省庁が、セバスティアンら外国からやってきた各方面の専門家たちの指導を受けながら、来たるべき独立の日に備えて国家としての制度を整備する作業を着々と進めている。

 その中でも特に、気の早い建設省はもうサン・ステファノス共和国の政策を無視して、勝手に病院や道路の建設を次々と始めてしまっている。その資金は税金ではなく和夫の持つ5000兆円から出ているので、財布の心配はしなくてもよい。


 建設省のこの独断専行は、奥田先生がこっそり指示を出して、わざとやらせたことだった。そうやって仮設政府が活発にインフラの整備を行い、人々の暮らしが目に見えて便利になると、独立すれば自分たちにどんなメリットがあるのかをカロカロ族の一般人たちも体感して理解するようになってくる。

 最初は「独立?それって何の意味があるの?」といった風に全くピンと来ていなかったカロカロ族の間にも、サン・ステファノス共和国の中の一つの島として生きるより、独立してこの仮設政府に政治を任せた方が断然よいという空気が生まれてきた。


 そしてついに、その日はやって来た。


 カロカロ共和国仮設政府が奥田先生の起稿した独立宣言文を採択し、サン・ステファノス共和国からの独立を宣言したのである。和夫の家に5000兆円の黒いATMがやって来てから、実に八年半の月日が経っていた。


 神様が設定した十年間の期限まで、残り一年半。

 もちろんこの建国がゴールではなく、まずはこの新しい国が世界からちゃんと国家として認定され、それから独自の通貨を作ってきちんと流通させなければならない。それらの時間を考えると、残り時間はかなり少ないと言わざるを得ない。

 それでも、5000兆円を十年で使い切るという途方もない目標に対して、ようやくゴールが少しだけ見えてきたのは確かだ。


 カロカロ共和国仮設政府は、採択した独立宣言文をサン・ステファノス共和国政府に一方的に送りつけ、三十日以内に議会で批准する事を迫った。

 サン・ステファノス共和国は、このような勝手な独立宣言に対して、認めずに黙殺することもできたはずである。国際司法裁判所に持ち込んだり、旧宗主国に泣きついて調停を依頼したり、独立を妨害しようとする手立てなら、少し考えればいくらでもある。

 しかし、なぜか彼らはこの独立宣言に何一つ文句を付けることはなかった。カロカロ共和国仮設政府の要求するがまま、サン・ステファノス共和国は即座に臨時の共和国議会を招集して、この独立宣言をどう扱うかを素直に審議した。


 議論するまでもなかった。


 奥田先生のばらまいた賄賂まみれになっているサン・ステファノス共和国議会は、全会一致であっさりとカロカロ共和国の独立宣言を受理したのである。それだけでなく、頼んでもいないのに自発的にこの新国家を承認し、国交を樹立することを全会一致で採択してくれた。

 全てが、奥田先生が裏で手を回しておいた筋書き通りの展開だった。


 かくして、カロカロ共和国は晴れて独立国家としてのスタートを切った。


 世界はこの世にも不思議な新国家を「のどかな南の島で起こった無血独立の奇跡」「文化の多様性を尊重しあい、部族間の合意のうえで平和裡に進められた心温まる分離独立」と好意的に捉え、和やかな歓迎ムードで迎え入れた。

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