第275話 それぞれの復讐



 右手の甲から盛り上がるようにしてある宝石のような物体、“黒夢”がパキリと音を立てる。それは然も雛が孵化しようと内側から卵の殻をるかのような渇いた音だ。同時に怒りが湧き上がってくる。それなのに頭は冷え、思考は明瞭になっていく。


 「ヴヴヴヴゥゥ……ッ!!」


 俺の肩に喰らいつき唸るように腹の底から声を出すグレーテルに対しての怒り。仲良くなったと思っていた。裏切られたという気持ちを塗り潰す、純然たる怒り。さらには復讐心。


 星銀の指輪により生成された【拒絶する不可侵の壁】が尖った歯によって破られ、その先端が肉に食い込み血が噴き出る感触があったが、痛みは僅かしかない。

 不可侵の壁は空気を利用した物理現象だ。つまり物理的に破壊する事も可能だが、これまで破られたことは殆どない。突破されるのは珍しい事でもあるし、自分ができることの限界を知るチャンスでもあり、今後のためにも実験と検証をしたくなってくる。だがそんな“俺らしい”とも言える好奇心は湧き上がる激情によって飲み込まれていく。


 「離れろ」

 「ヴヴゥゥゥゥ!!」

 「『離れろ』と言ったぞ」

 「ッ!?」


 意識した【神言】はグレーテルの意思など意にも介さずその行動を強要する。条件がいまいちわからないが強いモンスターには効かない事が多い。でも今回は問題なく効いている。逆らえるものなら逆らって見せろ。


 そう言えばと発動した【不可逆の改竄】は喰いつかれてできた深い傷を治す……いや、違う。今なら体感的にわかる。これは治癒で片付くものではない。

 普段は細かい部分をエアリスが担っているし、そうじゃない場合はあらかじめエアリスがそう設定した動作をする。自分でなんとかしたと言えるのは、アークでもう一人の俺を相手にした時くらいだ。その時はわからなかったが、黒夢の所為かそれに反発しているかのような白夢の所為かはわからないが、【不可逆の改竄】が他の【不可】と付く二つの能力の大元になっているように思う。エアリスが敢えて三つに分けて俺に教えたのは、単に俺にも使いやすいようにするためだろう。でもそれらは元々あった【言霊】系の能力からの派生かと言えば完全にそうとは思えない。もしも能力が二つ以上手に入る場合があるならそれらの複合とも言えるかもしれないが、俺だけとは限らない。現に目の前のグレーテルも変身と修復を同時にしているわけで、もしかすると二つ以上の能力を持っているから、という線も十二分にあり得る。だから警戒すべきなんだろうが……あまり脅威を感じないのが実際のところだ。


 「ソンナ……傷が一瞬デ……!?」

 「なぁグレーテル。お前は何なんだ?」

 「私ハ……」

 「話せよ。今ここには俺とお前しかいない」

 「ソレハ好都合よ」

 「あぁ。“俺にとって”好都合だ」


 バケモノの顔に疑問を浮かべたグレーテルを銀刀で一閃する。脇腹から肩口にかけて真っ二つになり転がってもまだ息がある。どう見ても致命傷のはずなのに叫び声を上げる余裕があるところを見るに、元気そうだな。それにしてもあの断面……


 「バケモノか」

 「バケ、モノ……ですっテぇ? 私はキレイになったノヨォォ!!」


 二つにわかたれた体から体組織が触手のように伸び、互いに引き合い、グレーテルはまた一つに戻る。その様子で確信を得た。


 「……やっぱり人間辞めてたか」


 顔の時点でそうだろうとは思っていたが、斬ってみて確信した。断面から触手のように伸びたアレは粘体の集合意識、“グループエゴ”に酷似していて、それはさらに粘体である事を除けば“ダークストーカー”と同じように感じた。それならどこかに心臓部、つまりコアがあるのか? あるならおそらくそのコアを特定し狙い打つのが最適解なんだろうが、【神眼】でもコアらしきものが見当たらない。


 「まぁ……無いなら無いで逆に好都合か」


 意識が黒く染まっていく。

 人を、ヒトであったものを殺す。初めこそその意思を持って振るっていた銀刀は、何度目かの再生を目にした後、モンスターを相手にするためのものへと変わっていた。そもそも人を殺すというよりも、体のどこかを斬られる度にぎゃあぎゃあと喚く人のような姿のナニカをただ斬りたくて仕方がない。全能感に酔っている状態かもしれないが、今この瞬間、それが心地良い。


 「いぎゃいいいい!!」

 「……うるさい」


 右手の黒夢から漏れ出した黒と赤のエッセンスが右目に纏わり付き少しチリチリとする。左目の【神眼】はそれに対抗するかのように蒼く焔を纏っている感覚がある。明らかに異常だし、はたから見れば3Dメガネのようになっているのではないかという考えが過り、なんていうかすごくテンション下がる。でもグレーテルにはそう見えている様子はないし、気のせいだろうと思う事にする。まぁその羞恥心さえも掻き消すほどに力が流れ込んできているおかげであまり気にもならないが。


 「そんなナリでも痛みはあるんだな」

 「ニ、人間って言っタラ手加減してくれル?」


 再生を終え今にも飛びかからんとしていたグレーテルだが、【超越者の覇気】を抑え込む事を考えずに向けると、ナリはバケモノとは言え恐怖は感じるようだ。踏み出そうとしていた足を退(さ)げ、攻撃的な姿勢から防御的なものへと変わっている。というか今にも背を向けて逃げ出してしまいそうだ。


 「手加減? してるだろ? あぁそうだ、『逃げるな』よ?」


 問いかけと命令に対し、グレーテルは再びこちらへ敵意を向ける。俺が一歩でも足を踏み出したならば、すぐにでも飛び掛かってくるだろう。そうであれば相手の突進力も利用して斬る事ができるが……せっかくだ、試してみよう。


 「斬っても痛みはあるみたいだが、死なないんだよな」

 「ダッタラ、ドウだって言ウノ?」

 「どのくらい死なないのか試す。『力を貸せ、嵐神・プルリーヤシュ』」


 応じた嵐がこの身に纏い、それは体に吸収されるように納まっていく。“これが神気か。まだ余裕がある”と内心思いつつ嵐を解放すると、周囲に強風が吹き荒れた。

 菲菲からヒントを得ていた技、肉体に神を降ろす【降神】。突然降ろされた嵐神は俺の頭の中で弱気に文句を言ってくる。ビビってんのかと問うと『オレ様がビビるわけないだろぉ!?』と反論してきた。俺としてもぶっつけ本番だったからどうなるかと思ったが、互いに意識ははっきりしているし、体にも異常は感じられない。感覚としてはエアリスがいる時と似ているな。つまりいつも通りだ。


 『ところで御影悠人、オレ様必要なくねーか?』


 ふと、それまで沸騰していたような感覚が多少薄れている事に気付く。上がったり下がったり、情緒不安定だなと自嘲しつつ喚んだ理由を伝える。


 いやいや、必要なんだよ。斬り刻もうってのに俺は腕が二本しかないし、エアリスみたいに銀刀を何本も浮かせて操るなんて出来ない。でも嵐神なら……なんかこう、すごいの出来るだろ?


 イメージを嵐神に送ると、得意げだがどこか不安そうに鼻で笑い返してきた。


 『いやまあオレ様くらいになると? 嵐の刃くらい出来るけど? だけどよ、今の今までお嬢たちの護衛で嵐を起こしてて疲れてんだぜ? つーか俺様からしても言ってる事が恐ろしいんだが?』


 疲れてるって、エッセンスが足りないなんて弱音を吐くつもりじゃないよな? 他の三人はどこかで稼いでくるのにお前だけだぞ、飲み代の半分も稼いでないの。


 『ちょっと心許ねーのは確かだ。それにしても……どうしたんだよ? いつもとなんか違うぞ?』


 かもな。とにかく俺はアイツを殺したい。それも出来るだけ斬り刻んで、出来得る限りの苦痛を与えて、産まれてきた事を後悔するくらいに。


 『ずいぶん機嫌がわりぃみたいだが……本当に殺すのか?』


 何か問題があるのか?


 『いいのかよ? ありゃどうみても元は……』


 元なら良いだろ。そうじゃなくても俺の意思は変わらないけどな。


 『……わぁーったよ。事情があるんだな。だけどよ、実際俺だけのエッセンスじゃ足りねーと思うんだ。だから』


 くれてやる。必要な分だけ使え。


 『よぉっしゃ! あとは許可さえ貰えればイケる! 久しぶりに暴れてやらぁ!』


 なぁ、エアリスも言ってたんだけど、許可って必要なのか? いやまぁ許可するけど。


 『どうやらな。勝手に使おうとしても全くダメだ。だけどよ、許しを貰った今なら……』

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