第226話 非日常の中の日常は非日常


 その後カイトたち三人と別れマグナカフェへ。あの後カイトの身柄を俺たちに預けてくれるよう口を利いてくれたお礼に顔を出していたが、軍曹たちからは何でもない事のように『大変だったなぁ。だがお手柄だった』とまた労われた。話によるとどうやら巻き込まれた探検者は当時の記憶がないようだが、これといって後遺症はなく元気に退院したらしい。一方で誘拐を企てた公民館ダンジョンの問題児だった“出刃包丁のトシ”改め“刺身包丁のトシ”を主犯とした数人の男たちは通常の拘置所にいるらしいが……仮にもダンジョン経験者だ、念のためダンジョンで鍛えられた警察の精鋭が監視しているらしい。


 「こうなることはわかっていたんだが、ダンジョンで強くなった人間用の施設が必要だろうな」

 「ですよねー。しかも明るみになっていないだけでもっといそうですし」

 「それに悠人がいない間に各所で不満や反感の声が大きくなっているしな。総理や統括から何か話が来ているんじゃないか?」

 「お察しの通りです……」

 「はっはっは! 大変だな、我らが調停者殿は」

 「やめてくださいよそれ……」


 困っている様子がおかしいのかみんな楽しげに白い歯を覗かせている。そんな軍曹たちはブートキャンプを定期的に開催していて、最近では警察や自衛隊員の参加も枠を新設するほど増えているとも語った。


 何やらまた一悶着ありそうな予感に気が重いが、一般人として出来ることがあれば手伝うことにしよう。断ってもペルソナに対しての依頼に話を持ってかれそうだけど。そうなれば、面倒だからなんて理由で断るのは難しいな。


 マグナカフェから20層へ続く入り口に【転移】し、そこからログハウスへは徒歩。よく見かける探検者や喫茶ゆーとぴあをいつもご利用いただいているお客様が亀を狩っているのを横目に香織とのお散歩デートというわけだ。その際、エアリスが言う。


 ーー ダンジョン化した大陸より連れ出した者たちは早々に処分するべきでは? ーー


 それはエアリスだからこその言葉だろう。殺すという意味が含まれては……いや、ないとは言えないか。エアリスにとって俺たち以外の人間はどうでもいい存在みたいだし。

 クラン・ログハウスの金銭面を把握している悠里がそれについて言わないのはなんとかやっていけているからだろう。食に関しては俺の有り余る肉ラインナップが火を吹いているが、このままではいつか底をつく事は明白。そうなる前に自立してもらわなければならないのはわかっているんだが、今それをしてはダメな気がするんだ。出ていってもらう選択肢はいつも存在してはいるのにどうしてもそれを拒否する自分がいる。人道的にとか倫理的なんてものじゃなく、本当に“何故か”だ。

 エアリスによると追い出すことで治安の悪化が予想されると言う。でもエアリスにとってそれは“処分”する口実になるかもしれない。元から殺す事への忌避など微塵も持ち合わせていない言動が当然のエアリスだが、ハフク・バベルから帰って以来、俺が嫌がるからしないだけ、という感じがより強まったからその点に絞れば追い出すことは尚更得策じゃないな。


 「悠人さん、最近は“夢”、見てないんですか?」

 「実は帰ってきてからまた見てる。でも前とは内容とか舞台が変わってきてるんだ。なんでかその内容も前より覚えてるし」

 「どんな内容なんです?」

 「今とは違う自分になってるみたいな感じかな。平気で人殺してたりするし、結構きつい時ある……」

 「香織はいるんですか?」

 「出てきたり出てこなかったり。他のみんなも」

 「そうなんですね。もし今夜も夢を見たら、がんばって夢に出ますね!」

 「そりゃ心強いね」

 「ふふっ。そうでしょ?」

 「うん」


 夢ではログハウスにいる全員が一度に出てくる事はなく、誰もいない事だってある。地上が崩壊、またはその寸前だという漠然とした想いを抱えながら、俺は仕方なく“敵”を全員殺そうとしていた。でも香織が出てくる夢での俺はほとんど人を殺さない。その代わりをするように香織がその役をしていて、それはそれで苦々にがにがしく感じていた。少しだけの昼寝やうとうとしただけでも見るんだからたまらない。救いがあるとすれば、ある決まった時から先に行けない。そうなる事がわかっている俺は安心して夢の終わりを待つ。

 そういえば、エアリスは出てこないな。目に見えない誰かと会話していると感じた事はある。でもそこだけ切り取られてる感じだ。その夢は誘拐事件の後からだから普通に考えてハフク・バベルが影響しているのかもな。

 ……っと、でかい亀がいる。


 「『来い、エアリス』。周囲に探検者いないし、あのボス亀狩ってきて」


 一見何もいないように見えるが、ポツンと岩が生えている。20層草原には岩がゴロゴロしているところも数あるが、ここはその場所じゃないし、そうだとしても岩がひとつだけなんてのはなかなか無い。それに以前よりも効果が高まった【神眼】によると、地面の中からこちらを窺う巨大な亀がはっきりと見える。


 「実体化に慣れる練習台になっていただきましょう」


 俺が出来ることを代行出来るエアリスの戦い方は参考になる。

 地面から首を現し食らいつこうとする亀に【拒絶する不可侵の壁】を噛ませた後、見えない壁を膨らませる事で亀の巨大な顎を外し無効化する。ならばと巨体を現し踏みつけようとすると……


 『大地よ、喰らいつきなさい』


 それまで亀を守っていたかのような地面は【神言】による命令に従い反旗を翻す。亀に群がる土の山はそれでも拘束力が足りず、もがけばパラパラと崩れ始めてしまう。しかしそれもエアリスの計算のうちだ。一部他よりも柔らかく拘束していた前脚が土の壁を突き抜けエアリスを踏み潰さんとするが、浮遊する銀刀がその脚を斬り飛ばす。亀は前のめりに倒れ込み、その衝撃で土の山は崩れ去った。


 「さて、終いにしましょう。『銀刀よ、斬り刻みなさい』」


 命に従い【不可視の衣】によって隠されていた銀刀は亀を文字通り斬り刻んだ。然も意思を宿しているかのように飛び回って。


 「予備とはいえさすがワタシ作の銀刀ですね。亀程度であれば問題ありません」


 参考になるとは思ったが今回に限っては嘘だ。予備の銀刀を八本、それぞれ個別に浮遊させて操るなんて脳みそが七つ足りない。


 「マスターも訓練すればできるようになるかと」

 「そりゃ無理ってもんだ。つかもうちょっと苦しまないようにしてやれよ」

 「しかし体に慣れる練習でもありますし、ワタシの有能さアピールでもあります。加えてマスターへの戦術の提案でもあります。つまりプレゼンテーションです。そしてこれが最も重要なのですが……カッコよくないですか?」

 「さあ、どうだろうな」


 なんだろうな。提案されても困る戦い方だ。でもあれが出来るようになれば、広範囲をカバー出来そうでもあるし、最近は出会っていない強敵にも対抗する手段になり得るかもしれないな。まぁあれだ、カッコよさに惹かれたわけでは決して無いが、こっそり練習しよ。


 「すごいですね。香織も負けないようにしなきゃ」


 などという香織。ステータスが爆上がりしたはずの俺は先日エテメン・アンキで模擬戦をした。なぜか負けた。いつ訓練してるのかわからないが、俺が強くなったと思っているとそれをうまさでもって凌駕りょうがしてくる。能力を十全に使えば負けないとは思うけど……いや、それでもちょっと不安だな。



 ログハウスに戻るとクロノスがいつも通りの微笑を浮かべ、リビングのソファーに座っていた。その膝の上にはフェリシアが甘えるように頭を乗せて眠っていて、クロノスの手はフェリシアの緑髪を撫でるように優しく添えられている。


 「クロノスさん、お茶飲む?」


 返事はない。まぁいつも通りだ。フェリシアが甲斐甲斐しく世話しているおかげか全く動かないわけではなくなったとはいえ、自分で食事やお茶を飲んでいるところを見たことはない。声を掛けるのは一種のリハビリ効果に期待して、だ。

 キッチンへ直行した香織を手伝うため後を追おうとすると、【神眼】はクロノスの僅かな動きを捉えた。


 「きを、つけて……くりかえし、ては、だめ」

 「おお……しゃべった」


 俺にやっと聴こえる程度の声で言ったのは香織の事だろうか。たしかにまたあんな事になったら次はどうにもならないかもしれない。あの時クロノスは自らを断片と言っていた。何もしなければもっと自由にできていたんだろうけど、それでも助けてくれたクロノスの言う事だ、忘れないようにしなきゃな。


 「また、なにか……あれば……手伝う、わ」


 たどたどしいながら手伝うと言ってくれたクロノスの瞳に陰りが窺えたように思うが、それは一瞬だった。それからは表情を変えることもないし、記憶が戻ったってわけでもなさそうだが……


 「なんでだろうな、ほんと俺は恵まれてる……」


 クロノスに何か頼まれた気はするけど思い出せないことが歯痒い。頼み事と言えば探し物だろうという先入観はあるが、だとしてもなにを探せばいいやら。それに一瞬見えた陰りの意味はなんだろうか。もしかしてもう何か間違った? いや、そんなことを考えても仕方ないかもしれないけど。ともかく今は、クロノスとフェリシアの母娘おやこにとって良い時間になればいいな。



 記憶を無くした時の魔女は、膝の上で小さく寝息を立てるフェリシアへと慈母の瞳を向けていた。まるでこの穏やかな時を慈しむかのように。




七章 終

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