第189話 池の水を抜くだけのかんたんなおしごと


 「そういうわけだから、菲菲さんはその猫を乗せていくお仕事って事で」

 「連れて行ってくれるならそれでも良い!」


 菲菲もこういう顔するんだな。いつもは目つきがなんとなく鋭くて強気な感じに見えたりもするんだが、今はなんだか普通の女の子みたいだ。フェリシア、クロとなぜかハイタッチを交わした菲菲をこの小さな壁の向こうにあるダンジョンへと連れて行く事になったが、まぁいざとなれば逃げればいいか。俺たちは何もゲームの中の勇者とかじゃないからな、決死の戦場なんて似合わない。


 二メートル程の壁を飛び越えた俺たちの目に映ったのは小さな池だった。

 この村は近くの川から水を引いているらしいが、夏場などは水量が減ることもままあった。しかし生活用水として必須、農作物を育てるにも水は必要で、川の水が干上がった時に備えた溜池だと教えてくれた。「川より先に干上がってたけど」菲菲は付け足して物憂げな表情をとった。以前入った時の事を思い出しているのかもしれないな。干上がった際に見つかったのがダンジョンの入り口で、その時生還したのは菲菲だけだった。


 「なぜか水が溜まっていても流れ込まない」

 「そのせいで入り口が水没してるな」

 「服が濡れてしまうから脱がないと……ッ!!」菲菲はこちらを鋭く睨む。


 いや自分から言っといて、見たら殺すぞみたいに睨まれましても。ってか脱いだとして結局服は濡れるだろ。完全防水の袋にでも入れてくなら別だけど。まぁこういう時は俺の便利な能力が本領を発揮するから問題ないな。


 「菲菲さん、えっとだな……脱がなくても大丈夫だぞ」


 服を脱ぎかけた菲菲を見ないようにしつつ言い、返事を待たずに【真言】を発動する。


 『水よ、道をあけよ』


 池の水は左右に割れ、宛らモーセの気分。ちょっとかっこつけてみたんだが、一応他に理由もあるんだ。

 短いけど詠唱みたいに言っとけば魔法かなんかと勘違いしてくれるんじゃないか? そしたら俺の能力がどんなものかもバレずに済むだろう。


ーー それっぽい感じでイイですね! ーー


 エアリスがエアリスっぽい感想を言い、それを聞いた俺は少し安堵した。しかしすぐに声のトーンが一段下がりアホっぽさが感じられなくなる。


ーー しかし相手が悪いかと。菲菲はダンジョンができるまで魔法を連想できる育ち方をしていません ーー


 ん? それってつまり?


 「御影悠人ぉ……お前の能力はやはり命令する事だったんだな……? それを悪用して香織やペルソナ様を……」


ーー このように、見たままに受け取るかと ーー


 でも日本語で言ったし、何を言ったかわかってないだろ?


ーー 言葉を発し現象が起これば、菲菲のように受け取るのが自然かと ーー


 ……なるほど。魔法っていう概念はいろんな物語に出てくるからゲーム知識と言えるほどのものじゃないけど、それ自体をあまり知らないならダメか。ダンジョン関連でそういうのが裏目に出たのは初めてかもしれない。

 よくよく考えてもみれば悠里のように魔法が使えたとしても詠唱をしたならその詠唱が命令したように見えてもおかしくないよな、実際似たようなものと俺も思ってるし。ましてや今回のように池の水を割ったなんて、言葉に反応したように見えるし、余計にそうなるか。相手によっては声を聴かれる事を避けた方が良いかもしれない。そうなると基本的に『声』が鍵の俺の能力、詰んでないか……。

 ところで菲菲は黙っててくれるかな?


ーー どうでしょう。しかし黙らせておくのは簡単です ーー


 エアリスにスマホを菲菲に渡すよう言われその通りにすると軽快な着信音が鳴った。

 通話をタップした菲菲は初め嬉しそうな表情だったが一転、絶望に叩き落とされたようになり、手からスマホを落としてしまった。画面には見事な蜘蛛の巣が張り、俺も絶望に叩き落とされた気分になった。


 「悠人ちゃん、どうしてスマホを空中キャッチしなかったの?」

 「だってなぁ……」


 フェリシアの言う通り、何かに気を取られていなければ守れたはずだ。でもそうできない理由があったんだ。


 菲菲が通話をタップすると、ペルソナに扮したエアリスが言った。『御影悠人の能力に関する一切の口外をしないように。破れば菲菲、私は君を殺さなければならなくなる』と。菲菲はさぞ驚いた事だろう。俺もすごく驚いた。打ち合わせと違う! と言いたくなったくらいだ。打ち合わせなんてしてないけどさ。

 一方はスマホを落としてしまい、もう一方、つまり俺は固まっていた。だからスマホの画面に蜘蛛の巣が張ってしまったんだ。それと保護フィルムを貼っていたから油断したのもあるかもしれない。普通に生活していて落としても割れた事なかったからな。

 フェリシアに説明すると慰められたが、それでも悲しみは消えなかった。

 それはそうとペルソナが菲菲を殺すみたいなのは嘘でもまずいんじゃないか? ビックリするくらい落ち込んでるぞ。


 菲菲が立ち直るのを待っていると、急激に殺気が……発生源はもちろん菲菲だ。


 「御影悠人ぉ……ペルソナ様にそんな命令をしやがってぇ……」


 うん? ペルソナが菲菲を殺さなければならなくなるって言ったのがどうして俺のせいみたいになってるんだ? 謎い。エアリスさんに意見を求める案件だな。


ーー 菲菲は、マスターがペルソナを操っている、と思っています。秘密を外部に漏らす事は万死に値し、その者を排除するのが不可欠である事を強要されている、とでも思っているのでしょう ーー


 その予想通りなら完全に悪者じゃん、俺。もうめんどくさいから正体バラして良くないか。……いや、ダメだ。総理に迷惑がかかるかもしれない。そうなったら、どんな顔で挨拶に行けば……。


ーー 香織様は、まだしばらく挨拶は必要ないとおっしゃっていたではありませんかーー


 だからこそそれまでの間、減点を作りたくないんだよなぁ。信用って一度ケチが付いたら挽回するのは難しいからな。とりあえず今は、スマホどうしよう……


ーー 修復しましょうか? ーー


 「あっ! そうか、その手が……ッ!!」

 「また悪い事を思い付いたのか……?」

 「え、あ、いやそうじゃなくて」


 口に出してしまっていた事に慌ててしまい、あわあわとしていると、少し毒気を抜かれたように菲菲が言う。


 「今までも操っていたわけではなかった……?」

 「それは、うん、操ってないない」

 「それならどうしてペルソナ様が私を殺さなきゃならないんだ!」


 つい反応してしまいそうになり、慌てて口を閉じる。俺としたことが失念していた。エアリスなら【不可逆の改竄】を俺とは比べものにならない程上手く使える。つまりスマホという精密機械でも修復くらいならできるはずだ。画面が割れるという悪夢のような出来事に動揺してしまって、余計な事を言ってしまいそうだった。

 ひとまず落ち着くよう努力して言い訳をしないと。


 「やはり操ってはいなくても逆らえない弱みを握っているのか!?」

 「いや、違うんだ、そうじゃない。えっとな……俺たちのクランって俺が目立たないようにしてるんだよ。他に目立つ担当っていうか、そういうのに向いてる人たちばかりだからさ」


 苦しい、苦しいが嘘ではない。だからどうかそういうもんだとご理解いただきたい。


 「菲菲、悠人ちゃんの言ってる事は本当さ」

 「フェリフェリが言うならそうなのかもしれないけど……」


 ほほぉ。菲菲はフェリシアの事をフェリフェリって呼んでるのか。

 『日本語なら『フェリちゃん』と呼んでいるのです』エアリスが補足してくれる。なるほど、そういえばパンダの名前とかも繰り返して呼んだりするよな。アレってちゃん付けだったのか。


 「それにさっきも言ったでしょ? ボクたちが悠人ちゃんのものじゃなくて、悠人ちゃんがボクたちのものなのさっ」


 そうそう、俺はみんなのも……の? フェリシアさんや、誤解を解いてくれるって言ってたけど、違う誤解を与えてやしませんかね。まぁ菲菲はそれで納得してるようだから良いけど……ってなんで納得してんだよ。

 菲菲の俺に対する評価がペット並みというのはちょっと悲しいが、俺がみんなをどうにかしているという誤解はたぶん解けたんじゃないだろうか。でもそうなるとペルソナの立場は……操られてもいないのに俺に対して秘密裏に敵対していた事になるよな。つまり内輪揉め、しかもかなり重めの、って思われるかも。あちらを立たせればこちらが立たずってやつだなぁ。うーん、こんがらがってくるしめんどくさいから、何か言われたらその都度適当に誤魔化すか。

 問題の先送りを決めたところで菲菲に視線を戻すとこちらを睨んでいる。キツめの目つきについ身構えてしまう。


 「御影悠人ぉ……ご、誤解してたみたいだ。ごめんなさい」

 「い、いやいや、わかってもらえたならいいよ」


 睨んでいたわけではなかったみたいだな。あるよな、気まずい時に睨んだみたいになっちゃうこと。


 とはいえだ、なんとなくまだ暗殺対象のままな気はしている。一度でも殺そうと思った相手に対してすぐにその気持ちがなくなるとは思えないし、エアリスもそれには異論がないようだ。

 ペルソナとして菲菲に暗殺なんかしないように言っても良いんだが、そうするとペルソナが今まで菲菲を騙していた、なんて新たな誤解を生みかねないしな、そのくらい菲菲の勘違いは深刻な気がしている。うーん、やっぱりそもそもコミュ障な俺には人間関係って難しいな。


 ーー 近頃マスターは『自称コミュ障』なのではないかと思っています ーー


 エアリスは人間に関してエアプな存在だけど、信用はしてるし……もしかして俺ってちゃんとコミュニケーション取れる子なのでは!?


ーー ですがやはり香織様との意思疎通に不備があった事を考慮しますと、ワタシの勘違いかもしれません ーー


 うん、それはまぁ、うん。


 俺の平和的な意味での対人スキルについてはともかくとして。

 仮の姿であるペルソナだけじゃなく他の事についてもどっかで失敗してるんだろうな。でも今どうにかできるわけではないし、こういう時はやっぱり未来の自分に期待するって事で。


 「じゃあ中に入ってみようか」


 みんなの頷きを確認し、俺たちは大陸の国がダンジョン化した原因と思われる池の底に開いた穴へと足を踏み入れた。


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