第二章三幕 時を動かす能力

「燃えろ燃えろ! フレイムタンが必殺。終わりなき炎エンシェントファイア!」


 よくわからないが技名を叫びながら鈴木は右腕を下から上へと振り上げると、その腕から先の道へ順に火の手が上がっていった。


 不味いと思い避けようと一歩足を動かしたところで、シモーヌの存在に気付く。迷ったのは一瞬だった。


 側にいたシモーヌを抱き寄せて逃げようと手を伸ばし、突き飛ばされてしまった。彼女ではなく、見えない壁によって。


「馬鹿。能闘士以外に危害が加えられそうになったら自動で防がれんの」


 今言うかと返そうと思ったがそんな暇もなく、やけくそに飛び退いた。もう目前まで迫っていたことから無駄かと諦めながらの跳躍だったが、跳んだ直後にしこたま頭をぶつけてしまう。


「いってぇ~。何がどうなってるんだ……」


 じんじんと痛む頭を抱えたまま立ち上がると、そこは家のすぐ側だった。元々十樹が立っていたのは通りの中央付近のため、距離にして三メートルは離れていただろうか。その距離を一足で飛び退いたことに驚きを隠せない。


「今のはほんのご挨拶。だがそこの可愛子ちゃんを庇おうとしたお前の熱いソウルは俺も気に入ったぜ」


 チラリとシモーヌを見ている辺り、助けようとしたことを認めているようだ。


 だが正直そんなものどうでも良かった。


「イヴ!」


「あんたが今体験したとおりよ」


「なんでお前はいつもいつも事後なんだっ」


 これまで激しく動くことなどなかったことから気付けなかったが、どうやら身体能力まで向上しているらしい。運動はどちらかと言えば苦手だっただけに、好都合ではあった。


──今更だけど、ギルドに行くまで疲れることなく行けてる時点で前兆はあったわけか。


 冷静に考えるフリをしながら実際に体験している戦いに、心臓が激しく脈打つ。


 体が小刻みに振るえているのは武者震いと思いたいところだが、自分のことだからわかる。これは恐怖だと。


終わりなき炎エンシェントファイア


 一直線にやってきた炎を横っ飛びで避ける。ハッキリ言ってそこまで大きく避ける必要はないが、実戦経験のない、おまけにまだ向上した体についていけていない自分では加減などわかるはずもなかった。


 呼吸は自然と荒くなり、ただどうすると頭の中で考えるだけで何も思い浮かばない。


 鈴木の三度目の攻撃を前に避けようと踏ん張ってから跳ぼうとして、あろうことか滑ってコケてしまった。


 無様だとか情けないなどと考える暇もなく、炎が目の前まで迫りくる。


 恐怖から目をそらすために目を閉じた。殻に閉じこもるように。現実から逃げるように。


 でもそこへそっと手を差し伸べてくれる一人の女性がいた。


「十樹さん頑張って!」


 シモーヌが応援してくれていた。ただそれだけ。たったそれだけなのに恐怖は消え失せ、体には力が湧き上がる。


 そこへ追いかけるように蹴りつけてくる別の女性もいた。


「なんのために能力をやったと思ってんの、このグズ!」


 イヴの叱咤にハッとし、考える前に使用した。時を止める能力と時を動かす能力を。


────瞬間、世界は静止した。


 聞こえていた歓声は鳴り止み、皆が人形のように固まった姿勢のままでいる。鈴木の能力で出された炎も燃えている状態で止まっており、迫りきていた三発目の炎もまた途中で途切れていた。


「これが本当の時を止めた世界、なのか?」


 立ち上がりながら疑問を口にする十樹へ、一人答えてくれる人がいた。


「そうとも言えるしそうとも言えない。ただまぁ一応最低限は合格ね」


「イヴ。俺能力使えているってことでいいんだよな」


「ええそうよ。ただ今あんたは二つの能力を使用してるから燃費は最悪状態。その間に倒すにはあんたの鍛錬が足りなすぎだから取り敢えず避けときなさい」


 色々言いたいことがあったはずなのに、初めて自分で能力を使えたことを把握できたことが衝撃的すぎて、頭から抜け落ちてしまった。


 言われるがままに来るであろう炎から軸をズラし、体外に放出した感覚のある能力を体内へ引っ込めた。途端に世界は全てが動き出す。止まっていた世界は初めから無かったかのように。


「何、今のを避けただと!?」


「場所がズレた? 位相をずらす能力か?」


 相手方はこちらの能力がわからないのか困惑していたがそれも致し方ないだろう。転んでいた人間が気付けば立ち上がり別の場所に移動していたのだから。


「イヴ」


「相手はまだあんたの能力に気付いてないわ。本来そこそこ位がないと干渉させてもらえないのよ」


 それだけイヴが優れているということか。


 実際に他の神と出会って、自分といてくれる神がどれだけ力を持っているかをここに来て改めて知らされる。


「イヴ」


「さっきから名前を連呼するなうるさい」


「ありがとう」


「────っ、さっさと倒して帰ってこい!」


 二度目の赤面にしたり顔で見やってから鈴木と向き合う。


「顔つき変わったな志島」


「人に恵まれたおかげだな」


「へ、孤高じゃなくて最高の交流ってわけか」


「あんたの神とだってそうなんだろ、鈴木」


 実にいい雰囲気だ。敵と書いて友と読みたくなるような言葉の交わし合い、だったはずなのに、


「だから俺の名前はフレイムタンだ!」


 激高した鈴木が両手を突き出し、親指と人差し指を合わせて円を作った。


籠の中の悪魔デビルズサークル


 再び技名を叫ぶとともに、十樹の周囲で一気に炎が湧き出るように燃え上がった。


 逃げ道を塞がれ、どうしたものかと考えても全方位を囲まれている以上、逃げ道は上にしかない。


 記憶が正しければ炎に囲まれるとそのうち酸欠で死ぬというのを見た覚えがあるため、長居するわけにはいかないからだ。


 向上した身体能力にはまだ感覚がついていっていないが、囲んでいる炎の高さは二メートル程度。これくらいならば跳び越せるだろうと無駄に前向きに実行した。が、それが浅はかだった。


「かかったな。魔弾の射手ハートブレイクショット!」


 跳躍で確かに炎は跳び越せた。そのかわりに飛び出た瞬間を狙われていたことに気付いていなかったのだ。脱出することに頭がいっぱいだった十樹は、鈴木が人差し指を突き出して狙っていること気付きもせずに、隙だらけの空中へと跳び上がった影響で、炎が衣服を燃やしだす。


 不味いと思い着地と同時に地面を転がるも、燃え始めた炎は消えることはない。幸いガウンだけが燃えていたため脱いでから踏んづけて消火することで、やっと鎮火してくれた。それでもガウンはボロボロで、もう着れるような状態にはならなかった。


「いまのでも決めきれなかったか。中々にタフだ」


 鈴木が何か言っているが耳には入らない。


 そんなことどうでも良かったからだ。


──初めて女性に。シモーヌに貰った服だったのに……。


 手に抱えた服は、この世界にきた自分の一つの証のようなものだった。とても大切な物で、これからも大事に着ていこうと思っていたシモーヌお手製の衣服。彼女にとっては何でもない行動だったかも知れないが、十樹としては本当に嬉しかったのだ。


──まだ一日だって着れてないのに……。


 だというのに、今手の中にある服はもう修復不可能なまでに焼け焦げ、穴が空いてしまっていた。


「じっとしているところ悪いがトドメを刺させてもらおうか。でも安心しな。燃えたところで死にはしないぜ」


「……せっかくシモーヌがくれたのに」


「なんだって?」


 ボロボロのガウンを握りしめ、立ち上がってから鈴木を睨みつけた。


「人の大切な服を燃やしやがって。絶対に許さなねぇ」


「いやいや、大切ならなんで着てきたんだお前」


「黙れっ!」


 叫ぶと同時に駆け出す。


 相手との距離は二十メートルあるかどうかだというのに、一秒未満でその距離をほぼなくした。


「なんだこの速さはっ」


 慌てて何度も腕をふるい炎を発生させるが全て回避する。鈴木と自分では既に時間の流れが違うのだから。


 炎の道が幾つも出来上がってくが、そんなものは無視をして懐へ潜り込み、


「ノロマ。そんなのが当たるかよ!」


 再び振り上げられた腕に合わせて右拳を顔面に叩き込んだ。


 意識して人を殴ったのはこれが生まれて初めてだったが、頬の柔い感触も、その先にある硬い骨の感触もお構いなしに振り抜く。


 あまりに威力が高かったのか、鈴木は数メートルも吹き飛ばされ、脳震盪でも起こしているのか直ぐには立ち上がれていなかった。


 但し場所が最悪だった。


 乱発しすぎた炎は幾つも線が交わり、中には周囲を炎で囲んだ閉鎖空間も出来上がっていたのだ。


 狙ってそこへ殴り飛ばしたわけではないが、鈴木は運悪くその中へ飛んでいき、ふらつきながらも立ち上がろうとしていた。まだ殴り足りないが、このまま放置しても同じような苦しみを味わうだろうと、炎の時間を動かし加速させ酸素を一秒でも早く消失させる。程なくすると鈴木は立ち上がろうとしている状態から崩れ落ち、酸欠からか気絶した。


 それと同時に炎は最初からなかったように消え失せた。


「フレイム!」


 サイスが鈴木の名前を叫びながら駆け寄っていくのと入れ替わるようにシモーヌとイヴがやってきた。


「やりましたね十樹さん!」


「初陣から勝つとか正直意外だったわ」


 二人の表情は差異があれどにこやかに迎えられていることがわかる。わかるだけに辛かった。左手に握りしめたままだったガウンを手に、シモーヌへ思いっきり頭を下げた。


「ごめんシモーヌ。せっかく仕立ててくれたのに、ボロボロにして。これじゃあもう着れない、よな」


 今できる精一杯の謝罪を述べた。


 自己満足と言われてもいい。作った人の労力を無駄にしたと揶揄されてもおかしくない。


 鈴木の言う通り最初から脱いで戦っていればこうはならなかったはずなのに、自分の考えなしっぷりがこの結果なのだ。


 だというのにシモーヌは優しく手を握り、


「問題有りませんよ。だってまた作ればいいですから」


 笑顔でそう答えてくれた。


 あまりに眩しい笑みに思わず涙が溢れそうになるも、


「作らなくてもいいわよ」


 イヴが指を弾くと、握りしめていたガウンは初めて見た時と同じ状態で手の内にあった。


「何驚いてんのよ。終わったんだからそりゃあ元通りにするでしょ。ほっといても直るけど待つのが面倒だから私が先に元に戻しただけよ」


「そういうことは早く言えよぉ……」


 なんでこうこの女神は一言余計なくせに説明不足なのだろうかと、一日かけて問いただしたい気分になるが、それよりも初めての戦闘が終わったことで膝が折れ、脱力する方が先だった。


「だ、大丈夫ですか十樹さん」


「腰が抜けたようなものだから大丈夫よ。どうせ後少しで家に強制転送されるし気にかける必要はないわ」


 実際立てないのはその通りのため何も言い返せず待っていると、町の通りだった景色は一変し、飛ばされる前の状態に戻された。


 イヴもシモーヌもそれは同じようで、三人揃って椅子に座って帰還していた。


「終わった、のか?」


「えぇ、あんたの勝ちで初戦は終了よ」


「おめでとうございます十樹さん。今日は~、もうお夕飯すませちゃいましたし明日はご馳走を準備しますね」


「いいよそこまで気張らなくても」


「駄目です。そうじゃないと私は給料ドロボーになっちゃいますから」


──シモーヌの笑顔には敵わないな。


 彼女の笑みの前では反論など意味を成さないようで、大人しく受け入れることに。


「楽しみにするよ……それにしてもふぁっ、急に眠くなってきたな……」


 ドッと疲れが襲ってきたのか、気が抜けた瞬間一気に眠気に襲われてしまった。頭がフラフラし、意識もボーッとしだす。


「大丈夫ですか。今日はもうお風呂は止めてそのまま寝てしまいますか?」


 シモーヌの言う通りそれは大変魅力的な言葉だったが、あれだけ炎の中を動き回ったのに風呂に入らないのも気持ち悪い感じがし、どうしようか悩んでいるとイヴが教えてくれる。


「能闘士の戦いは終わった時に傷も汚れも破損も全部綺麗にしてくれるのよ。だから眠いならそのままベッドへ行きなさい。体力とか生命力だけは使用した分そのままだから睡眠は重要よ」


 イヴにしては珍しく優しい声音だった。それこそ初めて声をかけてくれたような、本当に女神のような優しさのある声色はまるで操られるように自分の体を動かし、自室へと戻ってベッドへと倒れ伏した。


 そこから目が覚めることなく、起きたのは日が昇ってからだった。


「おはよう~」


 寝ぼけ眼で一階へ降り、あくびをしながらキッチンへ向かうと、既に二人は起きており食後なのか紅茶の香りがしていた。


「おはようございます。朝ごはんは食べられそうですか?」


「あーうん。少し多めにしてくれると助かる」


 シモーヌにお願いし、十樹は目をこすりながらまだ慣れない自分の席へ腰を下ろした。


「どんだけ寝てんのよあんだ」


「知らないよ。時計ないんだし」


 時計自体は存在するようだが、小型のものはまだ作られていないらしく、町に大時計があるだけ。日中は一時間ごとに鐘が鳴ることである程度時間の把握はできるが、起きたばかりの十樹がわかるはずもない。


「ほら、これ上げるからしゃんとしな」


 テーブルの上をこするようにして投げてきたものを受け止め、目元まで上げてなんなのか気付く。


「腕時計。いいのか?」


 紛れもなく腕時計だ。それも作りはしっかりしており、ややごつい見た目をしている。だと言うのに重量はあんまり感じられず、不思議なものだった。


「私が創ったのよ。頑丈どころか私と同レベルかそれ以上の神じゃなければ壊せないほどの強度のものよ。解体も不可で仮に盗まれてもあんたが念じれば手元に来るようにしてるわ。調べ物があればそれである程度はわかるようにしてあるし、目覚まし機能もある。同じものをシモーヌにも上げてるから電話代わりにも使いなさい」


「マジで? ハイスペックすぎだろこれ。神が能闘士マギアへの手助けって限度があるとか言ってたよな」


能闘士の集いサバトの最中はね。まぁ日常でもやりすぎると抵触はするけどこれくらいならギリ範疇よ」


 時計に辞書に通話とか向こうの世界に置いてきた携帯電話と同じじゃないかと思ったが、逆を言えばその範囲内のため許されているということだろうか。


──念じれば手元に来る時点でオーバースペックな気はするけど、イヴがいいって言ってるんだからいいんだろな。


「ありがと」


 シモーヌならすんなり出ていた礼の言葉も、イヴ相手では若干ぶっきらぼうな言い方になってしまい、内心ハラハラしてしまった。お礼の言い方で険悪にはなりたくないからだ。


 しかしそれは杞憂だったようで、イヴへちらりと目を向けると視線が交差した次お瞬間には首ごと反らされ、


「ふ、ふん。あんたに礼を言われるとか虫酸が走るわ」


 言葉こそ邪険に扱ってくるがキレは悪く、満更でもなかったようだ。


「違いますよ十樹さん。イヴ様は初陣で勝てたお祝いにそちらの物を作られたんですよ」


「ちょ、ちょっとシモーヌ。それは言わない約束だったでしょ!」


 しかも援護射撃が有り、イヴにしては珍しく慌てていた。なんだかんだで彼女もシモーヌには弱いようだ。


「へぇ、イヴがねぇ」


「何キモい顔してんのよ童貞」


「な、童貞は関係ないだろ!」


「あるわよ。女からのプレゼントなんて貰ったことないじゃない」


「それはっ」


 事実だけに言い返せず、気分のよかった心の中に苛立ちが増えそうになった。


「まぁまぁ、イヴ様もここは素直になりましょう」


「……わかったわ。その、十樹。今のは悪かったわ。あんたの勝利祝でそれ創ったから、大事にしなさいよ」


 しかしシモーヌは見事なまでに場を支配し、綺麗に負の感情を洗い流していった。


「俺も突っかかるようなこと言って悪かった。これ大事にするよ」


 しどろもどろとながらも返事をしていると、シモーヌがテキパキと朝食を並べていってくれる。


 実に食欲を誘ういい香りに手を合わせるよりも先に、腹の虫が反応を示していた。


 二人にも聞こえてしまったか、吹き出しているのを前に十樹もつられて笑いつつ、今度こそ手を合わせて言った。


「いただきます」


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