18.コラン温泉(ローラン王国)


 温泉地は朝食が良い、と言ったのは誰だったろうか。

 宿の朝食に出てきたパンがゆと野菜のスープを見て、ふとそんなことを思った。どれも優しい味わいで、昨夜、少し飲み過ぎた体にはちょうどよい。


 窓の外はしんしんと雪が降っている。積もっている雪が音を吸収しているのか、冬のコランの町は静かだった。


 どうせなら新年をロナウドの故郷で迎えるようと意気投合した私たちは、本格的な冬になる前に大森林に向かうことにしたのだけれど、その大森林の入り口ともいえるコランに来たところで大雪となってしまい、待機を余儀なくされている。


 周囲を大森林に囲まれたコランは渓流が流れる山間の町である。大森林の浅層域にあるこの町が、実質、交易ができる町としては最奥の地となる。渓流沿いにある町で、人口は1000人を少し越えるくらい。多くが林業と狩猟を生業としていて、2割が冒険者である。辺境らしく、気性が荒いというよりは大ざっぱな性格の人が多く、生きていく強さがあるように思う。

 それに環境が厳しいせいか団結力があって、荒くれ者のように見えても面倒見が良いというギャップがある。厳しい環境では助け合わないと生きていけないからだろうけど、そう考えると案外、慣れれば過ごしやすい町なのかもしれない。


 この町に到着してから今日で4日。なんでも10年ぶりに早い大雪らしくタイミングが悪かったとしか言いようがない。もっともロナウドが言うには中層域まで行けば、そこから彼の故郷に安全に行く手段があるらしいので、この大雪がひと段落したら出発する予定でいる。


 木材が豊富なだけあって、宿泊している温泉宿セコイアもほのかに木の香りがただよう癒やしの空間となっている。ロビーには大きなストーブがあり、薪が燃える様子を見ながらミルクティーを飲むが気に入った。この雰囲気をどのように説明すればいいのか……。木造の部屋の中心に置かれた鉄製のストーブ、そこから排煙パイプが天井までのびて横に曲がって外に続いている。窓の外には雪が降っていて、聞こえるのは薪が燃える音だけ。雪国の情緒とはこのようなものだろう。


 これだけ雪が降るとさすがにやることがない。向かいではロナウドがテーブルに肘をついてあごを乗せ、ぼーっと窓の外を眺めていた。

 どの家も、屋根から滑り落ちた雪が軒下に高く積もり、そのせいで建物全体が大きな雪山のような外観になっている。ずぼっと屋根から上に跳び出しているのは煙突だ。その向こうには大森林の巨大な木が白い雪化粧をしているのが見える。きっと夏場なら、今度はまぶしいような緑が生き生きとしている景色が見られるにちがいない。

「降ってるね」

「ほんと。いったいいつになったら止むんだか」


 期限のない旅ではあるけれど、できれば春からはアルビニの家に戻って冒険者として本格的に稼働したいところ。

 少しの焦りを抱きながら窓を見るも、そんな私の気持ちなど関係ないとばかりに、白いコットンをほぐしたような大ぶりの雪が降り続けていた。


 ため息をしつつ気だるさに体を浸しながら、昨日のことを思い出す――。



◇◇◇◇

 セコイアの主人は体の大きな壮年の男性で、昼過ぎごろに外から帰って来るや、今晩は雪鹿の肉が手に入ったからご馳走にすると言っていた。ロナウドはその雪鹿を知っているようだけれど、私は初めての肉とあって、少し期待していた。

「風呂にいくか」

 時間は昼過ぎと呼べる時間が過ぎて、夕方にさしかかる前といったところ。普通ならまだ早いけど、ここでは今ぐらいがちょうどいい時間か。

 他にやることもないしね。


 ここのお風呂場は屋内の大浴場で、なんと混浴になっている。通称千人風呂。地元の人にも解放されているから、見られたくなかったら空いている今の時間に入るのがよいだろう。当然、元貴族令嬢である私にとって、ロナウド以外に素肌を見られるのは拒否したい。


 着替えを持って廊下を進み、男女別の更衣室で服を脱いでから奥の浴室に入る。豊富な湯量であるお陰で源泉掛け流し。寒い時期だからか湯気で煙る室内、そのもわっとした蒸気にかすかに木の香りがする。よかった。すでにロナウドが入っているが、その他に誰もいないようだ。


 さすがにこれだけの広い空間だと、暖かい空気が上に行っちゃって下の方は少し肌寒い。足を滑らせないように足早に巨大な浴槽に近づいて、お湯で体を流した。「う~、さむい」といいながらロナウドの隣に滑り込む。

 そんな私の様子を笑顔で見ているロナウド。「夏場は気持ちよさそうだよな」というのに私もうなずいた。


 湯温は少し高めで、つるつるした透き通るような肌触りをしている。少し木の香りがするが、これは湯口近くに受いている木材チップの香りだ。なんでも季節によっては柑橘類の果実をネットに入れて沈めたりもするらしい。

 打ち身や切り傷に効くそうで、飲んでは胃腸によいとか。この温泉がなければコランはなかったとまで地元の人はいう。


 ここの温泉では先に湯船で体を温めてから外に出て体を洗い、再び浴槽に浸かって体を温めてから上がる。

 午前中は地元の女性たちがやってきて、お風呂に入るついでに洗い場で洗濯物をしていく。夕方は男女ともにやってきて実ににぎやかになる。もっとも、その時間帯に入ったことはない。なぜにぎやかだとわかるかといえば、部屋にまで喧噪が聞こえてくるため。特に若い男女の「おう。お前、また肉がついたんじゃないか。胸だけでなくて筋肉が」「うるさい!」みたいな声が。


 浴槽のへりに使われている木材は黒くなっている。ところどころ白いものが付いているのは温泉の成分が凝結したものらしい。同じく黒くなったはりからはランプが垂れ下がっている。さらさらと掛け流されている湯の音を聞きながら、温泉情緒をしばし楽しんだ。


 お風呂から上がった後は一度部屋に戻り、時間を見計らってから食堂に向かうことに。

 夕飯には早い時間帯だけれど、すでに飲んでいる人がいる。何度か顔を合わせたことがある人なので、「おう」「ああ」とよくわからない挨拶をしてからすみのテーブルに陣取った。

 さっそくエプロンをした女将さんがやってきたので、コランで作られたお酒「猿酒」を注文。この人も男勝りなんだけど、気の優しいおばちゃんだ。猿酒は赤い木の実を発酵させた果実酒のカテゴリに入る。酸味がある甘口のお酒で食前酒にはぴったりだ。


 コランでは酒造所が1軒あり、そこに蒸溜器具もあれば醸造器具もあって酒造りを一手に引き受けているらしい。まさに地産地消で他の町では飲めないお酒ばかり。まあ、クセがあるものもあるんだけどね。


 料理の方は、味噌に漬け込んだ鳥肉を木の葉に来るんで焼いたものほう葉焼き、そして雪鹿のローストに、秋にとれた黄色い芋をふかしたものなど野趣あふれるものばかり。おいしいのだけれど濃厚な味付けすぎて、旅人である私にはくどく感じるところもある。けれど、それもクセがあるコラン産のお酒によく合っているのだ。

 ロナウドなどは気に入ったみたいで、終始ご機嫌でお酒をおかわりしているではないか。


 すぐに地元の人たちも増えてきて、お風呂に行く人、さっそく飲み出す人とにぎやかになってきた。

 誰も彼もが顔見知りで、誰それがどこそこの誰の子供などということも皆が知っている。誰もが気安く話し合い、どこのテーブルに顔を出しても乾杯できる。飾らない人間関係、実に地方らしい。

「――おう、お前、最近はどうだ?」「は? それってナニの話? もうずっとご無沙汰でお股に蜘蛛の巣張っちまうよ」

 なかには飾らなすぎて下品な会話も聞こえてくるわけで……。思わず苦笑。


 さて私たち旅人はそろそろ席を譲るべき頃合いだろう。そう思った私は、ロナウドと目配せをしあって部屋に引き上げることに。喧噪けんそうを背中に、冷気の漂う廊下を部屋に向かう。


 お風呂を上がった時点で部屋の火鉢に火を入れておいたので、戻ったころには丁度よい室温になっていた。シンプルな木の部屋は、訪れる客などほとんどいなかったようで綺麗だけれど、どこか年代を感じさせる。大きめのベッドに机、窓は2重になっていて今はカーテンが閉められている。

 戻りがけに厨房からもらってきた樹液水をコップに注いで、ベッドに腰掛けているロナウドに渡した。シラカーバとかいう木の樹液らしいんだけれど、これが透明感のある少し甘い飲料水なのだ。よく冷えたスウィーティーな樹液水が喉を通っていく。熱を持っていた体が冷まされるような、清められるようなそんな感覚。


 ふと視線を感じてロナウドの方を見ると、赤らんで少しぼうっとした目で私を見ていた。

 ……うん。考えていることはわかる。


 コランを発てば次はロナウドの故郷セルミール。きっと彼の実家に滞在することになると思うわけで、そうなると夫婦とはいえ気が引けることが色々とあるわけで……。でも今日は飲み過ぎたかなとかって考えているのだろう。

 まったくもってその通り。


「そんな酔っ払いに抱かれるつもりはありません」

 どうせ出発までにはまだ日にちがあるだろうし。するとロナウドがばつの悪そうな顔をした。「あぁ、すまん。なんかお見通しなんだな」

 しょんぼりした彼を見て内心で仕方ないなぁと思う。夕飯が楽しかったのだろう。わかるわかる。飲み過ぎちゃうのは仕方ないよね。それは。


 そんなことを思いながらロナウドの前に立って、彼の頭をぐいっとおなかに抱え込んだ。

「今日は抱っこしてあげる。子供みたいに。――だから早く寝ましょうね」

 私のおなかに頭をつけているロナウドから「ええ~」と抗議の声が聞こえたけれど、その声はどこか甘えているようだった。

 男の人ってたまに子供になる。そんなときはこうしてやるのだ。聞こえてくる食堂のにぎやかな声を聞きながら、私は彼の頭をなで続けたのだった。


 ――そして夜が明けて今に至る。

 ぼうっと外を眺めているロナウド。無言だけれど、こうして2人でいる時間がここちよい。夜を1つ越えるごとに、私たちは私たちなりの夫婦の姿になっていくみたい。ふとそんなことを思った。


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