7.学芸都市マール(マナス王国中部州ローゼンブルク地方)


 王国に於ける著名な学園は2箇所ある。

 1つは私も通っていた王都の学園。もう1つはマールにあるマール学園だ。


 王都の学園では貴族が多くて伝統的であるのに対し、マール学園の方はどちらかといえば研究に特化しており、様々な出身地や身分の学生が在籍していて活気にあふれている。伝統に対する自由な学風とでもいえばわかるだろうか。


 さてそのマールに、テルミナから行くのには2つのルートがある。1つは陸路のマール街道。もう1つはイエルベ川を遡上して行く方法だ。どちらも利点があるけれど、私たちは馬車の護衛依頼を受け、馬車に乗ってマールまで向かった。

 外壁の内側に入ると、石畳の街道に石造りの建物が並んでいる。冬場には雪が積もることもあって、一軒家の建物は三角屋根が多い。


 この街には様々な地方の人々が集まっていることもあり、各地の料理を出す専門店もあちこちにある。また学園があるせいか本屋街もあれば、有名な商会の大きな支店もあって、経済と文化の中心地であるともいえるだろう。

 チャレンジ精神がある学生なら、学園に在籍している間に商会を立ち上げることも可能。また学園の先生の研究と商会の研究部門が協力して、新たな商品を作り出すこともある。

 そう。伝統に縛られない街だからか、ここでは成り上がるための機会があらゆる人々に平等に開かれているのだ。


 マールに到着し、ギルドに依頼達成の報告を済ませた私とロナウドは、父が予約してくれていたホテル「ザ・シルワ」に向かうことにした。前に泊まったことがあるけれど、3階建ての大きなホテルで、実は母メアリーが出資しているクリス商会の経営だったりする。


 かつて追放になった私を無事に他国へ連れて行こうとしてくれたのも、この商会だ。結局あの時は、途中でクラーケンの襲撃を受けて私は海に転落。乗っていた外洋船1隻も難破状態で近くの浜辺に漂流してしまったそうだけれど、重傷のクルーはいても死者は出なかったらしい。


 マール学園にはスタンフォード家の支援を受けた学生もいて、このホテルは彼らの集まりサロンや、スタンフォード家主催の会合をマールで行う際の会場として大いに利用されている。そのため、ザ・シルワには貸し出し用の大ホールと小ホールがある。


 実はマール学園のとある教授、この人もうちの支援を受けている、からの依頼で、私たちはマールにしばらく滞在する予定。その間に学生との交流もする積もりでいる。

 実家絡みの仕事なのでロナウドには悪いけれど。その代わり宿泊費を父が持ってくれるというのだから、引き受けざるをえない。なにしろ、ここ、一応は高級ホテルですから!


 ホテルに向かう道すがら少し観光に。お目当ての場所はマール音楽堂だ。

 音楽にも長い変遷の歴史があって、ここマールからも多くの偉人が活躍していた。そのなかでも最も有名なのがマール古典派の楽聖ヴォルデウス・アマールトである。


 神童、音楽の神に愛された少年など。いくつもの通称があるヴォルデウスは、自ら演奏旅行をするかたわらで優れた多くの曲を作ったが、わずか38歳にてこの世を去った早世の天才音楽家。

 16歳にしてマナス王国の宮廷音楽家になったものの、24歳で解雇され、以後はここマールを拠点にしながら学園や他の音楽家と交流を持ち、マールに豊穣な時代をもたらした人である。実はスタンフォードのご先祖様もパトロンの一人になっていた。


 大きな音楽堂の前に、ヴォルデウスが他の音楽家と談笑している様子が銅像になっている。

 それを横目に音楽堂に入り見学の手続きをする。ここにはコンサート用の大ホールもあるけれど、この日は何も予定が入っていないようで、閑散とまではいかないが思ったよりも空いていた。

 まあ、私の目的は音楽堂内にあるヴォルデウスゆかりの品々を展示した博物館にあるのだから、人が少ないのは却って良かったといえる。


 ヴォルデウスの生涯をゆかりの品々を展示しているケースの1つに、生前、彼が演奏旅行先から妻に宛てた手紙が展示されていた。


――ねえ。クリス。いま僕は写真の中の君を見ながら、この手紙を書いているよ。

 もう演奏旅行をはじめてから1ヶ月だ。今は王都にいる。伝統ある国立演芸場で、僕の作曲した交響曲が宮廷の楽団によって演奏されたんだ。

 国王陛下も列席だよ。ここが最初の演奏になるから、もう開演前は心臓の鼓動が破裂しそうなくらいだった。それが! ああ。素晴らしかった。普段は評価が厳しいあの侯爵でさえ、手放しで絶賛してくれていて。君にもぜひ居て欲しかった。

 ああ、でもそれは無理なお願いだったね。君のお腹にいる子どももすくすく育っていることだろう。あと1月後には君の、いや君たちのもとに帰られる。君に素敵な贈り物を用意することができた。君が好みそうなアンティークの食器とだけ言っておこう。きっと気に入ってくれるに違いない。――ああ、書いているうちに、どんどん君の声を聞きたくなってきた。でも夜も遅いから、そろそろペンを置くことにするよ。

 愛とともに――。  ヴォルデリウス



 彼の子どもは女の子だった。……残念ながら流行病でヴォルデリウスの妻とともに亡くなり、それに絶望した彼も後を追うように病でこの世を去ったのだ。


 それでもこの頃の手紙は喜びに満ちている。読んでいる私までも微笑みたくなるような幸福。そこに悲哀を感じるけれど、天才音楽家であったヴォルデリウスにふさわしい人生であるようにも思う。

 彼は生きたのだ。人間らしく。



◇◇◇◇

 父が予約してくれていたのは、なんとスイートクラスの部屋だった。長期滞在になるというのに……。泊まり慣れていないロナウドが唖然あぜんとしている。

 さすがにやりすぎなので、支配人に言って1番下のグレードの部屋にしてもらう。普通の冒険者が泊まれるようなところでいいのに。

 支配人が、せめてスイートのお客用のコンシェルジュを付けさせてくださいと言ってきかないので、そこはやむなく妥協することにした。


 そんなやり取りがあったけれど、ダブルルームだって良いベッドを使っている。調度品もグレーと茶色を主体にした落ちついたデザインで、今の私たちには丁度良いくらいの広さ。

 ただトイレとシャワールームこそ備え付けられているけれど、お風呂は大浴場か、貸し出し用の家族風呂になるとのこと。うん。それでいいのよ。


「満足のいくサービスは難しいですが、お部屋で食事をなさいますか」と尋ねられたので、朝夕ともに館内のレストランにすると伝える。部屋でとりたい時だけ指示をすることにした。


 レストランは天井が高い大きなホールになっている。一番奥にはステージがあって、一人の女性がゆったりしたドレスを着てピアノを弾いていた。

 少し軽快な曲。独特のアレンジを加えていて、イメージ的にはちょっと気取った感じとでも言えばわかるだろうか。このレストランの雰囲気にはピッタリだと思う。


 若い貴族らしい人。騎士や冒険者。商談も兼ねているような商人たち。どこかの夫婦らしき男女。人々が思い思いにくつろぎながら食事をしている。部屋でのディナーも嫌いではないけれど、こういう大勢の人がいる雰囲気も好きだ。


 様々な食材と文化が混じり合っているマールではあるけれど、鳥と卵の料理が古くからの伝統料理となっている。

 そこで注文したのは、アスパラガスと鳥肉のフリカッセクリーム煮。コースもあるけれど、そこまでお腹が減っているわけではないのでコースにはしなかった。


 合わせるお酒は赤ワインをチョイス。こちらはちょっと奮発してスタンフォード領の特級ワイングランであるラティオ・シャルベルタ。我が家の所有するブドウ農園のうちシャルベルタという畑から作られたワイン。通称〝セシリア〟

 ……名前からわかるように、実は私が生まれたときに農家が作ったワインのシリーズです。どんだけ親馬鹿なのとかって思うけど、今もちょっとくすぐったいかな。それに味は文句なし。私好みのフルボディで渋みの中に奥深い味わいを感じるワインだ。


 さっそくロナウドと一緒に軽くグラスを持ち上げて乾杯。軽くグラスを回して香りを楽しみ、そっと口を付ける。まろみのある舌触り。舌の上を転がすように味わうと、それだけで幸せな気持ちになる。

 美味しいお酒、美味しい料理に出会うと幸せになる。でもね。それもこれも、ロナウドと一緒というところがいいんだ。


 クリーム色のソースのかかった鳥肉に、アスパラガスの緑が綺麗に映えている。フリカッセもとても美味しかった。


 夕食に満足したところでお風呂に行く。コンシェルジュにお願いしていた貸し切り風呂の方だ。

 おそらく6人家族を想定して作られたであろう適度な広さの湯場に入り、手桶でお湯をすくって肩から流す。ついでロナウドの肩からも掛けてあげて、2人で湯船に身体を沈めた。


 ここの温泉は不思議なお湯だ。湯口から出る時は無色透明なのだけれど、空気に触れると赤茶色に濁る。一見すると汚れたお湯のように見えるけれど、これがまたジワジワと温まる。説明によると関節痛や皮膚病、貧血に効果があるとか。

 飲むこともできるそうだけれど、その後にお茶や珈琲を飲むと口の中が黒くなるとかで推奨はされていない。

 恋人と来た女性にとって、濁り湯は、恥ずかしさを緩和するのでよいかもね。私たちは夫婦だから気にはしないけれど。


 大きな窓からはホテル前の大通りが見える。綺麗に並んだ街灯が街を照らし、ロマンチックな雰囲気になっている。


 隣に並んで同じように夜の大通りを眺めているロナウドが、

「今度、あそこに行こうぜ」という。


 うん。少し先に見えるパブ酒場だよね。

「もちろん。私も行ってみたいし」

 こうして見ている間にも、学生のグループがそこに入っていった。


 学園があることで、ここマールは若々しい街でもある。古くからの伝統と新しい文化。新旧・東西を問わず様々な文化が調和を取って存在している。


 依頼ではあるけれど、この都市にやってきて良かったと思う私だった。


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