第407話 何も変わらないはずがない

 あのコンクールはなんだったのか――湊鍵太郎みなとけんたろうがそう思ってしまう理由のひとつに、大会が終わっても周囲の対応があまり変わらなかったというのもあった。


「うーむ、相変わらずでかでかと掲げられてるな、この垂れ幕……」


 校舎に『祝! 吹奏楽部東関東大会出場!』と書かれた垂れ幕が下がっているのを見て、苦笑いする。

 当の東関東大会は終わったというのに、これは引っ込められないままだ。

 むしろこのまま来年まで、学校のステータスとして飾られることになるのだろう。まあ、東日本大会に行けばまた状況は変わっていたのだろうなとも思うが、行けなかったところでしまわれるわけでもないということだ。

 責められるわけでもなく、ねぎらわれることもなく、ゆるゆると日常は続いていく。

 スポーツの日本代表のチームなどが海外の大会でメダルを逃したとき、帰国を前に戦々恐々することがあるというが、そんなこともない。

 バッシングされたかったわけでもないが、何事もなかったかのように周りが進んでいくのも少し虚しい。

 まあ、それだけ期待されなかったということか――と、鍵太郎がため息をついて校舎に向かうと。


「何も変わらなかったなんてことがあるかボケえええええええ‼」


 学校に入った瞬間に思い切り。

 社会科教諭の藤原建次ふじわらけんじに突っ込まれた。



###



「大事な大会だからということでずっと黙ってきたが、もう我慢ならん! 湊、おまえは受験生なんだ、それを忘れてもらっちゃ困るぞ!」

「はい、すみません……」


 そのまま床に正座させられそうな勢いで言われ、鍵太郎はやっとそれだけを言った。

 藤原建次。

 この川連第二高校の教師にして、進路指導部の責任者でもある。

 かつ、昔は吹奏楽経験者としてテナーサックスを吹いていた身でもある。とある事情があって秘密にしているため、その情報は校内のごくごく一部しか知らないが――少しだけ音を聞いた感じだと、かなりの上級者だと鍵太郎は思っていた。

 もっとも、いかつい顔面に竹刀でも持っていそうな迫力、厳めしい態度は全くそんな雰囲気を感じさせないのだが。

 徹底的に隠し通しているため、普段はあまり大げさにこちらに干渉するような真似はしてこない。だが、大会が終わったということで自身の役職を果たさねばと思ったのだろう。

 藤原は、びしりと指を突きつけて言ってくる。


「いいか、学校祭があるとはいえ、今はもう三年生の九月だ。いい加減勉強の方に本腰入れろ」

「一応、成績は落ちないようにがんばってますけど……」

「それは分かってる。テストの順位自体は下がってないどころかむしろ上がってるのは確認済みだ」

「うわあ、そんなところまでチェックしてるんだ、この先生怖い……」


 学校祭のコンサート自体はテストで学年上位を取れば三年生でも参加可能、ということで、鍵太郎たちは演奏に参加すべく勉強の方もがんばってはいた。

 まあ若干一名、音大を受験するためそこまで励んでいない部員もいるのだが――そんなアホの子は周りが必死にサポートをするとして。

 ともかく、今年の学校祭のコンサートは、OBOGを招いての大規模なステージになるのだ。それに乗らない手はないと、三年生たちは部活動のかたわら、受験勉強もやっている。

 ただ――本来ならばその形はあり得ないと、この先生は知っているのだ。


「部長のおまえがまだ、やらなければいけないことがあるのは分かる。俺も現役のときはそうだったからな。けどその時間をもう少し、勉学の方に向けろ」

「そうなんですよ。学校祭のOBOGの出欠確認に、楽譜の送付。足りない楽器の手配に練習日程の連絡と、やらなきゃいけないことばっかりです」

「そんなものは本町ほんまちに任せておけ!」


 藤原の言葉に鍵太郎がやることを指折り数えたら、再び雷を食らった。

 言われなくても大部分の手配は顧問の先生に任せているのだが、どうしても細かい部分で部長である鍵太郎が関わらなくてはならない箇所は出てくる。

 いや――最後の仕事として、関わりたかったというべきか。

 高校最後の舞台作りに、どうしても参加したかった。演奏だけでなく、学校祭というイベントそのものの屋台骨になりたかったのだ。

 他人の用意してくれたものにひょっこり参加して、美味しいところだけ持っていこうという気にはどうしてもなれない。


「……成績は落としませんし、まあ、運営の面も任せられるところは先生に任せます。それならいいでしょう」


 なので進路指導の先生に対して、鍵太郎は唇を尖らせつつそう言った。

 すねた子どものような態度にはなったが、やることはやるのだ。それならば文句はないだろう。

 むしろそれを自身のえさにしてがんばれそうな気がする。二つ上の先輩たちもそうやっていた。

 部活をやっているからこそ日々に張り合いが出て、何かをやろうという気になれる。

 その辺りは藤原も分かっているはずだろう。そう思って先生を見上げれば、進路指導部の責任者は深々とため息をついて、こちらの提案を了承した。


「……分かった。学年上位の成績を条件に、学校祭への参加は許す。その決まりは守ろう。例年通りだ。今年は東関東大会にまで行っちまったからな……進路指導部としては吹奏楽部をのことを心配せざるを得ないんだよ」

「気にかけてくれて、ありがとうございます。でも、俺たちは大丈夫ですから」

「その言葉に二言はないことを祈るぞ。まったく……東日本大会まで行っていたら、どうなっていたことか」


 まあ、それはそれで、喜ばしいことではあったがな――と、吹奏楽経験者としての顔をちらりとのぞかせ、藤原は苦笑した。

 東日本大会は十月の半ばにあるので、そこまで出場していたら、学校祭の準備期間は二週間程度しかなかったのだ。

 受験のことを考えても、行っていたら行っていたで大変なことになっていたはずだ。そのときはそのときだったろうけど――今よりももっと大変な状況になっていたことに変わりはない。

 生徒の将来を案じていた。

 けれども、上の大会にも行ってほしかった。

 立場もあって、藤原の心中は複雑だったはずだ。そしてそれは、そんな内心を明かせない今もそうで――


「あの、先生」


 そこで、ちょっとした解消法を思いついて、鍵太郎は口を開いた。

 目を向けてくる社会科教諭に、部長としてひとつの提案をする。


「学校祭、先生も参加しませんか。なんならソロで一曲やってもらって、俺たちが伴奏をやっても構いません」


 次の本番にもう一曲ねじ込むくらいの余裕は、まだこちらにある。

 だったらもういっそのこと開き直って、楽器を吹けるということをカミングアウトしてもいいのではないか――先日、指揮者の先生に一曲吹いてもらうことになったのもあり、そんな風に思って出たセリフだったが。

 聞いた藤原は一瞬の動揺を見せ、しかし首を横に振る。


「……悪くない話だがな。やめておく。あれだけ散々おまえらに口うるさいことを言ってきた身だからな。これ以上の負担はかけられん」

「……なんでもいいですよ。真面目なソロ曲でも、ジャズでも、なんだったら演歌でもいいです。先生の好きな曲をやってもらえれば」

「そうだなあ。いつかはやってみたい気もするが――」


 もう一度掛け合う鍵太郎に、先生は遠い目をして、その図を想像したのだろう。

 生徒たちに囲まれて、自身が前に出てソロを吹く光景。

 散々我慢して、ひた隠しにしてきたのだ。もうそろそろ許されたっていいはずだ。

 わずかの間だけ、そんな選択肢を夢見て――

 しかしやはり藤原は、困ったように笑う。


「――やるとしても、俺が定年で退職する年とかになるかなあ。そこまでは怖い先生で通させてもらうことにするさ」

「……そうですか」

「ああ。けどまあ、もしおまえが志望どおり教師になったとして、同じ高校に赴任したとしたら」


 それはきっと、ずいぶん先のこと。

 可能性は限りなく低い、未来のこと。

 けれどもひょっとしたら、実現するかもしれない景色のこと――それを思い描いたのだろうか。

 進路指導の先生は、困ったように笑いながら言う。


「最後のステージ、おまえが演出してくれるかな。それで構わんさ」

「……分かりました」

「そんなわけでだ。志望校に受かれるよう、勉強がんばれよ」

「うう……なんか結局先生のいいように餌をぶら下げられてしまった気がする……。やること何も変わってない……」


 抜け目なく話題を元に戻してくる藤原に、涙する。

 なんだかんだ言いつつも、やることをやってからということに変わりはないのだ。やっぱり何も変わっていない。

 現状のそのままさ加減に撃沈していると、先生はそんな鍵太郎に言う。


「いや。さっきも言ったろう、何も変わらなかったなんてことはない、と」

「どういうことですか?」

「今度な、推薦入試の面接を担当することになった。来年入ってくる一年生の、な」


 事情を訊くと、藤原は話をいったん、あまり関係なさそうなところに飛ばした。

 しかし最後まで聞けばこの話も、自分のやっていることに通じてくるのだろう。そう考えて、そのまま聞くことにする。

 さすがは進路指導の先生ということなのか、来年入学してくる一年生の面接とは――


「面接とは言うがな。面倒だから書類で成績を順位付けして、上から取っていけばいいんじゃないかと校長が言い出した」

「だめじゃないですか」

「そう思うだろ? 面接の意味あんのかって思うだろ?」


 考えていたよりも数十倍大人の都合で斜め上に行っていて、鍵太郎は突っ込んだ。

 藤原の言うとおり、そんな合否の決め方では面接の意味がないし、なんのための推薦だということになる。

 だからなのか――先生はニヤリと笑って、物騒なことを口にした。


「俺もそう思ってだな――今度、同じ考えの教師何人かで結託して、校長室に殴り込もうという話になった」

「え」


 さらに予想を上回る発言に、今度は鍵太郎が絶句する。

 会社勤めではないとはいえ、公務員だって上限関係、役職の違いはある。

 サラリーマン的な逆らえないものはあるのではないか――と、顔を引きつらせる生徒を前に、藤原は実に楽しそうに先を続けた。


「別に暴力でどうにかしようっていうんじゃない。ただ、でなんとかしようというだけだ。扉はガッチリ閉めて。教師陣でカンヅメになって。納得のいくまで」

「納得いくまでっていうか、それってほとんど脅しなんじゃ……」

「人聞きの悪いことを言うな。極めて紳士的に協定を結ぶつもりだぞ」


 ヤの付く人のような迫力でもって、社会科教師は鍵太郎に言い切った。


「だからな、そのための根回しとか準備とか校長をねじ伏せ……説得のための材料とか、そういうのをかき集めるのに今俺は忙しいんだ。というわけでおまえらに関わってる暇はない。残念なことにな」

「はあ、まあ……将来ある一年生のためだったら、しょうがないと思いますが」

「だろう? けど、そんな行動を起こす気になったのは、おまえらを見てたからだ。おまえらに影響されたからだ」


 自分たちがやってきたことに対して『他に何も変わらなかった』だなんて思うなよ――と、先ほどのようにこちらに突っ込んで笑い、藤原は言う。


「外面は何も変わってないかもしれない。おまえらがやることも変わらないかもしれない。

 けどな、おまえらのやったことは確実に――誰かの未来を明るくしたんだよ」

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