第338話 花形ぞろいの反省会

「と、とにかく! 予選のときみたいに、音が粗いとは書かれなくなったわね!」


 と、多少は落ち着いてきたのか千渡光莉せんどひかりは咳払いをして、照れ臭そうにそう言った。

 その手には、先ほど湊鍵太郎みなとけんたろうが渡した、きのうのコンクールの講評用紙がある。

 本番の演奏を聞いてプロの大人たちが書いた、演奏に対する評価。

 さっきはそこに記された内容を、恐る恐る読んでみたわけだが――金賞県代表となっただけあって、覚悟していたよりかなり嬉しい言葉が、そこには並んでいる。


「見て見てこの先生、十点満点付けてくれてる!」

「他の先生も、ものすごい点数高いね! なんでなんだろ?」

「本当、なんでなんだろうな……」


 点数に関しても同様で、同い年の双子姉妹がはしゃぐ様子に、鍵太郎は顔をこわばらせた。

 ここまでくると褒められすぎて、逆に動揺してしまう。

 予選のときから光莉の言う通り、なかなかに評価が変わっている。

 自然な音になった――その変化について、片柳隣花かたやなぎりんかは口元に手を当て、「その理由を知りたい」と静かに言った。


「何が理由で変わったのか。今回の演奏でどんな点が良くて、どんなところが悪かったのか。はっきりさせておきましょう。東関東大会に向けてやっていくっていうのなら、まずはそこからだと思う」

「……なんか、妙にやる気だな、片柳」

「……何か問題でも?」

「いや、なんだかいつもより前に出てしゃべるなって思って……」


 部長である自分よりもグイグイと、先頭に立ってこの場を主導していく隣花に、鍵太郎は首を傾げた。

 どちらかというと彼女は、他の同い年たちが出した案を、それで問題ないかチェックするタイプの人間だ。

 現実的に考えて、筋が通っているかどうか。

 まあ今、彼女が言っていることも十分らしいセリフではあるのだが――ここまで率先して会議に口を出すのは、少々珍しい。

 さすがのこの同い年も、初の県代表ということで張り切っているのだろうか。

 そう思っていると、隣花は言う。


「……別に。やる気があるんだったらいいことじゃない。ここでちゃんと対策を練っておけば、東関東大会を越えて、東日本大会まで――学校祭までの準備期間は短くなるけれど、その分、部活を続けることができるんだし」

「そうだな。学校祭も学校祭で大変だけど、焦ったってしょうがないしな。まずはコンクールを着実にやっていくか」

「……(その分、あんたと一緒にいることができるんだし)」

「何か言ったか、片柳?」

「いいえ」


 なにも、となぜか同い年は顔をそむけたが、表情は普段と変わりないので特に追求しないでおく。

 不愛想なほどのその態度の内に、時に荒れ狂うほどの感情が渦巻いていることを、もう鍵太郎は知っていた。

 それは例えるならば、彼女自身が制御できないほどの、熱い気持ちであったりもするわけで――

 そうだよな、こうなったらもっと楽器を吹き続けたいよな、などと実際とはちょっとズレたことを考えつつ、鍵太郎は言う。


「粗くなくなった、自然なサウンドって書かれる理由ならひとつ、思い当たる」

「なに?」

藤原ふじわら先生に怒鳴り込まれたから」


 あの社会科の先生に、夏期講習中にうるさいと怒られたことは少なからず、演奏に影響を与えていた。

 練習の仕方も変わった。全員全開でバリバリ吹くのではなく、少人数に絞って互いの音を聞き合う、という方法へ。

 自分だけ好き放題に鳴らすのではなく、隣の人のやっていることが、聞こえるくらいの音量へ。

 そんな風にやってきたことが、今回の結果に影響してきている。お互いの音を潰し合うのではなく、思いやることで。

 ひとりでがんばろうとするより、全員で素直なサウンドを出すことができた。

 どうしても本番とういうと気負ってしまって吹きすぎてしまうのだが、きのうのステージではそうはならなかった。

 気を遣って演奏をする、ということができたのだ。

 そう考えるとあの先生に文句を付けられたことも、案外悪いことでもなかったのかもしれない。そう言うと、その場にいた同い年たちはふむ、とうなずく。


「自分だけで鳴らそうとするんじゃない、全体で鳴らすサウンドになった、ってことね……なるほど」

「あとは先生が、中音が聞こえるように吹け、って言ったのも大きかったな。響きのバランスがそれで取れたんだと思う」

「……藤原先生、そんなことまで言ってたの?」

「言ってたんだよ。あ、これは他の人には内緒な」


 事情を知っているここの同い年たちに、しー、と人差し指を立てる。

 あの中年教師がかつて楽器をやっていたことは、ここにいるメンバーだけの秘密だ。

 男と男の約束、である。まあ、もうそろそろ開き直ってカミングアウトしてもいいんじゃないかと思うのだが――その辺りに関しては、本人の気持ち次第だ。

 後であの先生にはお礼を言いに行かなくちゃな、と鍵太郎が頭をかいていると、今度は宝木咲耶たからぎさくやが言う。


「つまり、聞かせるべきところを聞かせられるように、みんなでお互いを引き立て合ったってことだよね。うんうん、徳が高くていいことだ」

「徳が高い……かどうかは分からないけど、まあそんなもんかな。個人プレーじゃなくてチームプレーがちゃんとできた、これが今回の勝因だと思う」

「そのことなんだけどさ、私これを見て思ったんだけど」


 と、咲耶は講評用紙をのぞき込み、続ける。


「ひょっとしてソロって、あんまり評価には影響してないんじゃないかな」



###



「た、宝木さん? それって……」


 つい先ほどまで、そのソロの出来で云々言っていた自分たちを、下手をしたら全否定する発言ではないか。

 そんな風に思って、鍵太郎は顔を引きつらせたのだが――どうも、周りはそう思わなかったらしい。

 それは、曲中で咲耶が光莉と同じくソロを担当したからだろうか。

 それとも、彼女がなんの考えもなくそんなことを口にするはずがない、という日頃の行い――それこそ徳の高さから出た空気だったのか。

 どちらにしても、この同い年の言葉には耳を傾けないとならない。

 そういった雰囲気に促されて、咲耶はさらに続ける。


「ここに書いてあるのってさ、ほとんどが『全体で何をしたか』についてなんだよね。誰が何をした、ってことじゃなくて――みんなが同じ方向を向いて、やろうとしたことについて、どうだったか。それが書かれてるように見える」

「……なるほど。配点としてはそっちが大きいってことなんでしょうね。どう思う? 千渡」

「まあ、そうね……」


 同い年の言葉を引き継いで、問いかけてくる隣花に。

 光莉は、苦笑いしながらその推測を肯定した。


「そうじゃなきゃ、音を外したのにブラボー、なんて書かれて金賞を取ってることについて説明がつかないし。そこは、宝木さんの意見が正しいんでしょう」

「もちろん、ソロが演奏の花形だっていうことに変わりはないよ」


 だからこうやって、審査員の先生も光莉ちゃんのことを褒めてくれたんだと思うし――とさりげなくフォローを入れて、咲耶は講評用紙を指でなぞっていった。

 そこには、同じく彼女のソロも『素晴らしいブラボー』と書かれていて。

 咲耶も咲耶で、あの瞬間にはかなりの重責を感じていたはずで――しかしその評価には、瞳に安堵の色をにじませつつ。

 彼女は言う。


「確かにソロは緊張するよね。けど、もしこの審査傾向が本当なら――私たちは、ソロについては心配しないで、もっと自由に吹いてしまっていいんだと思うんだ。たぶんこの先生は、一回つまずいても、その先をやり切った光莉ちゃんを見てこう書いたんじゃないかな」

「ソロについては伸び伸びと、演奏についてはアンサンブル力を見られてる、ってことか……」


 なるほど、そう考えるとこれからどうした方がいいのか、段々と見えてきた。

 ソロは前に出て。

 チームになったら連携が大事で。

 そうして全員で『どうしたいか』を出していくかが、今後のカギ――


「……了解したわ。やっぱり春日かすが先輩に対抗していくには、これしかない」

「そこでなんで先輩の名前が出てくるんだ、片柳?」

「いいえ」


 なにも、と再び言ってくる同い年に、さすがに鍵太郎ももう一度首を傾げた。

 前に出たり引っ込んだり、なんだか今日の隣花はとても忙しい。

 何を考えているのかは知らないが、ここまで一緒にやってきた仲だ。彼女のやりたいことについては、協力したいと思う。

 今回の演奏で金賞を取れたのは、こうした気持ちがあったからこそだ。

 支部大会に向けて伸ばしていくべきなのは、まずそこだろう。やりたいことをやりつつ、全体を見る目も失わない――言葉にすると難しそうだが、やってできないことはない。

 なぜなら、自分たちは今までそうしてやってきたから。

 中音ホルンが聞こえるくらいの音量で吹け――そう夏期講習の日、先生に言われたことを思い出しつつ、鍵太郎は言う。


「あのな、片柳。全体で『どうしたいか』を出していくっていうんだったら、もうちょっとおまえはえていいんだからな。ガンガン前に出ろ――とは言わないけども、今までよりやっちまっていいんだ」

「……分かってる」

「東日本大会に行きたいっていう思いはあるけどな。俺にとってそれよりも重要なのは、おまえらが楽しそうにやってくれることの方だ」

「……ん」

「これについては、みんなもそうだからなー?」


 目を逸らしながらも小さくうなずく同い年に、まあ一応納得はしてくれたかと思いつつ、そう声をかける。

 評価の対象にはならないかもしれないけれど、ひとりひとりの意思だって紛れもなく大切なものだ。

 今回の結果を経て、次のステージに行くことになって。

 多少やることは変わってくるかもしれないけど、根本にあるものは変わらない。

 楽しく金賞を取りたい。

 そのためには、前に出る気持ちも大事だし、隣の人の手を取りたいと思うことも大事だ。

 そうして結果的に出来上がった『こう在った自分たち』が、今度の本番では全部出てくる。

 次もまた、絆が試される舞台になるだろう。周りを見渡してそう言うと、同い年たちは顔を見合わせ、クスリと笑った。


「まあ、湊くんならそう言うと思ったよ」

「仲良しこよしでやるのもどうかと思うけど、まあそれも演奏に関係してくるっていうんだったら、少しは考えなくもないわ」

「千渡、おまえなあ……」


 若干呆れ気味に笑われているように思うのだが、気のせいだろうか。

 まあそれも、いつも通りといえばいつも通りなのだけれども。するとどのくらい前に出るべきか、塩梅が分からず困っていたのだろう。

 隣花が今度は、周りに合わせるためか、おずおずと口を開く。


「……大丈夫。これまで色々あったけどやってきた、私たちだもの。なんとかなる」

「ま、そうだな」


 粗削りから、綺麗な演奏になって。

 そして次は、どんなものになるのだろう――そう考えると、ワクワク感の中に、不安交じりの緊張が湧いてこなくもないけれど。


「見て見てー! 点数計算したら、私たちこれ、総合トップだよ!」

「イチ金だよ、イチ金! がんばった甲斐があったねえ!」

「だからって調子に乗って油断するなよな、おまえら!?」


 こうしてはしゃぐ彼女たちを見ていると。

 そんな怖さも吹き飛ばして、もっと素晴らしいブラボーな演奏ができるんじゃないかと思うのだ。

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