第290話 青春ごっこはつまらない
しばらく居なかった
「よかったー! もう来なくなっちゃうのかと思ってたよー」
「このまま辞めちゃうのかと思ってた。でもこれで安心だねー」
同い年の双子姉妹がそう言うのを、
隣花が親によって無理やり部活を辞めさせられそうになった今回の件は、経緯が経緯だけに部員全員が知っている。
特に一緒にずっとやってきた自分たち三年生は、彼女のことを心配していたのだ。けれどもそれが解決して、こうやって隣花が戻ってきたことでそんな不安も解消されていた。
これからはコンクールに向けて、部員全員でやっていけばいい。
そんな風に思わせる、同い年たちの反応だった。隣花は自分のことを「戦力だからここにいなくちゃいけない」などとのたまっていたが、この歓迎っぷりを見てもそんなことが言えるだろうか。
同学年に囲まれて、少しだけ驚いた顔を見せる彼女に、そんなことを思う。
これから楽譜を配るから、音楽室で待っていろと顧問の先生は言っていた。なら、この騒ぎが落ち着いたところで――などと、鍵太郎が考えていると。
「……ん?」
一年生の
いつも陽気な後輩は珍しく、渋い顔をしていた。その眼差しは、どこか冷めていて――実際の距離以上に、彼女は遠くにいるように見える。
どうしたのだろうか。ギャルギャルしい智恵理のことは正直にいえば少し苦手だが、先輩として何もしないのも、それはそれでおかしい。
なので、鍵太郎が話しかけようとすると――隣花が、その前に声をかけてくる。
「あの。湊」
「なんだ?」
「さっきの。進路の話の続きなんだけど」
先ほどの四者面談で、彼女は成績を落とさないことを条件に、部活に復帰することを許されていた。
そしてその場には、部長であるこちらもいたのだ。親に言われた通りの学部に行く――そう言って法学部を志望していた隣花は、しかしそのときとは違う意思を込めて言ってくる。
「私は。やっぱり、法律関係の仕事に就こうと思うの。それは、あの人に言われたからじゃなくて――湊を見てたら、そう思って」
ここに来るまでに、色々考えていたの――そう口にして、同い年たちに囲まれながら、彼女は続ける。
「世の中の仕組みを知って。それに沿ったり逆手に取ったりして身を守るのは、案外いいことなのかもしれないって。システムに取り込まれるみたいで、今まではどこか嫌だったんだけど……そうした方が、自分も誰かも守れるかもしれないって、思ったから」
ルールさえ知ってしまえば、あとは先ほどこちらがやったようにイカサマでも正攻法でも、いくらでも応用ができる。
そうして母親から自分を、そして他の理不尽な何かから、周りの人間を守れるなら――それならそれで構わない。
どこか吹っ切ったようにそう言う隣花に、鍵太郎は笑った。
「いいんじゃないか。おまえらしくて」
「さっき。ちゃんと答えてなかったから。夢を現実で守るって、きっとそういうことなのよね」
それができるって言ってくれたあんたには、そこはちゃんと言っておこうと思ったの。
そう、相変わらずきっちり筋を通してくる同い年に、鍵太郎はうなずいた。どこまで行っても片柳隣花は、論理的で現実的で冷静だ。
けれども、その核にあるものはとても激しく、綺麗なもので――そういう彼女だからこそ、自分は絶対にこの場にこの同い年を連れて帰ろうと思ったのだ。
ようやく、将来のちゃんとした見通しがついてきた気がする。
それは他の部員、部活にとってもそうで――そういえば、先ほどの後輩はどうしたのだろうか。
自分とはまるで違う、フルートの後輩。
彼女は、何を考えていたのだろうか。そう思って、改めて話しかけようとすると――その前に。
「あのー。センパイ」
その赤坂智恵理が先に、こちらに声をかけてきた。
普段は会話にも憶することなく入ってくるこの後輩だが、さすがに気を遣ったらしい。
けれどもそのわりには、表情が冴えないのが気にかかるのだが――そう思いつつ鍵太郎が「何?」と訊くと。
智恵理は億劫そうに、こちらに答えてくる。
「あたし、その……吹奏楽コンクール、でしたっけ? 出ないっス」
「……は!?」
その衝撃の回答に、理解が追い付かなくて声を出すのが一拍遅れた。
将来の見通しがついてきたとは、一体なんだったのか。
げんなりした後輩の様子に、鍵太郎は顔を引きつらせた。
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「いや。なんか面倒くさいなと思って」
事情を訊くと、智恵理は。
実にあっさりとした調子でそう答えてきた。
「今回の片柳先輩のことで思ったんスけど、吹奏楽部ってやっぱりお堅いなー、みたいな? なんつーかこの、変な悲壮感? やらなくちゃっていう義務感? そういうの、あたしはあんまり好きじゃないんで」
「いやいやいや。ちょっと待って」
突然の後輩のコンクール出ません宣言に、鍵太郎はたまらず待ったをかけた。
確かに、彼女にしてみれば三年生たちのやり取りなど、特に印象にも残らなかっただろう。
智恵理は部活に入って、まだ一か月程度だ。そのくらいしか付き合っていない人間の将来の事情など、しょせん他人事だし、それに必死になる自分たちが滑稽に映ったのかもしれない。
けれど、それはあまりにも淡泊に過ぎないか。
呆然としていると、後輩は続ける。
「老人ホームで八木節も吹いたし、テーマパークも行ったし。だったら、もういいかなーって。やりたいことはやったし、これ以上ここにいても楽しくはなさそうだし? じゃあ、他のとこ行こうかなと」
「部活まで辞めるつもり!?」
「だって、その方が後腐れないっしょ?」
何を当然のことをいまさら言っているのだ――そんな口調の智恵理に、二の句がつなげない。
かつて鍵太郎も、コンクールってなんですか、と先輩に問いかけはした。
しかしそれはほぼ参加前提で訊いたものであり、信頼があったからこそ言えたものだ。けれどもこの後輩は、それとは違う。
楽しくなさそうだから、もういらない――無邪気と取れるほどにそう言って捨てる彼女は、本当に自分とは違う存在だった。
「あたしフルートとか横笛、先生に習ってるんスけど、そのとき聞きました。コンクールって、アレでしょ? 金賞だーとか、みんなでがんばろーとか、そういうヤツっしょ?」
「いや、それはそうだけども……少なくとも俺は、それだけにするつもりはない」
「そうスか? なーんか、ここ最近の感じ見てると、つまんないなーって思うんスよ」
意識高い系っつーか、なんつーか。
苦手ッスね、肩が凝ります――などと、実際に肩を揉みながら言う智恵理は、明らかに本音を言っているのが分かる。
『やりたいこと』が、ここにはない。
彼女がそう考えているのが、はっきり伝わってきて――だったらそれを止める権利など、こちらにはない。
けれども、と思う。先生に習っている、という言葉の通り、智恵理の腕は確かなものだ。
コンクールには当然乗ってもらうつもりだった。つい先ほどの同い年との会話とは矛盾してしまうかもしれないが、彼女のことは『戦力』としてあてにしていたのだ。
しかし、智恵理はそんなこちらの思惑など、どこ吹く風といった様子で言う。
「先生にも言われました。『吹奏楽部にいると、そろえろそろえろって言われて吹き方に変な癖がつくから、あんまりおすすめしない』って。ま、そうッスよね。青春ごっこに付き合わされて、自分のスタイル崩すのもおかしな話っス」
「そ、そこまで言わなくとも……」
「え。知らないんスかセンパイ。吹奏楽部って、そこにいたことないその筋の人からは、結構引かれてますよ。妙な慣習ばっかで、音楽的じゃないって」
そう口にする後輩は、これまでこうやって自由に吹いてきたからこそ、こんなに上手いのかもしれなかった。
彼女の言いたいことは分かる。去年はこっちだって、ほぼ強制的に音を合わせようとする先輩たちに反発してきたのだ。
だからこそ、今年はそういったものを抜きでやろうとしていたのに。
自分が部長になって、やりたいことをやれる部活にしようと思っていたのだ。少なくとも、そうしようとしてきたつもりだった。
けれども、彼女の『やりたいこと』は、今ここにないと言われ――
「じゃ、そーゆーことでー」
そのまま後輩はあっさりと。
音楽室から、鍵太郎の前から去っていってしまった。
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