第254話 彼女たちの大団円
胸に花をつけた卒業生たちが通り過ぎていく。
笑いながらすれ違うその背中に、あの人たちはどこに行くんだろうと、ふと思った。
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『卒業生、入場』
というアナウンスと共に、先生の指揮棒が振り下ろされる。
吹奏楽部が卒業式で演奏する曲は、『主よ、人の望みの喜びよ』。
毎年の恒例になっているそれを、
三年生が全て着席し終えるまで、この曲をずっと繰り返す予定になっている。一階では胸に花をつけた卒業生が、入場をしている――らしい。
こちらからは見えないので、何とも分からない。
しかし去年と同じだとしたら、あの先輩たちはそうやって歩いているのだろう。
どうぞどこへなりとも行ってしまえと思うのは、間違いなのだろうかと鍵太郎は思った。
賛美歌を演奏しているのにそんなことを考えるなんて、本来であれば不謹慎なのかもしれない。
けれどそれがこちらの、正直な気持ちなのだ。二つ上の先輩たちと違って、一つ上の先輩はみな、本当に好き勝手をやらかしてくれたのだから。
どれだけ迷惑をこうむったかなんて、それこそ百万言を費やしても言い尽くせない。
だから、曲で語る。
トランペットの音が聞こえてきて、ちょうどそこが歌の部分だった。それと一緒に、心の中で歌を唱えていくことにする。
調べた末に出てきた歌詞はとても、あの人たちに沿ったものではなかったけれど。
それでも、こういう場なのだ。少し強引に解釈したっていいだろう――
そう思って、鍵太郎は自分なりの言葉を浮かべていった。
――あなたたちは、私の喜びであり続ける。
どんなことがあっても、ここまで来られた。
それは何であれ、喜んでいいことのはずだ。
――あなたたちは私の力の源であり、だからこそ全てを守りたいと思った。
思い返せばあの人たちのおかげで、自分はその望みを強く持つことができた。
きっと彼女たちにそんな意図は、微塵もなかったろう。
けれどそれは結果的にこうして、実を結んでいる。
楽しさと恵みをもたらして、宝となったものは時を刻んで。
こうしてずっとずっと――続いていくのだ。
また同じ思いをしたいかというと、もちろんもう二度と御免だけど。
それでも軽く文句を言うくらいは、許してほしかった。
もし後輩に訊かれたのなら、あの人たちは本当にひどかったんだぜ、と。
まったく、しょうがない人たちだった――と、笑って言えるくらいの。
そんな関係でありたかった。
――だから俺は、あなたたちのことを絶対忘れない。
あの馬鹿ども、と言うことすら、愛してるの証。
気兼ねなくお互いに言い合えるような、そんな親愛の証。
こんなこと言ったら嫌われるんじゃないか、なんて心配をする必要もない。
ケンカするほど仲がいい、と言うけれど。
それが嘘偽りない、自分の素直な気持ちだった。
これをどこかに放り出すなんて、そんなことあり得ない。
ねじれてて面倒くさくて、どうしようもないものだけど――
それでもやっぱり、自分は彼女たちを、突き放す気にはなれないのだから。
なら、この演奏が終わったら、一生懸命なあの人たちに。
伝えられるか分からないけれど――もう一度、会いに行こう。
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三年生の教室は、去年と同じく賑わっていた。
自分と同じく挨拶に来たのであろう後輩たちと、卒業生とが入り乱れている。
辺りを見回していると、胸に花をつけた卒業生たちが、笑いながら通り過ぎていって。
あの人たちはこれからどこに行くんだろうと、ふと思った。
先輩たちはどこだろう。そのまま鍵太郎が廊下をきょろきょろしつつ歩いていると、教室の中から声をかけられる。
「あ、湊っち。こっちこっち」
「高久先輩」
聞き慣れた声に招かれてそちらに行けば、そこには三年生の高久広美がやはり、花を胸につけて立っていた。
さらに彼女の周りには他にも
主な面子が全員顔を揃えていることに、鍵太郎が言いようもない違和感を覚えていると――
広美が以前のように、ニヤニヤ笑いながら言ってくる。
「聞いたよー? 何か最近、面白いことやってるらしいじゃん」
「大変そうですが、やる気があっていいことですね」
「他の学校の人たちはどんな感じ? いい演奏できてる?」
「いいなあ。わたしもそういうのやりたかったー」
「いや、えっと、その……」
そんな風に口々に言われて、鍵太郎は先輩たちを見回した。
面白いこと、というのは恐らく彼女たちの口振りからして、合同バンドのことだろうが。
今はそれより、この名状しがたい光景の方が先だ。
違和感の原因に察しがついてきたので、鍵太郎はそれを口にしてみる。
「あのう……先輩たちって、こんなに仲良しでしたっけ?」
そう、そもそもこの年代がこうして一緒にいるのが、こちらにとっては意外なことなのだ。
どちらかというと彼女たちは個人主義で、全員が別々に自分の時間を過ごしていると思っていた。
それが蓋を開けてみれば、この有り様である。
これまで後輩のみならず、同い年とさえいがみ合ってきた先輩たちだ。
何があったらこうなるのか。首を傾げていると、鍵太郎の質問に、広美と優が答えてくる。
「あー。なんだか引退したら、お互い背負ってたものがなくなったというか」
「張り合う必要性もなくなった、というか。何だか今となっては、まあいいやって感じです」
「はあ。そんなもんですか……」
そのいがみ合ってきた筆頭の二人に言われると、こちらとしてはそう応えるしかない。
彼女たちがいなくなって、部長になって。
ここ最近は色々あって、それを相談してみようかな――なんて心の隅では考えていたけども。
最終的に、こんな風に笑い合えるのなら。
自分が不安に思っていることなんて、実はすごく小さなものなのかもしれない。
「……なんとかなるよ。何があったって、どうなったって。わたしたちだって、何とかなったんだから」
「……平ヶ崎先輩」
すると弓枝が黒縁メガネの奥から静かにこちらを見つめ、そう言ってきた。
この代では最も早く、そして最も的確なアドバイスをくれた先輩は。
恐らく最後になるであろう矢を、こちらに向けて言い放つ。
「大丈夫。きっと大丈夫」
その言葉に。
相変わらず胸を射抜かれて、鍵太郎は「……はい」としかうなずくことしかできなかった。
何があっても、この人たちはどうにかしてそれを乗り越えてきた。
やりたいようにやって、痛い目をみて。
でも最後には笑っていて。
だから自分たちだって、きっと大丈夫――
そう思っていると。
今度は智恵が、周りにいる同い年たちへと言う。
「ねえねえみんな、駅前に新しいドーナツ屋さんができたんだって。卒業祝いに食べに行こうよー」
「あら、いいわね。行きましょうか」
「まあ、家に帰っても暇ですし。行きますか」
「コーヒーあるかねえ、その店」
ぽっちゃりさんの提案に、他の面子もなんやかんやと言いつつ賛成していた。
弓枝も、「……じゃあ、もう行くね」と、そちら側に歩いていく。
そして――
「じゃーね、湊くん!」
そう、言い残して。
星と、炎と、闇と、それらを繋ぐ円と。
そしてその中心を、射抜く矢が。
呆然とするこちらを残して、あっさりと去っていってしまった。
いや――去っていったのではない。
新しいところに、向かっていったのだ――そのことに気づいて、鍵太郎は肩を震わせて笑った。
「……本当に、勝手な人たち」
ああもう。
だったら、どうぞどこへなりとも行ってしまえ。
最後の最後まで、こちらの期待を全部裏切ってくれて――
だから俺は、あなたたちのことを絶対忘れない。
「……ああ、そうだ。肝心なことを言ってなかった」
もうだいぶ遠くなっている、彼女たちの背中を見て思う。
かっこよかった。
尊敬していた。
そして、大好きだった。
そんな先輩たちへと――
「……卒業、おめでとうございます」
鍵太郎は今度こそ素直な気持ちで、そう言うことができた。
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