第245話 刻んで溶かして、作ったその先
「えーと、チョコを刻んで、湯煎で溶かしたら生クリームを入れて……」
と、レシピとにらめっこをして、ぶつぶつつぶやきつつ。
まだ一月の下旬である。チョコを用意するには少し早い。
しかし葵にはどうしても、早めに準備をしなければならない理由があった。
なぜならば。
「ていうか、オーディションの撮影日がバレンタイン当日なんておかしいよね!? 本番の日にチョコ渡すとか、気が散って演奏に集中できないよ!?」
そう、よりにもよって本番当日が、乙女の決戦日だからである。
だがその日しかホールが取れなかったというのだから、仕方がない。
ならその前の練習で、チョコレートを渡すまでだ。
刻んだチョコに生クリームを入れて、泡立て器で混ぜる。演奏ももちろんだが、無論こちらのリハーサルだって欠かせない。
持ち前の真面目さと几帳面さでもって、彼女は着々とチョコレートを作り上げていった。
そして出来上がったのは大きなハート型をした、いかにも本命という感じのチョコだったのだが――
「――って、違ああああああうっ!?」
そのチョコレートを、葵は自らのチョップで粉砕した。
真っ二つになったバリバリのハートチョコの前で、恋する乙女は頭を抱えて叫ぶ。
「違うでしょ私!? 本番の日にドギマギしたくないから、こうして事前に渡そうとしてるんでしょ!? なのにこんなガチなやつ作ったら、余計に当日変な雰囲気になっちゃうじゃない!?」
形を考えていたらいつの間にかハート型になっていたわけだが、何だかそんな自分がすごく恥ずかしくなってきてしまって、半ばパニックに陥りながら葵はではどんなものを作ればいいかを考え始めた。
相手側の学校の彼が、甘いもの好きだという話は聞いている。
だったらこのバレンタインは、またとないチャンスなのだ。
だが告白をするのは本番が終わった後だとしても、その前から妙な感じになるのは、お互い部長の身として避けたい。
動揺から演奏に支障が出てオーディションに落ちたなんてことになったら、それこそ目も当てられないのである。
ならばそうならないためにも、本命だとは分からないような、さりげないもので。
しかしそんな中にもこちらの気持ちがしっかり込められているような、ちゃんとしたものがいいのだが――
「うーん……そんなのあるかな?」
そんな都合のいいものが、果たしてあるのだろうか。
悩みに悩んで葵がまた違ったレシピを検索し始めると、ふと、ある画像を見て彼女の指が止まった。
「あ、これは……」
これならば。
こちらの無茶な要望を満たしつつ、彼も満足してくれるのではないか。
そんな思いで、葵は再びバレンタインチョコを作り始めた。
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そして、次の二校合同練習当日。
「だ、大丈夫よ、私……。この日のために何度も練習して、納得できるものを作ってきたんだから……」
葵は緊張の面持ちで、保冷バックの蓋を開けた。
中から出てきたのはやや大きめの、リボンでラッピングされた箱だ。
両手に持って持ち運びするくらいのサイズ。それを大事に抱えて、彼女は相手の学校の吹奏楽部部長、
今は練習の合間の、休み時間だ。
周りでは二つの学校の生徒たちが、思い思いに休憩を取っている。
そんな中、葵が鍵太郎を探してウロウロしていると――彼が音楽室の外で、一人壁に身体を預けて水を飲んでいるのを発見した。
どうも少し、疲れているように見える。確かに先ほどの合奏でも、あの他校の部長は、自分の隣で思い切り楽器を吹いていたのだ。
ならばこれを食べて、元気を出してもらおう――そう思って葵が、「み、湊さん……!」と声をかけようとしたとき。
「あ、いたいた。湊さーん!」
「……!?」
同じ
あまりに驚きすぎて思わずそうしてしまったのだが、よく考えてみればそんな必要などまるでない。
そのことに気づき、葵は壁からそっと二人の様子を覗いた。
見れば沙彩はその手に、どんな店でも見かけたことのある、お菓子の箱を持っている。
「いやー、撮影の日に渡すのはちょっとバタバタしちゃうかなと思って。今日持ってきちゃいました」
そう言う彼女が持ち上げたのは、穴が開いた細長い棒状のプリッツ生地に、チョコレートを流し込んだ菓子だ。
しかしその形は、まさか――と葵が思うと同時に、鍵太郎も気づいたらしく、彼は驚いた顔で沙彩を見つめる。
「植野さん、これって」
「そうでーす! ベタですけど、わたしの楽器と同じ形のものにしてみました! 今度の本番の日に渡すのはバタバタしちゃうと思ったので、今日渡しちゃいますね」
彼女の担当する楽器は、ファゴット。
それはこの菓子と似た円筒状の、細長い棒のようなものだ。
そこに、甘いチョコレートを流し込んで――はにかんだように笑いながら、沙彩は鍵太郎にそれを差し出した。
「どこでも買える、普段は気にも留めないものかもしれませんけど――でもそれはそれで、わたしらしいかなと思って。バレンタインって言うには、ちょっと違うかもしれませんけど……。それでも、これはあのときのお礼には、違いありませんから。ですから――どうぞ。これ、食べてください」
「……はい。ありがとうございます」
そしてそんな他校の生徒からのチョコを、鍵太郎は笑顔で受け取った。
彼と沙彩の間に何があったのか葵は知らないが、どうも会話から察するに、彼女が悩んでいたことを解決する際、彼が力を貸してくれたということらしい。
それはそれで、とてもいいことではある。
だが、チョコを受け取ってもらった時の沙彩の嬉しそうな顔が、何やらどうにも『お礼』の範疇を超えているような気がして――葵は顔を引きつらせた。
「い、いやあ。そんな、まさか……」
同い年の思いも寄らぬ行動に、自分に言い聞かせるようにして首を振る。
大体、合同バンドで恋愛沙汰はあまりよくないと最初に言っていたのは、沙彩なのだ。
そんな彼女が、あの人のことを好きだなんて、そんなこと――と思っていると。
葵の耳に、続く二人の会話が入ってくる。
「じゃあ、湊さん、今度の撮影も気合かけていきましょうね! 必中もひらめきも同調もかけて、突撃しちゃいましょう!」
「あはは、じゃあ今日の練習では努力と幸運もかけておきましょうか」
「いいですね! ではわたしも、不屈と信念をかけて臨みます!」
「な、なんなのあの会話……!?」
なぜか両者が、こちらの全く知らない話題で盛り上がっていて葵は戦慄した。
それが鍵太郎と沙彩の好きなゲームのコマンドだと、彼女は知る由もない。
いつの間にか友人が強力なライバルと化していたことに多大なるショックを受け、その当の沙彩が立ち去ったことも、葵が気づかないでいると――
すぐにまた、新たな刺客が現れる。
「せ、せんぱい……っ!」
次にやってきたのは川連第二高校の制服を着た、前髪の長い女子生徒だった。
彼のことを先輩と呼んだことからして、彼女は一年生なのだろう。
「……はっ!?」
そのことに先日、鍵太郎に告白してきた後輩がいるという話を思い出し、葵は再び打ち震えた。
もしやこの子が、その一年生なのか。
い、いやでも湊さん、その告白は断ったって言ってたし――と葵がまた様子を伺っていると。
その女子生徒は綺麗にラッピングされた箱を、鍵太郎へと差し出す。
「な、生チョコと、生キャラメルを作ってきました……! 本当は当日に渡そうと思ったんですけど、やっぱり本番の日に渡すのは、緊張しすぎて無理だと思って……! ちゃ、ちゃんと上手くできたので、こ、これ、受け取って、ください……!」
「なっ……なんて健気な……!?」
長い前髪の隙間から見える目を潤ませて、震える手で訴えるその女子生徒に、思わず同性の葵も心を奪われそうになった。
もし彼女が告白を断られても諦めずにチョコを渡してきたのだとしたら、なんていじらしいのだろうか。
そんなことを考えつつその光景を見守っていると、しかしその女子生徒本人の口から、そんな気持ちを木っ端微塵に打ち砕くセリフが出てくる。
「だ、大丈夫です……! さすがに衛生上、髪の毛は入れてませんから……! 他にも不思議と愛が芽生えるようなお薬を入れたりとか、恋に効きそうな怪しいおまじないとかも、かけてませんから……!」
「うん、最初のやつは信用するとしても、君の場合、後の二つがこうも信じられないのは何でなんだろうね……」
こじらせすぎてもはや狂気にすら聞こえる発言に葵がドン引きしていると、鍵太郎は既に慣れっこなのか、遠い目でそんな後輩の言葉に応えていた。
それでも一応受け取っておかないと、さらにややこしいことになると判断したのか、彼はその女子生徒からのチョコを受け取る。
「ありがとう、野中さん。食べる……のはちょっと警戒するけど、一生懸命作ってきてくれたのは嬉しいよ」
「あ、ありがとうございます! お、美味しくできたので……! 存分に舐めてしゃぶって、味わって食べてください……っ!」
「だからそういう妙な誤解を招く言い方は止めようね、野中さん!?」
鍵太郎が突っ込むと、その野中という一年生は耐え切れなくなったのか、脱兎のごとくその場を去っていった。
たぶん、大声にびっくりしたというよりは、純粋に恥ずかしくてそれ以上その場にいられなかったのだろう。
だが――何なのだろうか、あの子は。
真っ白さと真っ黒さが同居しているような、そんな危うい他校の生徒のことを、葵は呆然と見送った。
しかしその危うさがまた、彼女の一種の魅力になっているのも確かで――
「ああ、もう……。モテモテじゃない、湊さん……」
何だか自分が敵うような気がしなくなってきて、葵はチョコを持ったままその場にへたり込んでしまった。
どうしよう。
本人は彼女なんて全然できないとか言っていたけれど、蓋を開けてみれば競争率が高すぎる。
そんな中で、自分みたいな特に目立った取り柄もない人間が、彼と付き合うことなんてできるのだろうか――
と、そんなことをぐるぐるぐるぐると、頭の中で考えていると。
「あのー」
「……!?」
その鍵太郎自身が声をかけてきて、びっくりして葵はそのまま飛び上がった。
見れば彼は、いつの間にか自分のすぐ傍に立っている。
それに違う意味で彼女が思考を大混乱させていると、鍵太郎はそんなこちらを落ち着かせるように、のんびりした口調で言ってくる。
「さっきから、誰かに見られてるような気がしてたんですけど、柳橋さんでしたか。なら安心です」
「き、気づいてたんですか……!?」
だとしたらムチャクチャ恥ずかしい。穴があったら入りたい。
会う度に思うが、この他校の部長はいつも驚かされてばかりだ。
その視野の広さは、ちょっとしたことですぐパニックになるこちらとしては、見習いたいくらいである。
しかし今はそんなことを言っている場合ではない。
まさにここでチョコレートを渡さなければ、がんばって練習して作ってきた意味がないのだから。
それこそ、半ば錯乱しかけた中ではあったが――
「こ、これっ……!」
何とか思い切って葵は、持っていた箱を鍵太郎に差し出した。
驚いたようにそれを見る相手校の部長ではあるが、彼女にはもうそんな顔を見ている余裕はない。
なのでほぼ床に向かってうつむいた体勢で、葵は鍵太郎へと言う。
「そ、そのっ! いつも、お世話になってるので……! その、感謝の気持ちとして、どうぞ……っ!」
「え、いいんですか?」
少し弾んだように聞こえてくる彼の声の、なんと嬉しいことか。
両腕からの重みが消えたことで、向こうの部長が自分の作ったチョコを受け取ってくれたことが分かる。
そのまま恐る恐る顔を上げると――彼は首を傾げて、こちらに訊いてきた。
「開けても?」
「も、もちろんです……!」
その返答に鍵太郎は、目を輝かせながら箱を開ける。
それが単純に誰かから物をもらったことからによるワクワクなのか、それとももっと他の感情なのか――
できれば後者に近いものであってほしいと葵が思っていると、彼は箱の中身に声をあげる。
「うわあ……すごい!」
その中に入っていたチョコは、小さめながらもホールのチョコレートケーキだった。
本命だとは分からないような、さりげないもので。
だがそんな中にもこちらの気持ちがしっかり込められるような、ちゃんとしたもの。
試行錯誤の末に葵が辿り着いたのは、そんなありきたりな、しかし彼女なりにこだわって作ったバレンタインチョコだった。
スポンジをハートにするのは流石に止めて普通の円形にしておいたが、中のクリームや飾りつけ、上に乗せたチョコレートの花などは自分で作ったものになる。
だがそんな苦労話など、聞かせたくもないしこちらから話すのも恥ずかしい。
ただ喜んでくれた、その一点だけで葵が天にも昇る心地でいると、鍵太郎はこちらとケーキを見比べて言う。
「いいんですか? こんな立派なものもらっちゃって」
「い、いいんですいいんです! 日頃からの、感謝の気持ちですから!」
「ありがとうございます! いやあ、ホールケーキ一気食いとか、昔から夢だったんですよね」
この日一番の笑顔でそう言ってくれる彼を見ると、渡してよかったと心の底から思える。
何だか言ってることが女子みたいだが、そんなものは些細なことに過ぎない。
幸せのあまり葵がぼんやりと鍵太郎を見ていると、彼はそんなケーキを眺め、穏やかに微笑んだ。
「懐かしいなあ。野球部にいた頃は練習試合の前に『景気付けだ!』って言われて、毎回ケーキを食わされてたもんですよ」
「え、湊さん、野球やってたんですか?」
「はい。中学までは。でもこれは、今の俺たちにぴったりだと思うんです」
景気付けのケーキ。
単なる験担ぎといえばそうだが、オーディションを間近に控えた自分たちにとってこのチョコレートは、とても相応しいものと言える。
このレシピを選んだのはただの偶然ではあるが、結果的には向こうの部長に、公私共に非常にいい印象を与えられたようだ。
ひとまず作戦は大成功である。葵が心中でガッツポーズを取っていると、鍵太郎はそのケーキを大切そうに抱えて続けた。
「だから柳橋さん、今度の本番、がんばりましょうね。だってオーディションに合格しなきゃ、俺が柳橋さんにお返し渡せなくなっちゃいますから」
「あ……」
そうだった。
バレンタインのことで浮かれすぎて、今まで気づかなかったが――しょせんは違う学校同士の合同バンド。
目的がなくなれば解散するのが、当然の流れではある。
オーディションの合否通知が来るのは三月。
そのときもし不合格の知らせが来たら、お返しどころか、彼に会うことすらできなくなってしまう――
「……そんなの、嫌です」
そこで最悪の未来を想像してしまって、葵は搾り出すようにそう口にした。
それに同調して、鍵太郎もうなずく。
「ですよね。俺も嫌です」
そこで部長二人は、厳しい顔つきを見せたものの。
先に表情を緩めたのは、鍵太郎の方だった。
「でも、大丈夫ですよ。みんながんばってますから」
その自信の根拠は、休憩時間が終わりに近づいてきて、音楽室からみなが練習する音が聞こえてきたからだろうか。
流れ出てくる様々なフレーズと多彩な音域は、こちらが作ったチョコレートと同じくらいこだわって、気持ちの込められたものだと分かる。
刻んで溶かして、失敗してもまた練習して。
そうして作り上げた、笑顔の先を見たくて――
「……はい。そうですね、がんばりましょう」
だったら、そうすることを不安がってもしょうがないのだ。
今は今で、自分たちにできる精一杯のことをするしかない。
そうやってなんとかこうして、チョコも渡せたことだし――と。
改めて思って、葵が凛と顔を上げたとき。
「あ、じゃあ景気付けってことで。柳橋さんもこのケーキ、一緒に食べますか?」
「えっ」
相手方の部長の予想外の申し出に、彼女は冷やしたチョコレートのように固まった。
確かに手間をかけさせないようにと、フォークも付けておいたのだが、もちろんこんなことになるとは考えてなかったので一本しか用意していない。
ということは、つまり――
「はい、あーん」
そのフォークで、彼がこちらにすくったケーキを、口元に近づけてくるわけで。
目の前に広がるそんな光景に、頭をショートさせた葵はとりあえず、救いを求めて音楽室に飛び込むことにした。
「あ、あの……えっと、湊さん! 休憩時間終わっちゃいますよ! 早く練習に戻らないと!?」
「え、ちょっと、柳橋さん」
ここはもう足早に、なるたけ早く、練習に戻らなければならない。
ケーキ作りは終わったが、こちらの方はまだまだ終わらないのだ。
だからお返しは、そういうのじゃなくて。
できればもう少し刺激の少ない――甘くて優しいものがいいなと思ったりする。
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