第243話 高貴なる者の義務
「失礼。こちらに
と、突然昼休みの教室にやってきたのは、鍵太郎の見覚えのある女子生徒だった。
黒髪をショートカットにして、黒瞳で周りを見渡すその人物。
確か先日の、部活予算会議で見かけた生徒会書記――名前は、
彼女は教室の入り口近くにいた生徒にこちらの所在を聞いたようで、真っ直ぐに歩いてくる。
「吹奏楽部部長、湊鍵太郎様。我が主、アリシア様がお呼びです。ご案内致しますので、生徒会室にご同行願います」
「せ、生徒会長からの呼び出しですか……?」
アリシア、という名前に鍵太郎の顔が引きつった。
生徒会長――アリシア=クリスティーヌ=ド=
この学校を代表する生徒である彼女が他の生徒を呼ぶということは、つまりそれだけの意味を持つ。
アリシアと直接話す機会があったのは、この間の会議のときだけだ。
十中八九、そこで自分がやったことが原因なのだろうが――
「俺、こないだの会議で、そこまでやらかした覚えはないんですけど……」
「そちらのことではございません。まあ、きっかけはそれなのですが、本日はその話についてではないのです。
――というわけで、お迎えにあがりました。生徒会室までいらしていただけますか?」
「嫌だ、って言っても連れてくんでしょう?」
じゃあ行きますよ――と、知恵璃の口調に断固たるものを感じて、鍵太郎はイスから腰を上げた。
彼女について廊下を歩いていく。生徒会室の場所は知っているが、ひとつの部の部長とはいえ、一般生徒であるこちらには流石に縁がない。
その点、役員の知恵璃は手馴れたものだった。
教室を歩いてきたときのように、彼女はスタスタと迷いなく歩いていく。
「……一応訊いておきますけど、俺、怒られるんですか?」
そんな生徒会書記に、鍵太郎は確認のためそんなことを訊いてみた。
我が物顔で校内を歩く彼女を見ていると、何だか自分がひどく小さな存在に思えてくるから不思議だ。
しかもこれから向かい合う相手は生徒会長だというのだから、どうにもそんな風に考えてしまう。
頬をかいていると、知恵璃はその質問に振り返らず答えてくる。
「さあ。お嬢様のご心中は、私には察しかねます。まあ貴方の返答次第では少し、お怒りになるかもしれませんが――結局のところは、本当のところを聞きたいということでしたので。正直に質問にお答えいただければ、特に不都合はないかと存じます」
「は、はあ。そうですか……」
分かったような分からないような。
まるで秘書のような政治的回答に、鍵太郎は煙に巻かれたような気分でそう応えた。
どうやら自分は、怒られに行くわけではないらしい。
しかし向こうはこちらに質問したいことがあって、それにきちんと答えなければいけないらしい。
召喚された理由はそういうことのようだが――今後の部活のことを考えても、生徒会と対立するのは避けたい。
どう転ぶかは分からないが、これは気合いをいれてかからなければならなさそうだ。
そう思っていると――知恵璃は『生徒会室』とプレートの入った部屋の前で足を止めた。
そして彼女は恭しく、その部屋の扉を開ける。
「どうぞ、お入りください。私は外で待機しておりますので」
「……マジですか」
しかも今回は集団の中の一人ではなく、自分と生徒会長の一対一。
一体、何を訊かれるのか。
戦々恐々としながら鍵太郎は、生徒会室への扉をくぐった。
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「……失礼しまーす」
何となくそう言わなければならない気がして、職員室に入ったときと同じ感覚でそうつぶやく。
初めて入る生徒会室は、思ったよりも雑然としていた。
ロの字型に並べられた机、パイプ椅子に模造紙、何かの備品が入った箱。
そんな中でアリシアは――生徒会長は。
入り口から一番奥の席に座って、何かの書類作業をしていた。
忙しそうにしている彼女に話しかけられずにいると、アリシアは手元から目を離さぬまま言ってくる。
「ようこそ、生徒会室へ。ここには全校生徒の中でも、選ばれた者しか入れませんことよ」
「はあ……」
後ろの窓から日が差して、ハーフである彼女の金髪が、キラキラと輝いている。
『選ばれた者』――傲慢にもそう言い切るだけの独自のカリスマ性が、確かにこの生徒会長にはあった。
さらに昼休みなのにこうして動いていることからしても、それに相応しいだけの働きをしていることは明らかだ。
しかし幸いにして知恵璃の言う通り、彼女は特に機嫌が悪くもなさそうである。
そのことに鍵太郎は、多少ほっとして口を開く。
「あの、俺に訊きたいことって何でしょうか? この間の会議のことだったら、もう決着がついたと思うんですけど」
「あのとき! わたくしが! どれほど! 苦労したと思ってるんですの!?」
「い、いや、だから! 責任持って俺、みんなの仲裁に回ったじゃないですか!?」
そこで思い切り地雷を踏んでしまったらしく、いきなり激高したアリシアに、慌てて弁明をした。
先日の会議をわざと荒らしたのはなるほど自分だが、それはこちらがその後で、全ての部活と話をつけて回ったのだ。
その上で、彼女にはその後の進行をやってもらった。
まあ時間がかかった分、最後は会議の参加者全員が疲労困憊の状態だったのだが――それは熾烈な部費争奪戦の結果なので、お互い様である。
そしてその辺りはこの生徒会長も心得ているようで、アリシアは「……失礼。わたくしとしたことが取り乱しましたわ」とイスに座り直した。
「今日あなたを呼んだのは、また別の用件があってですの」
「はあ。だとは聞いてますが」
どうやら本当に、彼女はもう怒っていないらしい。
だったら、そろそろその用件とやらを教えてほしいのだが――と、いい加減鍵太郎も呆れてくると、生徒会長は本題に踏み込んだ。
「あのときあなたは、言いましたわよね。『言いたいことが言えない部活なんて、そんなところはつまらない』と」
「……言いましたけど」
「そのことについて、あなたのことを少し、調べさせてもらいました。あなた、ご自分の部活でも同じことを仰ってるみたいですわね。『部員たちの意思を尊重して、それで成果を出していくべきだ』と」
「……それが、何か?」
少しだけ、嫌な予感がして鍵太郎は警戒心を強めた。
するとアリシアはそんなこちらをやはり真っ直ぐに見つめ、言ってくる。
「川連第二高校の、全生徒を統べる者として申し上げます。そんなことは絶対に、不可能ですわ」
###
あまりに率直な生徒会長の物言いを受けて、鍵太郎はスッと目を細めた。
「……どうして、そう思いますか?」
「大衆というのは、基本的に愚かだからです」
だがそんなこちらの圧を込めた視線にも、アリシアは動じることはない。
むしろそれを涼風のように受け流し、彼女は確たる自信をもってさらに続けてくる。
「周りを見れば分かるでしょう。大半の者は目的意識もなく、ただ日々を漫然と過ごす者ばかり。たまに何かに影響されて、将来の夢などを語るような者もいるようですが――口では言っても実際に努力はしない、志なき半端者が大半ですわ」
「……」
生徒会長のセリフを受けて、鍵太郎は黙り込んだ。
彼女の言うことは、間違いではない。
現にそういった人間が数多くいることは、こちらだって分かっている。
けれども――
「……まあ、たまにあなたのような、御しがたい人間も出てきますけれど。先日は少々、侮りすぎましたわね。仮にも部の長を任せられた者たちです、一筋縄ではいかないことは、わたくしも思い知りました。それは認めますわ。――けれども」
けれども、と。
こちらとは真逆の使い方をして、アリシアは生徒会室の奥からこちらに向かって、問いかけてきた。
「それ以外の一般生徒は、あなたが考えるような『意思』を持っていまして?」
鼻で笑うようにして、生徒会長は言う。
「与えられた物を、ただ享受するだけの人間。口では自分の考えだと言っていても、結局は人の言葉を借りているだけの人間。わたくしはそういった者たちを、大勢見てきましたわ。だからこそ上に立つ者として、そんな者たちを導いていこうと生徒会長に立候補したのですから」
「……あなた、は」
「野球選手になりたい。芸術家になりたい。または――小説家になりたい? はっ、馬鹿馬鹿しいにもほどがありますわ。本当に才能のある者は、もうわたくしたちくらいの歳には既に、何らかの形で世に出ているというのに」
あなたもニュースなどでよく見るでしょう?
自分と同じくらいの歳の者が、大きな舞台で賞を獲り、華々しく活躍している様を――と。
こちらよりも大きな世界を見ている彼女は、首を傾げる。
「わたくしに言わせれば、あなたの言っていることはそんな『夢』にすがるようなものにしか見えません。自らの意思をもって道を切り拓く? あなたたち吹奏楽部で言えば、コンクールで金賞を取る――ですか。まあ、不可能ですわね。それで何ができますの? 自分で何もしようとせず、ただ他人のものを貪るだけしか能のない人間たちが、いくら集まったところで出来ることなどたかが知れているでしょう。
幻想と現実の矛盾。わたくしはその点について、あなたがどう思っているのかを聞きたく、ここに呼び出したのです」
「……俺、は」
うっすら笑みすら浮かべて、試すようにこちらを見てくる生徒会長を、鍵太郎は見返した。
ある意味で、彼女の言葉は正論だ。
クラスや部活の中にだって、やろうやろうと言いつつ、何もしていない者は大勢いる。
そんな人間を含めて全員で話を進めていこうなんて、それこそ夢物語に等しいのかもしれなかった。
けれども――
「でもそれでも俺は、信じますよ」
そう笑って言うと、生徒会長は呆れ果てたといった調子でため息をつく。
「答えになってませんわね。わたくしはその矛盾点を、説明しろと申し上げたのです」
「論理の矛盾を飛び越えることが信じることだと、かつて俺に教えてくれた人がいました」
そう言ってくれた自分の同い年は、将来の夢について語ってくれた。
やりたくて、できそうな――『自分の意思』を。
その他にも、先が知れない不安定な道を、それでも突き進もうとしたアホの子であったり。
秘めていた思いを勇気を振り絞って口にしてきた、引っ込み思案の後輩の姿が浮かぶ。
それだけではない。自分の家に来て好き勝手にやってくれた連中や、進路相談に乗ってくれた同い年。
そして何かにつけてこっちを怒鳴ったり、殴ってきたりする副部長が――
彼女たちに『意思がない』なんて、鍵太郎にはどうしても思えなかった。
「……程度の差は、人によってあるかもしれません。何をしていいか分からなくて、外から見れば何もしていないように見える人も、いるかもしれません。けれど誰も、何も考えてないってわけじゃない。そんな人たちを半端者だなんて見捨てられませんよ、俺は」
大変な道であることは、最初から分かっている。
彼女が『幻想』と言い切るのも無理もない話だ。
けれども成果が出ないからといって、才能がないからといって――諦める理由にはならない。
それに一生懸命やっている彼女たちを、愚かだと断ずるには。
あまりに自分自身が、愚かすぎた。
「大衆の声を聞きすぎると治世が乱れますわよ、野に下りし将」
「高みに登りすぎて周囲の声が聞こえなくなりましたか、選ばれし女王」
おそらくこれは、アリシアからの忠告だ。
『集団の代表者』としてのスタンスが、こちらと彼女ではあまりに違いすぎる。
そのままではいずれ、立ち行かなくなるのではないか――アリシア個人か、生徒会長としての立場からかは分からないが。
彼女は自分より多くの人間をまとめるからこそ、こうして声をかけてきたのだろう。
だとしたら、決してこちらが邪魔だからという理由で、こんなことを言ってきたわけではないはずだ。
そう踏んで、鍵太郎はアリシアへと苦笑気味に皮肉を返した。
そしてその予想通り――彼女はこちらをしばらく見つめた後、根負けしたように息をつく。
「……平行線ですわね。まあいいですわ。あなたが本当に度し難い大馬鹿者だということは、これでよく分かりました」
「あいにくと、諦めの悪いタチでして」
「そのようですわね。まったく、大人しくわたくしの統治を受け入れていればいいものを」
であるのなら、わたくしの庭で無様な姿を晒さないことを条件に、今回の件は不問とさせていただきます――と。
そう言って仕事を再開する生徒会長を、鍵太郎は苦笑して見た。
こうなった以上、彼女は今後こちらの活動を妨害するような真似はしてこないだろう。
アリシアはそこまで暇な立場ではない。
自分以上の大人数を相手にしているのだ、そんなことやっていられる余裕など――
と、そこまで考えたところで。
ふと疑問に思ったことがあって、鍵太郎は逆に生徒会長に質問をしてみる。
「あの、そういえばどうしてアリシアさん、そんなに忙しそうにしてるんですか? さっきから他の生徒たちのことを、愚かだとか散々言ってましたけど……だとしたらそんなの無視して、自分のやりたいことだけやってた方が、精神衛生上いいんじゃないかと」
「
そしてそんなこちらの問いに対して、アリシアは即答してきた。
意味が分からずきょとんとする鍵太郎に対して、彼女は追加で説明をする。
「人の上に立つ者は、それ相応の覚悟と責任を持たねばなりませんの。管理すべき者は、それだけ大衆の模範になるべき義務を負う――当たり前のことです。
この学校の生徒を統べる者として。わたくしは誰よりもこの学び舎を良くするよう、努力しなければなりませんわ」
「……はは」
そんな、アリシアの回答に。
鍵太郎は何だかおかしくなって、思わず噴き出してしまった。
さっきからこの人は、他の生徒たちのことを見下したりするようなことばかり言っていたけれど。
結局、彼女だって――守る者たちのために一生懸命やってることには、変わりないんじゃないか。
そのままくつくつと笑っていると、不愉快そうにアリシアが睨んできたので、こちらも補足で説明する。
「ああ、ごめんなさい――そうですね、さっきの俺の言い方、答えになってませんでしたよね。もう少し、追加で言わせてもらっていいですか」
「……? どうぞ」
もうその話は終わっただろう、と言わんばかりに疑問符を浮かべる生徒会長に、鍵太郎は言う。
「俺はあなたとは、確かに見えてる世界が違うんだと思います」
自分と彼女は、どうあがいても背負っている人数が違いすぎる。
本来であればより多くを束ねる、アリシアの意見の方が正しいのかもしれない。
だからこそ平行線で、この場では双方とも折れずに終わった。
けれど。
「でも、俺たちのような小さな集団だからこそ、できることはあると思うんですよ。
例えば――全員で力を合わせて、自分の手に届く範囲だけでも、誰かを幸せにするとか」
平行線なら平行線で、目指すべきものは一緒のはずだ。
難易度は抱える人数の多い彼女の方が、はるかに高い。
けれどもそれと比べればとても小さな集団であれ、まとめることができたなら――
「そしたらいつか、あなたも望む奇跡が起こせるんじゃないかって、俺はそう思いますよ」
この生徒会長が見たいものの一端でも、自分たちは披露することができるのではないか。
やり方は違えど同じものに向かって突き進むアリシアへ、鍵太郎は笑顔でそう言った。
すると彼女はそんなこちらを半眼で見据え、処置なしといった風に肩をすくめる。
「……やっぱり、現実的な回答にはなっていませんわね。もういいですわ、下がりなさい。そしてみっともなくあがけばいいんですわ。その奇跡とやらを起こすために」
「ま、そうですね。お互いやるだけやってみましょうか、お互いにね!」
「ちょっと、一緒にしないでくださいます!?」
「じゃ、失礼しまーす」
と、そんな生徒会長の文句を背中に受けつつ。
鍵太郎はそのまま、選ばれし者が集うという生徒会室を後にした。
###
そして、その部屋を鍵太郎が辞してから入れ替わるように――
「よろしいのですか。帰してしまわれて」
外で待機していた知恵璃が、その後ろ姿を振り返りながら中に入ってきた。
彼女は扉を閉め、奥で仕事を続けるアリシアに声をかける。
「あわよくば、あのお方を生徒会に引き入れようというお考えだったのでは――」
「
「は。出すぎた真似を」
苗字ではなく、幼き頃からの友としての呼びかけに、知恵璃はそのまま背筋を正した。
しかしほんの一瞬だけ殺気めいたものを出した生徒会長は、すぐににこやかな口調に戻る。
「いいのです。あれはあれで、放っておいたほうがよい人材でしょう。そういうものです。
ああ――それと今回の件は、非公式記録ということで。そのためにわざわざ校内放送ではなく、あなたに呼び出してきてもらったのですから」
先ほどのやり取りは愚にもつかない、文書にして残さなくてもいい、些細なことですわ――と、生徒会書記に念を押して、彼女はまた自分の作業に戻った。
しかし彼が最後に言った『奇跡』とやらに、少しだけ思いを馳せながら――
「この学校の生徒を統べる者として。せいぜいあの者の行く末、見守らせてもらうとしましょうか」
アリシアは手の中にある吹奏楽部の予算計画書に、そのままぽんと判子を押した。
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