第233話 やりたくて、できそうなこと

「ふうん。将来なんになりたいか、ね」


 湊鍵太郎みなとけんたろうの言葉に、片柳隣花かたやなぎりんかはそう言って首を傾げた。

 お互いにそろそろ志望大学を決めなければならない、二年生の後半。

 そして、この論理的な部活の同い年ならきっと、自分の漠然とした進路相談にもきちっとした意見をくれるのではないか。

 そう思って、鍵太郎は隣花に声をかけてみたのだが――

 彼女は首を傾げたまま、何かを考えているようだった。


「おまえは具体的にどこの大学行ってどうするか、決めてんのか? 片柳」


 話を進めるためこちらから訊いてみると、隣花は顔を上げて質問に答えてくる。


「私は。法律関係か遺伝子工学の研究職にするか、迷ってるけど」

「そりゃまた、めちゃくちゃに両極端な選択肢だな……」


 どちらも文系と理系を、極めた先にあるような職業だ。

 まあそれも、この何事も突き詰めて考える同い年らしいといえば、そうなのかもしれないが。

 そう考えていると、隣花はうっすらと笑みを浮かべて言ってくる。


「あら。私わりと牛の目玉の解剖とか、好きよ?」

「俺の目玉見ながら言わないでくれるか、それ」


 先日生物の授業で、その解剖実験をやったことを指しているのだろう。

 同い年の笑みに薄ら寒いものを覚えながらも、鍵太郎は言い返した。彼女と話しているとたまに、こういった絡みつくような視線を感じるときがある。

 まあ、隣花特有の冗談なのだろうけれども。

 そう考えていると――というか、そんな風に考えないと怖くてやってられないでいると、彼女は肩をすくめていつもの口調で言う。


「法学部のが安定した職に就けそうではあるけど。生物工学への興味も捨てがたくて。そんなわけだから、私もちょっと迷ってはいるの。

 だからとりあえずどっちにも行けそうな国立文系に進んで。選択科目として生物もやり続けて。それから決めようと思ってはいるんだけど」

「ううむ……実に片柳らしい、地に足の着いた判断」


 いきなりここで決めようとはせず、選択肢を絞らないまま多くを学んでいく。

 そこでどちらかに興味が出てくれば、そちらに行く――先ほどのバスクラリネットの同い年の言葉を借りるなら、『何か惹かれるものに触れていけば、そのうち見つかる』ということか。

 隣花の場合はその惹かれるものが、人より少し広範囲にあるだけの話だ。

 やりたくて、できそうなことをやればいい。

 そう言われた。こちらの同い年はまだこの二つが合致せず、少しちぐはぐな状態になっているようだが。

 しかしこの調子なら、彼女も遠からず自分の行く道を見つけることができるだろう。

 最初に考え込んでいたのは、隣花自身も進路を決めかねていたからだったのかもしれない。

 自分も迷っていることを相談されて、すぐに答えられる人間なんてそうはいないのだから――と、鍵太郎が考えていると。

 隣花は「今は私の話じゃない。あんたの話」と会話を当初の目的に戻してくる。


「というか。これまで湊を見てきて、ひょっとしたら向いてるかもしれないって職業がひとつ、あるんだけど」

「え、なんだそれ!? 教えてくれよ!?」


 ここで初めて出てきた具体的な手がかりに、鍵太郎は飛びついた。

 そんなこちらに、同い年は呆れた顔をする。


「先に言っておくけど。これは私の所感であって、あんたが本当にそうした方がいいってことじゃないからね」

「分かってる! 分かってるけど今は少しでもヒントが欲しいんだ!」


 そんな自分のあまりの必死さに、折れたのだろう。

 隣花はため息をついて、その『自分の所感』とやらを述べてくる。


「まず最初に言っておくけど。あんたは結構、欠点が多いように思う」

「うぐっ……!?」


 いきなりの重いどストレートに、鍵太郎はよろめいた。

 しかしこの冷静な同い年は、そのくらいでは揺るがない。

 そのまま強烈なボディーブローを続けてくる。


「基本的に初めは失敗する。上手くやる方法もよく分からないままやろうとするから、まず成功しない。前に、私があんたを怒鳴ったみたいに」

「そ、その通りだな……」


 あんときのおまえは、マジで怖かった――と、話を混ぜっ返してまた怒鳴られないよう、言葉には出さず鍵太郎はうなずいた。

 結果的にはこんな風に話せるまで打ち解けてはいるものの、隣花と真正面から向き合った当初の雰囲気は、険悪そのものだったからだ。

 そこからどうにかこうにか、どうすれば彼女を味方にできるか試行錯誤しながら、ここまでやってきた。


「……あれ?」


 と――そこで。

 ついさっきと同じ感覚を覚えて、鍵太郎は動きを止めた。

 そう、『これ』こそが隣花に相談する直前に、自分が考えていたことでもあるのだ。

 いつだったか、誰かに同じようなことを言われたことがあるような――


「勝算もないのに感情で挑む。はっきりとした裏打ちのない理想論を、大真面目に口にする。それで何度も何度も打ちのめされて、傷ついてきた」


 やりたくて、できそうなこと。

 何もかもを一発でできるような才能なんてないし。

 生まれや育ちが特別なものなわけでもないけれど。

 でも、そんな自分でも、短所を裏返してできる長所を『武器』にしろと――そういえば。


「けどあんたは。決して、あきらめないの」


 以前、に言われていたのだった。

 失敗したら、次にどうすればいいかを考えればいい。

 そうしていくうちに、その手に持った刃は、何重にも研ぎ澄まされていくと――


「それに。あんたは、自分が失敗したときの痛みを知ってるからこそ、誰も見捨てはしない」


 それに加えて、自分と似たようなことで周りが傷つくのが嫌で、ずっとずっと走り回っていた。

 その結果、気がつけば部長に祭り上げられ。

 隣花はこうして、ここにいいる。


「……それは。放っておけない、おせっかいが過ぎるという欠点にもなりかねないけど。それでも。あんたは決して人を、離さない。

 自分の欠点ですらさらけ出して、誰かのことを助けようとする。人の話を親身に聞いて、力になる言葉をかける。誰かの行く道を照らす――光になる」


 あのトロンボーンのアホの子は、『ここみたいに楽しく楽器を続けられたら、すごくいい』と言って、音大への進学を決めた。

 バスクラリネットの同い年は、自分がやってきたことを見て、これからの行く道を決めたと笑った。

 そして顧問の先生は、『吹奏楽部は社会の縮図』だと言って――


「だとしたら」


 誰かのことを助けて。

 『集団』を鍛え、育てていく力があるならば。

 自分に向いているのは、もしかしたら――


「学校の――先生がいいんじゃないかと。私は思う」



###



「……学校の先生っていうより、幼稚園の保育士って感じだけどね。あんたは」


 そしてそんな隣花の意見に対して、半眼でそう言ったのは、同じく二年生の千渡光莉せんどひかりだった。

 彼女も彼女で、自分のこれから行く道を考えている途中なのだろう。

 どうにも不機嫌そうだが、しかしとりあえずは当面の指針ができたことで、そんな態度にも鍵太郎は余裕を持って接する。


「幼稚園の先生か。まあ、それもアリかもな」


 隣花の細かな観察と分析による指摘は、こちらにとっても十分納得のいくものだった。

 そして目の前の彼女を含め、個性の強すぎる部員たちの顔を思い浮かべると、幼稚園というのもあながち間違ってはいないのかもしれない。

 それか小、中学校か、高校か――そこからまた細かく選択肢は分かれていくわけだが、それでも最初の段階よりはだいぶ絞り込めたことは事実だ。

 片柳、よくよく俺のこと見てたんだな、と隣花の姿を思い出す。

 あの同い年は「別に。ホルンはいつもチューバの裏にいる存在だから」と言って、特に恩着せがましい様子もなく去っていった。

 彼女には、感謝しなければならないだろう。

 いつか隣花が、その両極端な志向の狭間で迷うようなことがあったときは――そのときは自分が相談に乗ってやろう、などとそんなことを考えていると。

 光莉がなぜだか妙に、もじもじしながら言ってくる。


「じゃ、じゃあさ……。もう、どこの大学にするとか、決めたの? どこにするの?」

「うーん。まだそこまでは、行けてないかなあ。社会の先生になるんだったら、片柳と同じように法学部でもいいらしいんだけど」

「それはダメ! 絶対ダメ! ダメ! 絶対!」

「なんだよそれは。自分から訊いておいて」


 急にいつものように、また顔を真っ赤にして怒り出した同い年へと、鍵太郎は怪訝な眼差しを向けた。

 自分と隣花が同じ大学に行くことの、何がそんなに不満なのか。

 というかおまえら、この間の合同バンドの一件で少しは仲良くなったんじゃなかったのか――と、そんなことを考えつつ。

 お返しとばかりに、今度は逆に光莉にこれからのことを訊いてみる。


「そう言うおまえはさ、将来なんになりたいんだよ」

「何、って……」



 お嫁さん。



 ぱっと浮かんだその単語を、光莉は猛烈な勢いで振り払った。



「教えない! あんたにはまだ、絶対教えない!!」

「なんだよ、そんなに怒鳴らなくたっていいじゃないか!?」


 過去最高の凶暴さでもってわめき立てる同い年を、鍵太郎はどうどうとなだめた。

 彼女も彼女で、将来が心配な人間のひとりだ。

 先生になったらきっと、こういう気難しい生徒も相手にしないとならないのだろう。

 それはそれで将来の不安要素といえば、そうではあるが――


「そっか。なるほど――先生、か」


 そんな不安以上にやりたくて、できそうなことを見つけられたことで、鍵太郎は笑った。

 自分がそんなことを言ったら、周りの大人は。

 特にあの進路指導部の社会の先生などは、一体どんな顔をするのだろうか。

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