第97話 ニリンソウ
小学生のころ、林間学校へ行った。たぶん、近所のおじさんだろう。食べられる野草を教えてくれる人がいた。
「はい。これはヨモギね。漢方薬にも使われるけど、みんなはヨモギ餅は食べたことあるかなぁ?」
「はーい」
「ある」
「あるよ」
「じゃあ、これは何か知ってるかな?」
「花ぁ」
「タンポポー」
「えらいね。タンポポだよ。これも食べられるんだよ。お浸しにしてね。最近はコーヒーやお茶にもするね」
「ええー」
「すごーい」
「これは有名だね。ツクシ。最近の子はツクシ食べたことあるかなぁ?」
「なーい」
「なーい」
「ボクあるー」
いろいろ教えてもらって、じっさいに自分たちで集めることになった。
文緒が一人で草むらを歩いていると、さっきのおじさんが来て、「野草、見つかった?」と聞いてきた。
文緒は近くの草を指さす。
「これは?」
「それは食べられないね」
「じゃあ、これ?」
「それはワラビだね。食べられるよ」
「ふうん」
「でも、こっちのほうがもっと美味しいよ」
おじさんが教えてくれたのは、ふさふさしたやわらかそうな葉っぱだ。
「これはニリンソウ。お浸しもいいけど、天ぷらや汁物にもできる。いっぱいつんで、今晩、みんなで食べよう」
「うん」
文緒がニリンソウをむしっていると、とつぜん、おじさんが大きな声を出した。
「あッ! それはダメ。それは食べられないよ」
「でも、同じ草だよ」
「それは似てるけど、トリカブトっていう毒草なんだ。絶対に食べちゃダメだよ」
「ふうん」
「ニリンソウに似てるけど、こっちは白い花が咲いてるだろ? これが見わけるコツだよ。ニリンソウはこの時期、花が咲かないからね」
「わかった」
たくさん、ニリンソウをつんだ。自分のとった野草がどんな料理になるのか、文緒はとても楽しみにしていた。
だが、夕食前にとつぜん家から電話がかかってきて、おじいさんが亡くなったから帰ってきなさいと言われた。先生に車で家まで送ってもらい、ひと足さきに林間学校から帰った。
だから、文緒は助かったのだ。
その夜に出された夕食を食べて、たくさんの生徒やつきそいの先生が死んだ。毒性のあるトリカブトを食べたからだ。
文緒は誰にもその毒草をつんだのが自分だとは言わなかった。あのおじさんが警察に話せば、自分は捕まるんじゃないかと、毎日おびえて暮らした。夜も眠れなかった。けっきょく、何も問われないまま数年がすぎた。
大人になってから、文緒は調べてみた。
あのとき、おじさんはたしかに、ニリンソウは春は咲かない、白い花が咲くのがトリカブトだと言った。でも、じっさいにはその逆なのだ。春に白い花を咲かすのがニリンソウ。トリカブトの花は紫で、開花は秋。野草に詳しいおじさんが、そんな初歩的なことを間違えるはずがないのだが……。
おじさんはほんとにニリンソウとトリカブトをとりちがえただけなのか? それとも、わざと間違えたのか?
わざとだしたら、なぜ?
文緒に毒草を集めさせるため? そして、たくさんの子どもたちにそれを食べさせるため?
そう考えると、思い出のなかのおじさんの優しそうな笑顔が、とても怖い。
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