第93話 路地裏の男
旅行さきで文緒は道に迷ってしまった。
大通りから目的地まで近道しようと、一本細い道に入ったのがよくなかった。
コンクリート塀に両側をはさまれた路地裏をあちこちさまよっていたとき、とつぜん、話しかけられた。
「そっちへ行っちゃダメだよ」
ふりかえった文緒はギョッとした。誰もいないと思っていたのに、いつのまにか、うしろに男が立っていた。
「そっちの路地は行き止まりでね。幽霊が出るっていう廃屋があるんだ」
文緒はどうこたえていいのかわからない。戸惑っていると、男は続けた。
「その廃屋は昔はなかなかのお屋敷だったよ。なんでも先祖が商売で一身代をなして、それは栄えたらしいよ。ただね。落ちぶれたのは一人娘がろくでなしの男と結婚したからだ。男は顔はいいけど働きもせず、一日じゅう酒を飲んだり、ギャンブルに明けくれて、みるみるうちに財産を食いつぶした。それどころか、はては巨額の借金を作り、一家は破産してしまった。家屋敷は抵当としてとりあげられ、無一文になった。
生まれたときから金持ちで、苦労したことのなかった一人娘は、夫を殺して自分も死んだ。一人息子を残して。
息子は当時、十八歳。そのへんの女じゃ太刀打ちできないほど美しい少年だったそうだ。でも、父親が大金を借りた闇金業者にさらわれて、どこか外国に売りとばされたんだそう。
その国で、それはそれは恐ろしい悲惨なめにあった。金持ちのなかには人間を痛めつけることが好きなやつがいるからね。キレイな人間をめちゃくちゃにするのが好きなやつらが。
美貌もつぶされ、鼻をそぎ落とされ、傷だらけになって変わりはてた姿になると、とたんに飽きられて、最後には臓器移植のために腎臓の片方と肝臓の一部、片目、片腕、それに傷のない部分の皮膚を奪われて、すてられた。
それから男はどこをどうやってだか知らないが、日本へ帰ってきた。幸福だったころの記憶をたどって、ここまで戻ってきたんだろうね。もう正気も残ってなかったのに。
しばらく、この界隈をうろついてたらしいですよ。だけど、しょせんはそんな状態だからね。まもなく路上で餓死した。
それからだよ。このあたりに、その男の霊が出るようになったって。通りすがりの人に取り憑いて、その人が死ぬまで、ずっとついていくんだ。ずっと……」
だまって男の話を聞いていたが、はたして、どうしたらいいのだろう。
文緒はもう泣きそうだ。
どう見ても、目の前の男はさっきの話に出てきた亡霊そのものだ。
文緒があとずさると、男がついてくる。
全身が痣や包帯だらけの、片目と片腕のない、ガリガリにやせおとろえた、幽鬼……それが、ついてくる。
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