第91話 さあ、召しあがれ(前編)



「ねえ、約束してくれる? これ、わたしの村に残るおまじないなんだけど……」


 始めは本気にしてなかった。

 沙月さつきは、まじめそのものの顔つきだけど。

 まあ、沙月が安心するなら、それでいいと思った。


「いいよ。誓う」


 自分で言うのも、なんだけど、文緒は女にモテるほうだ。きっと、沙月は心配なのだ。籍も入れたし、式もあげた。それでも、まだ不安で、何か心のよりどころが欲しいのだろう。


「じゃあ、これを食べたら、わたしたち、一生、二人で一つよ」

「うん。わかった」


 文緒がうなずくと、沙月は嬉しげに、手のなかのものを二つに割った。なんだかわからないが、餅のような、まんじゅうのようなものだ。


 沙月の実家は今どきビックリするような、ど田舎にある。どうも、地元で有名な縁結びの神社の授かりもののようだ。

 その餅だか、まんじゅうだかわからないものを、二つに割って食べた二人は、生涯、結ばれるという。

 いや、もっと詳しく言うと、生涯、一つの皿から半分ずつ、食事をわけあうことができるのだ。


 変わった風習だなあと、そのときは思った。そのせいで、自分たちの結婚生活が変化するとは思っていなかった。


 まあ、食った感じは、とくにウマくもマズくもない。なんか、ふわふわ、ホロホロした、妙な食べ物だ。


 食べ終わったあとになって、沙月は言った。


「あ、そうだ。いい忘れてたけど、これ、神さまのおさがりだからね。これを食べた二人は、いっしょに食べた人以外の誰かと、食べ物をシェアすると、バチがあたるからね」

「それって困るよ。会社の連中とも飲みに行けない」

「そういうのは大丈夫。二人で一つのものをわけて食べると、いけないの」


 浮気しないでねと、クギを刺されたのかなと思った。つきあってるあいだは、そんなふうに感じたことなかったけど、意外と嫉妬深いのかもしれない。


 だが、そんなふうに感じたのは、そのときかぎりだ。

 沙月は、とてもいいパートナーだった。ほがらかで、さっぱりした性格だが、気遣いも、こまやか。なんと言っても、料理上手だ。毎日、うちに帰って、いっしょに食事をするのが楽しみだった。結婚生活はとても幸福だった。


 数年が経った。

 子どもはまだできないが、あいかわらず幸せな日々。


 だが、とつぜん、その幸せが破壊された。

 沙月が交通事故で死んだのだ。

 文緒は号泣した。

 葬式のあいだも、葬儀が終わってからも、残酷な現実を受け入れることができなかった。遺影を見るたびに、やるせない。


 もう一度、帰ってきてくれ。

 おまえは、おれの半分なんだろう?

 おまえ以外に、おれの伴侶はいないよ。


 強く、そう思う。


 文緒があまりに気落ちしてたからだろう。母にせっつかれて、同窓会へ行くことになった。


 そこで元カノに再会した。高校のころに少しつきあって、他愛ないケンカで別れた優美ゆみだ。

 話してるうちに、ひさしぶりに気持ちが明るくなった。優美も離婚したばかりで、さみしいのだということを知った。


「ねえ、元気だしてね。わたしでよければ、話し相手になるから」

「うん」


 まだ四十九日が終わったばかりだ。

 恋愛をする気分じゃなかった。

 でも、気心の知れた人と、なつかしい話をするのは楽しい。


 二次会のバーで、優美はずっと、となりにいた。思っていたより飲んでしまった。


「不思議ね。あのころ、高校生だったもんね。あなたとこうして、お酒を飲むなんて考えてもなかった」


 そう言って、優美は文緒の持つオンザロックのグラスをながめた。


「それ、おいしい?」

「ふつうだよ。カクテルのほうが飲みやすい」


 たぶん、優美はオンザロックが飲みたかったわけじゃない。文緒と、もっと近づきたいと考えた。その手段だったんだろう。

 グラスを持つ文緒の手をにぎりしめた。そして、グラスのなかみを自分の口に流しいれた。

 グラスに残っていた、半分を。


 いっぺんに酔いがさめた。


(これって、シェアしたことになるんじゃないか?)


 大勢でのシェアじゃない。

 二人だけの半分こ……。


 つかのま、凍りついていたと思う。


「あれ? どうかした? 文緒」

「いや……」


 でも、何も起こらない。

 なんだ、やっぱり、ただの迷信だ。


 それはなぜか、文緒の心をかるくした。沙月のことは変わらず愛していたが、何かから解放された気はした。あるいは気鬱の一因は、それだったのかもしれない。


 愛する人はいなくなった。

 なのに、その人に誓った束縛だけが残る……。


 文緒の生涯はまだまだ、これから何十年と続いていくのに。それは、とても重い現実だ。


(そうか。これで明日からは気軽に女の子ともシェアできるな)


 その夜は飲みすぎた。

 帰りにタクシー乗り場まで、優美といっしょに歩いていった。優美は電車で帰るという。


「ホームまで送ろうか?」

「文緒のほうが酔ってるし。大丈夫。近いから。じゃあ、ほんとにまた会おうね。今度は二人で夕食しない?」

「いいね」


 さすがに、その日は手をふって別れた。


 文緒はタクシーに乗る前に、タバコを一本、吸った。

 しばらくして、急に駅のほうがさわがしくなった。

 サイレンの音。

 人の叫び声。


(優美……?)


 不安になって、文緒は歩いていった。

 さわぎは駅の構内のようだ。

 駅の建物に入ると、制服を着た駅員や救急隊員があわただしく走っていく。


「事故だ。女が線路に落ちたってよ!」


 そんな声が聞こえる。


 胸さわぎがした。

 てきとうに切符を買って、ホームへ入る。

 夜中なので乗客は少ない。

 一ヶ所だけ人だかりができていた。

 走りよると、駅員が遠ざけようとする。


「さがって。さがって。危ないですから。さがってください!」

「すいません。知りあいかもしれないんです」


 駅員を押しのけて、のぞいた。

 文緒は一瞬で見たことを後悔した。


 それは、たしかに、優美だった。

 上から下まで半分に引き裂かれ、はらわたがいたが……。

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