子に継ぎたし
たまにはお父さんとお話でもしたら?
なんていたずらに笑い、
たかしを俺らに預けて
母さんと出掛けていった嫁。
結婚記念日に買ってやった、
何が入るか分からない小さな手提げ鞄。
その中へ隠すように2枚だけ
高級ホテルのディナー割引券を入れていた
昨晩の光景を思い出す。
親父と仲が悪いわけではない。
ただ、昔っから無口で一言二言しか話さないし表情も滅多に変わらない性格の親父。
感情が読めず取っつきにくかった。
大人になった今でも、
どう関わればいいか分からない。
俺も俺で、親父に似てしまったのか
話ベタで気遣いも苦手である。
そんな俺達だけ残したのはあまりにも酷だ。
とりあえず飯を食いにファミレスへ。
おもちゃ付きのお子さまセットをねだるたかし。
いつもの事かと、「どうせおもちゃだけだろ。ちゃんと食べれんのか?」と諭そうとするが聞かない。
「まあ、いいんじゃないか。俺が出すよ。」と親父が店員を呼び、注文した。
あの親父が!?と驚いてまじまじと見ていると、
視線に気づいて「お前も昔、こうだったんだぞ。」と照れたように顔をそらした。
ご飯を食べ終わる頃にはもう夜になっていた。
空の月には雲がかかっていていっそう暗い。
帰宅して風呂を沸かし、
親父が出た後にたかしと入る。
狭い湯船の中、おもちゃのひよこを車に見立てて遊ぶたかし。
“お前も昔こうだったんだぞ”
いつか自分も同じことを言うのだろうか。
そういえば、小さい頃に親父と風呂に入ってたっけ。
親父の言葉を反芻すると同時に
幼い頃の思い出がよみがえる。
目頭が熱くなってきたから慌てて顔を洗った。
風呂から上がると、テレビを見ている親父がいた。
テーブルの上には開けていない缶ビールが2つ
向かい合わせに置いてある。
「先に寝なくていいのかよ。明日早いんだろ。」
「ん?ああ、ちょっとな。…呑むか?」
体をテレビに向け目だけこっちに向けてぶっきらぼうに言う。
呑んでいないはずなのに耳が少し赤い。
黙ってビールが置いてある席に座った。
「たかし、お前は寝てろよ。」
「えー!なんで?まだ眠くないよ。」
「あー分かった。じゃあ、ほらテレビ見てろ、テレビ。な。」
テレビと聞いて目をキラッとさせてパタパタとソファに座り、テレビにずいっと前のめりになる。
「ちゃんと見るんだよ!」と言って、
リラックマのぬいぐるみを膝の上に乗せたのは
親バカでなくとも可愛く思う。
プシュッと缶が音を立てた。
俺もそれに続く。
『宮沢賢治が描いていた理想郷、イーハトーブ。今回の日本不思議いっぱいは、故郷の岩手県でそのルーツを探します!』
番組の案内役の女子アナが大げさなジェスチャーをしながら歩いている。
岩手県と聞いて親父を見た。
視線に気づいたのか否か
「俺の故郷だ。」と呟いた。
「どんな所だった?」
「田舎だったよ。」
「ふーん。」
「故郷を忘れるほど、ボケちゃいないよ。」
「はっ。」
普段無口で真面目な親父が、ジョークを言うとは思わなかった。
今、改めて見ると、白髪も増えシワも増えどこか丸くなった雰囲気だ。
こうやって2人で酒を呑むのも悪くないなと
思いつつビールを一口。
「なあ、ヒデ。」
「ん?」
「いや…。」
「なんだよ。言えよ。」
「…。」
親父はチラッとたかしを見た。
何かあったのかと見るが、
テレビには飽きたのか、背を向けてぬいぐるみをもみくちゃにしているだけだ。
「俺が子供の頃の話なんだけどな。」
ああ、テレビで岩手県の特集をしているから何か思い出したのかと思って、体を親父に向き直す。
一呼吸置いてから、ポツポツと話し始めた。
11月初めのこの季節に、
岩手では軒下にころ柿を吊るして干し柿を作る。
オレンジ色の玉すだれみたいになってなかなか綺麗なんだ。
俺の家でも干し柿を作ってたよ。
そんな秋の夜中に友達と山の近くにある沼に探検に行こうってなったんだ。
というのも、秋になるとそこの沼から化け物が出るって噂だったのさ。
友達とそいつの兄さん、そして俺の3人で行ったんだ。
いかつい懐中電灯をこっそり持ち出して先頭の
兄さんが照らしていく。
沼に着いた瞬間に兄さんが「ああ。なんだ。」ってがっかりしたんだ。
見てみろって照らされた水面に沢山の
「これを化け物って勘違いしたんだろ。つまんねえの。」って来た道を引き返してく。
俺は心のどこかで諦めきれなくて沼のふちで
しばらく突っ立ってた。
そしたらさ、俺の左の足首が何かにぐって掴まれて引っ張られたんだ。
体勢を崩して尻餅ついたら、自分の足がよく見える。
その足を沼から伸びた黒い毛むくじゃらの手がぐっと掴んでるのさ。
驚いて声も出せずにいると、
沼がぼこぼこと泡立ってぬーっと頭のようなものが水面を破るように浮き上がった。
そいつは、大きな達磨だった。
その達磨の右肩あたりが欠けていて穴が空き、
そこから黒い腕が延びている。
目だけが妙に生々しくてこっちをじーっと見てくんのさ。
異変に気づいた兄さんが俺の名前を呼びながら走ってくる間、そいつは力を強めて足を握りしめてくる。
「とるぞ。必ず。とるぞ。」
男か女か獣か人間か分からない、
感情のこもってないダミ声でずっとぶつぶつ言ってんだ。
もう足がちぎれるんじゃないかって時に
戻ってきた兄さんの懐中電灯の光が当たって
そいつは消えた。
俺は泣きじゃくってるわ、足に痣が出来てるわで大人が大騒ぎして夜中なのに村中の男かき集めて沼に行ってみたらしい。
そこには誰が捨てたのか、
古くなった達磨の置物だけが置いてあったそうだ。
そこまで話して、親父はビールを呑んだ。
「変な体験したな。」
「ああ。」
「テレビ見て思い出したのか?
だとしても、急に言うから
真面目な話かと思えば怖い話かよ。」
「すまんかった。」
「いや、別にいいけど。
そんな真剣な顔で話すことじゃ…。」
そこまで言ってふとあることを思いだした。
「いや、待てよ。まさか…。」
「…。」
「親父、それ体験したの何歳の時だ?」
「6歳ぐらいだ。」
「俺が事故に遭って左足骨折したのは?」
「それも6歳ぐらいだったな。」
それを聞いて頭を抱える。
「たかしは明後日、6歳になる…。」
親父が変な化け物に左足を掴まれたのは6歳ぐらいの頃。
俺が軽トラックに轢かれて左足骨折したのも6歳だった。
「6歳になると、その化け物が来るっていうのか?」
親父が黙って俺を見ている。
嘘を言っているわけではないようだ。
だが、そんなこと信じられないし信じたくもない。
「た、たまたまだろ!変なこと言うなよ!
俺が事故に遭ったのだって、
一人でラジコンで遊んでたら
勝手にラジコンが
道路に飛び出してっちゃって、
それを追いかけてったらはねられたんだ。
自業自得で起きたんだよ。
それに、ここは千葉だぜ?
岩手からどんだけ離れてると
思ってんだよ。」
捲し立てるように言葉が溢れだす。
親父に、というよりは自分に言い聞かせて落ち着きたかった。
「…そうだよな。悪かったよ。変なこと言って。」
「いや、いいんだ。俺こそ」
そこまで言った時、テレビの音をかき消すような耳をつんざく悲鳴が上がった。
いつ落ちたのか、
ソファの前の床にたかしがうずくまっている。
「どうした!?」
慌てて駆け寄るが泣くばかりで話せそうにない。
ただ、泣き声とあえぐ呼吸の合間に
「痛い、痛い。」と言っているのが聞こえた。
ソファから落ちて頭でも打ったのかもしれない。
「どっかぶったのか?ん?見せてみろ。」
体をゆっくりと仰向けにしていく。
「えっ?」
パジャマのズボンが血に染まっている。
それも、左側だけ。
「いだい…いだいよお…。」
嫌な予感が頭をよぎる。
でも、傷口を見なければ。
震える手でゆっくりとズボンをまくっていく。
すね、膝が露になるがそこには傷がついていない。
もっと上か?とたくしあげた。
「うぅあっ…!」
思わずその場から飛び退く。
たかしの太もも、
一周するようにぼつぼつぼつと丸い穴があいている。
それはまるで、足をまるごと飲み込むように噛みついた歯形のようだった。
「救急車呼ぶぞ。」
親父が携帯で電話を始めた。
泣きわめく血だらけのたかし。
何かしなければいけないはずなのに頭が真っ白で動けない。
ふと視線を感じてソファを見上げる。
そこにはあの熊のぬいぐるみがちょこんと座っているが、その口の周りは真っ赤に汚れていた。
「ヒデ。今来るらしい。保険証準備しておけ。
母さんには俺から電話する。
たかしは見ておくから。」
「あ、ああ。分かった。」
指示をされてようやく体が動いた。
保険証があるタンスに行こうと立った時、
どこからか風を感じた。
閉めておいたはずのベランダの窓が開いている。
カーテンがはためいて、その隙間から外が見えた。
雲がなくなり、輝いている満月。
俺にはそれが、何者かの目玉に見えて仕方なかった。
ーおわりー
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