第125話 王庭にひっそりと佇む一つの墓

 とはいえ、ワーズワース劇場を救うアイデアはなかなか浮かばなかった。


 騎士団債のようなものも考えたけれど、あれは騎士団本部に潤沢な資産があったからこそできたこと。


 融資を募って改修したとしても、ワーズワース劇場にどれだけお客さんが戻ってくるか分からないから、どの程度融資してくれたひとに還元できるかわからない。

 原資すら返せるとは限らないので、元本割れの危険もある。

 となると、債券でお金を集めるのは難しいだろう。


 なにか別の方法を考えなくては。


「ふぅ。やっぱりむずかしいなぁ。どうしたらいいんだろうね、モモ」


 私は干し草の山に座って、モモを撫でた。なめらかでやわらかな毛並みは、ずっと触っていたいくらい肌触りがいい。モモ自身は相変わらず、干し草に頭をつっこんで無心に食べていた。


 今日は西方騎士団の仕事はお休みの日だったけれど、屋敷の自室でもんもんと考えていたら煮詰まってしまったので、王城で飼われているバロメッツの仔羊モモに会いに来たのだ。


 モモはもう生まれて数ヶ月がたつというのに、大きさは生まれたときから変わらない。ちっとも大きくなっていないのだ。


 毎日こんなにたくさんの干し草や青草を食べているのにね。

 そこはやっぱり普通の羊とは違う、魔法の実から生まれた魔法生物ゆえんことなのだろう。


 私は意気消沈したまま、無心にモモの背を撫でていた。


「婚約の問題もこんがらがっちゃってるし。劇団の資金集めも良い案は浮かばないし。……はぁ、なんだか自分がすごくちっぽけに思えてくる」


 一人でぼやくと、モモが干し草から顔を上げる。そして、珍しくモモの方から私の膝の上に乗ってきた。そのうえ、すりすりと私の身体に柔らかな毛をすりつけてくる。普段は食べることしか興味が無いモモなのに、今日はやけに懐っこい。


 もしかして、慰めようとしてくれているんだろうか。


「モモ、ありがとう」


 バロメッツの羊は幸運をもたらすと言われているらしい。

 何か私にも幸運をもたらしてくれないかな、なんてこんな小さな仔羊にさえすがりたい気持ちでモモを抱きしめた。


 モモはおとなしくされるがままになっていたけれど、突然「メエエエエエエ」と大きな声で鳴きだす。


「ごめんごめん。ずっと抱っこされているのは嫌だよね」


 干し草が食べられなくて怒ったんだと思い、慌ててモモを干し草の上におろした。

 しかし、モモは干し草には見向きもせず、とことこと歩き出してどこかへ行こうとする。


「え? モモ? どこに行くの?」


 私は慌てて立ち上がると、スカートに付いた干し草もそのままにモモを追いかけた。


 いままで私が王城でモモを見かけるときには、かならずこの自分の小屋の前にある干し草の山の上にいたから、ずっとここにいるのだとばかり思っていた。でも、ときどき一人で散歩することもあるのかな。


 モモは、とことこと歩いて行く。

 どこへ行くんだろう? でももしモモが迷子になったら大変だから、私も後ろから付いて歩いた。


 王城の裏を抜けて、木々が茂る林の中をどんどん歩いて行く。


 そのまましばらくモモについて行くと、突然目の前が開けた。


 林の中にぽっかりと開けた空間。そこには小さいけれどよく整備された可愛らしい庭園があった。いまはもう花が咲く季節では無いけれど、植栽はよく刈り込まれていて、小さな石造りの西洋風あずまやがあり、その中には石でできたベンチもある。


「うわぁ、かわいらしいお庭。こんなところあったんだ」


 王城の敷地内には大きな庭園もあるけれど、ここはそれよりもずっとコンパクト。周りは林に囲まれていて、ちょっとした隠れ家みたい。


 林からはさわさわと気持ちのよい風がふいてくるし、なんだか落ち着くお庭だななんて思いながら、モモが歩くにまかせてついていくと、モモは庭園のはじにつくられた大きな黒い石版の前で足を止めた。


 その石版の周りはよく手入れされていて、石版の上には花びらがちらしてある。

 誰かが毎日手入れしているのは明らかだった。


 モモがその石版に立てかけるようにおいてあった花輪をもしゃもしゃ食べ始めたので、慌てて抱き上げて引き離す。


「だ、だめだって。モモ」


 でも、モモは意に介した様子も無く、「メェェェェェェェェェ」と一声鳴いただけであとはおとなしく抱かれていた。


 その石版には文字が刻まれている。でも、その文字は右側に偏っていた。

 まるで、本来左側には何か別のものを刻むはずだったのにまだ未完成のような、そんなバランスの悪さが気になって、そこに刻まれた文字を読んでみた。


「えっと……カテリーナ・エルディーン、ここに眠る?」


 エルディーンって、たしかこの国の名前よね。ということは、王族のお墓なのかな。でも、この国の歴史は百年以上あるって聞いたことがある。だとすると、王族のお墓ってもっとたくさんあってもよさそうなものなのに、なぜこのお墓だけこんなところにぽつんとあるんだろう。


 不思議に思ってモモを抱いたままその石版を眺めていたら、背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。


「あれ? カエデ。ここで何してんの?」


 振り向くと、フランツがこちらに歩いてくる。隣にはクロードの姿もあった。


「フランツ、クロード。モモがね、勝手にどっか行こうとしたから心配でついてきたら、ここに出たの。フランツたちはどうしてここに?」


 抱いていたモモを掲げると、モモは挨拶するようにメェと一言鳴いた。


「私たちもモモの声が聞こえたから、迷い込んでるのかと思って探しに来たんだ」


 と、クロード。


「うっかり練習場に出てきたら危ないからな。でも、カエデも一緒なら大丈夫そうだな。お前、今日も腹一杯干し草食いまくってんのか?」


 フランツにもしゃもしゃと毛を撫でられて、モモは嬉しそうにプリプリと小さな尻尾を降る。


「練習場? あれ? ここって、騎士団本部の近くなの?」


 いつもとは違う道を通って木立の中を抜けてきたから気づかなかった。フランツは後ろを親指で示す。


「近くも何も、そこの茂みを抜けたらすぐ練習場だよ」


 モモを抱いたまま茂みの向こうに顔を出してみると、本当だ! 練習場では今日も、団員さんたちが馬術の練習をしたり、剣の稽古をしたりしていた。


「毎日来てる騎士団本部のそばに、こんな場所があるんなんて知らなかった」


「ここは、『前王妃の庭』とか呼ばれてるとこだよ。あんまり用事もないから俺たちも近くにあるわりには滅多に来ないけど」


 前王妃……? 前王妃というと……。


 あ、もしかして! ワーズワース劇場での公演が脳裏に鮮やかによみがえってくる。クライマックスに王城のテラスで、愛する王弟さんを待ち焦がれていたあの人のこと。


「もしかして、前王妃って前にみた歌劇の主人公のモデルになっていた人のこと?」


「そうそう。現王の前のお妃さん。若くして病気で亡くなったって聞いたけど……」


 あまりそのあたりの話に詳しくなさそうなフランツに変わって、クロードが眼鏡を指であげながら話を引き継いでくれる。


「前王妃は亡くなる間際、生前よく訪れていたこの庭に墓を作ってほしいという言葉を残したんだそうだ。だから、前王妃の墓だけここに作られたらしい」


 前王妃が気に入っていたお庭。見回すと、自然と目が西洋風あばらやに引きつけられる。あの石のベンチに座って、彼女はこの庭を眺めていたんだろうか。


 そして、その隣には王弟の姿があったんだろうか……。


 そんな物思いにふけっていると、フランツがぽつりと呟いた。


「でも、ここ静かで綺麗だよな。あとで写生に来ようかな」


 あれ? 王都に帰ってきたのに絵を描いてもいいんだ? 前に、王都では満足に絵が描けないから遠征のある騎士団に志願したって聞いたけど、とそこまで思ってからようやく気づく。


「そうか。ハノーヴァーのお屋敷を出ちゃったらもう、絵を描いててもお父様に咎めらることもないものね。寮に転がり込んで、実はのびのびしてるんでしょ」


 図星だったのか、フランツはアハハと頬を指で掻く。


「クロードには、寮の他の部屋が開いたら早急に移れとは言われてるんだ。描いた絵がたまっちゃって。あ、また裏紙にあげるよ!」


「私も王都では充分に帳簿用の用紙が支給されてるから、もらっても裏紙になんか使わないわよ。そうだ、まとめて本として綴じて画集にしてみるのもいいんじゃない?」


「画集!?」


 驚いて目を丸くするフランツ。


「そんなこと考えたこともなかった。そっかそうやってまとめておけば、保管もしやすいよな」


「フランツの絵が好きだって人に譲るのもいいと思うよ。私もフランツの絵が大好きだから、そうやってフランツの絵のファンが増えたら嬉しいなぁ」


「カエデはいつもすごいこと考えつくよな」


 そう言って、フランツはなんだかくすぐったそうにしていた。だって、私も欲しいもの、フランツの絵の画集。


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