第123話 ワーズワース劇団

 帰り際、エリックさんは、


「もしよかったら気晴らしに今度劇場に行ってみないかい? いまちょうど、僕が書いた歌劇が公演されているだ」


 と、私たちを誘ってくれた。


 貴族のルールでは婚約前の男女が二人で出歩くのはまずいらしいけど、他の人も一緒なら問題ないみたい。


 最後にエリックさんは、クロードにも礼を言って去って行った。


 彼の足取りはしっかりしていて、とてもつい最近までいつ死んでもおかしくないと思われていた病人には見えない。やっぱりあの発作とその治療が相当身体に負担になっていたのだろう。

 それを思うと、元気になって良かったと心から思えた。




 次の週末。

 私とフランツはサブリナ様に借りた馬車で王都の繁華街に繰り出した。クロードも誘われていたけれど、彼はこの日は用事があるとかで二人で行くことになったんだ。


 目的地はもちろん、王都でもっとも歴史があるという『ワーズワース劇場』。

 馬車を降りて会場に入ると、ロビーでエリックさんが待っていてくれた。


 でも、劇場の中に入ってすぐに気づいたのは歴史の重み、というよりも老朽化した建物の古さだった。


 元は赤かったんだろうなぁとおぼしき絨毯は、いまは黒ずんでシミだらけになっているし。


 天井からつるされたシャンデリアは、支えるチェーンの一部が切れてしまっているようで傾いていた。あれはこのままにしておくと落ちてくるんじゃないだろうか……。


 元は白磁色だったと思われる壁もいまはすすけたように薄汚れ、描かれていた美しい絵や細工もあちこちはげかけていた。


 案内された二階の貴賓席はボックスタイプのバルコニー席になっていて、そこからは階下の一般席がよく見下ろせる。でも、もうすぐ開演時間だというのにお客さんはまばらにしかいなかった。


 これじゃあ、確かに経営は厳しいだろうな。


 開始のベルとともに場内の照明が落とされて、幕があがる。

 いよいよ公演のはじまりだ。


「最近は、他にも新しい劇場がいくつもできているから、そっちにお客さんを取られちゃってね。でも劇団の公演自体はどこにもまけないくらい素晴らしいんだよ」


 そうエリックさんが言っていたとおり、舞台の上で繰り広げられる歌も演技も素晴らしく、私はすぐに引き込まれた。


 それは王子と貴族の少女の恋物語だった。


 第二子として生まれた王子は、文武の誉れの高い兄とは違って引っ込み思案で物静かな性格をしていた。争いを好まず、王宮の図書室で本を読んだり、庭で小鳥に餌をあげたりするのを好むような青年だった。


 その彼は、いやいや参加した王宮のパーティで一人の少女と出会う。


 彼女は侯爵令嬢で、誰からも愛される明るくて心優しい女性だった。

 でも、彼女は早くに両親を亡くし、遠戚にあった侯爵家に養子にもらわれてきた過去をもっていた。


 その彼女の孤独に王子だけが気づき、やがて二人は惹かれ合うようになる。


 しかし、王は侯爵家との関係を深めるために、王位継承権のある兄と彼女の婚姻を一方的に決めてしまう。引き裂かれる二人。王子は王と兄に酷く反発し、それを王の施政に反対する一派に利用されてしまう。やがて兄弟の対立は、国を巻き込んだ内乱へと発展する。


 そこまで歌劇を見て、私はようやく気づいた。


「ねぇ、この物語って国名とか人名は変えてあるけど、もしかして元になってるのって……」


 隣に座るフランツに小声で尋ねてみると、彼は当然だというような調子で返してくる。


「ああ、五十年前に内乱を起こした王弟フレデリックの話が元になってるんだよ。俺、演劇のことはよくわかんないけど、人気の演目らしいよ。ずっと前からいろんな人が脚本書いて公演されてるみたい」


「そっか、そうなんだ……」


 この世界にはニュースや映画もないから、事件を広く大衆に知らせるという意味もあるんだろうな。


 はじめてこの内乱のことを聞いたときは、怖い話だと思った。


 でも、こうやって王子と少女の二人にスポットライトを当てて話を追っていくと、これは紛れもなく、引き割かれた恋人たちの悲恋の物語なのだ。


 いま、舞台では兄に嫁いでやがて王妃となったあの少女が、愛する人が逃亡先で行方不明になったと聞かされ泣き崩れたあと、王宮のベランダから彼に向けて愛の歌を歌っている場面だ。


 それは朝焼けの中、遠くへいるであろう彼へ、その無事を切に祈る歌だった。


 彼女の心の中は悲しみにくれているはずなのに、女優さんは涙のあとの残る顔で笑顔をつくり、高らかと別々の場所で生きていても心はともにあると歌いあげていた。


 澄んだその声は劇場を満たし、すべての目が彼女に釘付けになる。

 いままさに、舞台に悲劇の王妃ご自身が降臨したかのような錯覚を覚えそうになるほどの迫真の演技だった。


 その女優さんこそ、エリックさんが密かに思いを寄せている相手なのだということはすぐにわかった。


 だってエリックさん。彼女が舞台に登場するたびに熱い視線で彼女を見つめていたから。その様子は、まるで憧れの彼女の姿を一瞬たりとも逃すまいとするかのようだった。


 この劇の脚本はエリックさんが書いたものだという。一体、彼はどんな気持ちでこの物語を書いたのだろう。


 それを思うと、彼女の歌声の素晴らしさと相まって胸が苦しくなりそうだった。


 その歌を最後に、幕は下りる。会場は拍手に包まれた。


 私も立ち上がって、盛大な拍手を送る。フランツとエリックさんも、一階の一般席の人たちも、皆が立ち上がって熱い拍手を送っていた。


 私はこの世界に、好きなものがいっぱいある。透き通る空。元気に走り回る馬たち。美味しい食べ物。優しい人たち。


 でも、不満があるとすれば、この世界は人を好きになるということが、私が元いた世界よりももう少しややこしいことだ。だからきっと、この演目も人気があるのだろう。


 私とフランツ。エリックさん。そして王弟さん。

 誰もが好きな人と一緒になれる世の中になればいいのにな。

 なんてことを思いながら拍手を送った。


 幕が下りれば、一般席のお客さんたちは早々に劇場から出て行く。

 一方、貴賓席には劇団からの挨拶があるとかで、私たちはそのまま席で待っていた。するとしばらくして、トントンとドアが鳴った。


「どうぞ」


 エリックさんの声に応じて開いたドアの向こうには、先ほど舞台で目にした赤いドレスに身を包んだ王妃様……いや違った、女優さんが立っていた。


 腰まである長く赤い髪に、同じ色の大きな瞳。その左目の下にある泣きぼくろが彼女の妖艶ともいえる美しさを一層引き立てているように思えた。


 ただ、ドレスは近くで見るとつぎはぎの跡があちこちに見えて、元は鮮やかな赤だったんだろうなと思われる生地も全体的に色あせてしまっているのがわかる。


 彼女は強い瞳で私たちひとりひとりに視線を配ると、優雅にドレスをつまんで足を折った。


「ワーズワース劇団の公演にいらしていただきありがとうございます。当劇団の団長をしております、ターニャ・ワーズワースと申します。本日はお楽しみいただけましたでしょうか」


 一見可憐そうに見えるが体幹よくすっとのびた背筋、艶がありながらもしっかりとした発声で紡がれる言葉は、さすが舞台女優さんだと思った。


 舞台の上でもあれだけ観客の目を惹きつけられる人だもの。こんなに近くで接していると彼女の放つオーラに圧されてしまい、私はあたふたと彼女につられるように足を折って挨拶を返すので精一杯だった。


 両側に立つフランツとエリックさんはこういう場にも慣れているようで、


「ターニャ。今日の公演も素晴らしかったよ。今日はワーズワース劇団の公演を見せたくて、弟のフランツと友人のカエデ嬢も連れてきたんだ」


 エリックさんが私たちを紹介すると、


「フランツ・ハノーヴァーです。素晴らしい公演を鑑賞させていただきありがとうございます」


 フランツは胸に手をあてて優雅に微笑む。


 エリックさんはともかくとして、フランツのこういう姿を見ていると、彼も貴族社会で生きる一人なんだなと妙に実感してしまった。大焚き火のそばでシチューをかっこんでいた彼とはまるで別人のように思えて少し新鮮。


 ターニャさんはフランツに笑顔を返したあと、私の方に目を向けた。


 そうだ、私も自己紹介しなきゃ。えっと、なんて言えばいいんだろう。

 フランツの婚約者……じゃなかった、まだ婚約者になれてないんだ。それを言ったら、エリックさんの婚約者という方が今の立場には近いけど、そんなことをこの場で話したらややこしくなってしまう。


「え、えっと……」


 なんて自己紹介したらいいのか迷って口よどんでいると、フランツが助け船を出してくれた。


「彼女は西方騎士団で金庫番をしているカエデです」


 そう言いながら、私の手をやさしく握ってくれた。人前で急に手を握られて驚いたけれど、ターニャさんはそれだけで私たちの関係を察してくれたようだった。


 彼女は優しげに目を細め、


「お気に召していただけていたら光栄です。また是非、お二人でいらっしゃってくださいね」


 と、言葉をかけてくれる。

 そのあと二言三言交わして、ターニャさんたちが部屋を出ていこうとしたところで、エリックさんが彼女を引き留めた。


「ターニャ。この間の話、考えてくれたかな……」


 エリックさんがそう言ったとたん、ターニャさんはバッと振り返ると、先ほどまでの優しげな微笑みから一転、キッときつい目でエリックさんを睨んだ。


「それでしたら、前にもお断りしますとお伝えしていますでしょう?」


「でも、このままじゃこの劇団と劇場は……」


 心配そうに眉をさげるエリックさんに、ターニャさんはますます語気を荒げる。

 言葉遣いも、いつしか劇団の団長としてのものから、ターニャさん個人のものに変わっていた。


「この劇場は、この街の人たちに育ててもらって愛されてきた劇場なの。時の流れと共に忘れ去れてしまうのならそれは仕方の無いことだとまだ諦めがつくわ。たしかに、貴方の書く脚本は素晴らしいと思うわよ。でも、貴方は貴族でしょ? しかも莫大な財産をもつハノーヴァー家の。そんな貴族様の庇護を受けて形だけ美しく整えて生きながらえても、この劇場はもう街の人たちのものではなくなってしまうわ」


 そうターニャさんはきっぱりと言い切ると、「本日は本当にありがとうございました」ともう一度団長として優雅に挨拶をしたあと、ドレスを翻して颯爽とその場から立ち去ろうとした。


 でもドアを出る寸前でふと何かを思い出したように彼女は立ち止まり、私を振り返った。


「そういえば西方騎士団の金庫番っていえば、もしかして西方騎士団を救ったと噂されている『黒髪の乙女』様?」


 え? え? 噂?


 でも、確かに王城の慰労パーティで貴族のお嬢様方が私のことをそう呼んでいたっけ。西方騎士団の活躍は、瓦版や吟遊詩人の歌なんかで広まっていると聞いたから、劇団を経営するターニャさんが知っていることは何ら不思議ではない。


 こくこく、と頷き返すと、ターニャさんは何か言いたげな目をしたけれど、すぐにその口元にフフフと自虐気味な笑みが浮かぶ。


「いくら『黒髪の乙女』様でも、劇場をよみがえらせることなんて無理ですよね。どのみち今の私たちには頼む余力もないもの」


 そして、ちらっとエリックさんのことを見たあと、ふっきるように踵を返してターニャさんは去って行った。


 あとに残されたエリックさんは、傍目にもわかるほどしゅんと肩を落としている。

 なんて声をかけていいのかわからない。


 フランツと目を見合わせると、彼も困ったように肩をすくめた。


 この劇団の経営が危ないことは、老朽化した内装や少ない観客を見ていてもわかる。でも、劇団の公演自体はとても素晴らしいものだった。私はこういう公演を見るのは初めてだから他の劇場がどんな公演をしてるのかは知らないけど、人を引きつける魅力ある舞台だったことは間違いない。


 ターニャさんの演技や歌はもちろんのこと、他の演者さんたちの動きもすばらしくて、舞台の上に本当にその世界が存在しているかのような錯覚を覚えるくらい、公演の間中ずっと引き込まれっぱなしだったもの。


 王都の人々に愛されたワーズワース劇団とこの劇場。


 過去の栄光を取り戻すために、私にも何かできたら良いのにという思いが芽生え始めていた。『黒髪の乙女』だかなんだか知らないけど、何かお手伝いできたらいいな。

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