第24話「晴れのち雨」






   24話「晴れのち雨」






 今年の梅雨はいつもより長く、いつまでも雨雲が広がり、シトシトと雨が降り続く日が多かった。

 けれど、今日は少し晴れ間も出ており、花霞はその隙に洗濯物を干していた。雨が降る予定もなかったので、夕方になり帰宅した花霞は洗濯物を畳んでいた。




 「やっぱり外干しの方が、すっきりするよねー。」



 ぽかぽかした太陽の香りがしてくる洋服やタイルに触れると、思わずに笑みが溢れた。

 花霞は洗濯物を畳み終えて、片付けようとした時だった。



 開けていた窓から、ポタポタと小さな雨音が聞こえたのだ。

 慌てて窓に駆け寄ると、晴れていたはずの空はいつの間にか雨雲に覆われていたのだ。花霞は、すぐに部屋中の窓を閉めた。



 「今日は雨降らないと思ったんだけどな。早めに帰ってきてよかった。」



 花霞はどんどん強くなっている雨を見つめていた。と、その雨音が部屋の中で聞こえる気がしたのだ。



 「どこかの部屋の窓がまだ空いているのかな?」



 花霞は、音がする方に向かって早足で歩いた。すると、それはある部屋の中から聞こえたのだ。

 花霞が立っているのは、椋の書斎のドア前だった。




 「………ここの窓が開いてるのかも………。」




 彼の書斎。


 この家で唯一部屋に入ったことがない場所だった。

 それは、この部屋に住む事が決まった時に椋に言われたことを花霞をずっと守ってきたのだ。椋に「書斎には絶対に入らないで。」と言われたことを。

 その時の彼の冷たい目は忘れることが出来なかった。

 その約束を破ったらどうなってしまうのか。彼を怒らせたら……。そう思うだけで、この部屋の前を通るのさえも緊張してしまった。




 「けど………きっと大切な物があるなら………雨に濡れたら、椋さん………困るよね。」




 花霞は、廊下をウロウロしながら入るか入らないかでしばらく悩み、葛藤した。

 彼は怒ってしまうだろうか。それと、「ありがとう。」と、言ってくれるだろうか。

 花霞はその時、彼が大切なものが濡れずに済んだ事を喜んでくれるような気がしていた。

 花霞は、椋が自分を怒る事など、ないだろう。そんな風に思ってしまったのだ。

 それでも、内心では勝手に部屋に入ることなどダメだろう。そして、あの鋭く冷淡な視線と、右手の赤みを思い出しては止めようとも思った。

 けれど、少しの好奇心と大丈夫だろうという、安易は考えが花霞の手を動かした。



 「窓を閉めるだけなら………大丈夫だよね。」



 自分に言い聞かせるようにしながら、花霞は書斎のドアノブに手をかけた。そして、ゆっくりと開ける。

 その部屋は薄暗く微かな外の光りも入っていないようだった。窓を見ると、厚手のカーテンがしてあった。花霞はゆっくりと足を進めて部屋の中に入った。



 すると、その部屋は思った以上に狭い場所だった。テーブルの上には複数のパソコン。その横には本棚があった。

 壁には地図が貼ってあり、それには赤いインクで○や✕があったり、何かのメモも書いてあった。テーブルの上には何やら紙や新聞の切り込みなども沢山あった。

 けれど、それを詳しく見るのは申し訳なく、花霞はすぐに窓を閉めて、その部屋を後にした。

 部屋に入ってみてわかったのは、何ら普通の書斎だという事だった。彼はきっと仕事のためにこの部屋に籠って作業をしているのだろう。事件などのために切り抜きや地図を見ている。花霞はそう思った。

 入るのを拒むのは、何か秘密があるのかと思っていた花霞はホッと胸を撫で下ろした。



 「椋さん……何でこの部屋に入るのを拒んだんだろ?やっぱり……重要な事件だから、情報を守るため、かな?」



 そう考えながら、花霞はパタンとドアを閉めた。ドアを閉めてしまえば、彼もこの部屋に入ったとは思わないだろう。そう考えていた。


 彼の部屋に勝手に入ってしまった罪悪感を感じながらも、花霞は書斎には何の秘密もなかった事に、安心感を感じていたのだった。








 その日は椋の帰りが遅くなると聞いていたので、花霞は1人で夕食を食べ、ベットに入っていた。日付が変わるまでは待っていたけれど、それでも椋が帰ってくることはなかったので、彼には「先に休んでます。ごめんなさい。気をつけて帰ってきてね。」と、メッセージを送っていた。仕事中であれば、椋がこれを見るのが遅くなるのはわかっていたので、返信を待つ事はせずに、スマホをサイドテーブルに置いて眠る事にした。



 この部屋で1人で過ごすことも多くなっていたけれど、最近は特に寂しいと思うようになっていた。

 それは、彼の温かいぬくもりや優しさ、そして共に過ごすなかで幸せと楽しさを感じているからだろうと花霞は思った。



 「………朝起きたら、椋さんは帰ってくる。」



 花霞は、そう思い寝てしまえば次に目を覚ませば、笑顔の椋に会える。

 それを頭の中で思い浮かべるだけで、花霞は自然と笑顔になれた。

 左手の薬指の指輪を1回見つめた後、花霞はゆっくりと目を閉じた。彼が早く帰ってきてくれる事を願いながら。






 



 バタンッ!


 

 ドアが強く閉まる音がした。


 その音で、花霞は朦朧としながらも、椋が帰ってきたのかな、と思った。起きたいけれど、疲れからか瞳を開けなくなってしまい、またゆっくりと目を閉じて再び眠りに落ちていった。けれど、頭の中では「椋さんは普段あまり音をたてたりしないんだけどな。」と、不思議に思いながらも、その考えもすぐに眠りにより消えてなくなってしまった。





 それからどれぐらいたっただろうか。

 すぐであったと思うし、少し時間が経ったかもしれない。

 ドンドン、という足音とベットの軋む音が聞こえた、椋が帰ってきたのだ。そう思って花霞が目を開けた時だった。

 いきなり、唇にキスをされた。それは、言葉や呼吸を全て取られるような深いキスだった。



 花霞は驚き、目を大きく開いた。

 そして、すぐ訪れる苦しさから彼の胸を叩いた。けれど、椋は全くそこからよけてはくれなかった。恐怖と息苦しさを感じ、彼の顔を見つめる。サイドテーブルのライトが彼の横顔をうつすと、そこにはただ冷たい視線で花霞を見つめる椋がいた。


 それを見た瞬間、花霞は体がビクッと震えてその場から動けなくなってしまった。



 ようやく、唇を離されると花霞はゴホッゴボッと咳をしながら、荒い呼吸をしながら、椋を怯えながら見つめた。



 「………椋さん………。」

 「花霞ちゃん。花霞ちゃんは、俺との約束、忘れた?」

 「え………。」



 スーツを着ていた椋は、花霞を閉じ込めるように片手をベットにつき、花霞に股がっている。ジャケットを脱ぎながら、片手で黒のネクタイを緩めると、椋は低い温度のない声で言った。



 「………俺の書斎に入ったよね?」

 


 その声を聞いて、ビクッとしてしまう。

 椋は花霞が書斎に入った事に気づいたのだ。

 窓を閉めてしまったからだろうか。それとも、誰かが部屋に入った時にわかるようにしていたのだろうか。

 それは、花霞にはわからなかったけれど、椋はそれに気づいた。


 

 そして、怒っているのだ。

 それも花霞が想像していた以上に激怒している様子だった。冷静に見えるけれど、彼の鋭い視線と表情がない無の顔が、それを物語っている。


 花霞はすぐに、彼に理由を話した。



 「ご、ごめんなさい………。勝手に入るのはダメだとは思ったんだけど。雨が降ってきて………椋さんの書斎から雨音が聞こえたから、窓を閉めた方がいいと思ったの。」

 「…………だから、部屋に入ったって事?」

 「うん…………。」



 椋は、きっと理由を言えばわかってくれる。

 「そうだったのか。ありがとう。」と言って、優しく微笑んでくれる。そう思っていた。


 けれど、花霞の思い描いた事と、彼の表情は全く違うものだった。



 「………それで書斎に入ったの?俺が絶対に入らないでって言ったのに。」

 「…………ご、ごめんなさい。」



 彼の表情は変わらず無表情で、冷たささえも感じるほどだった。



 「…………花霞ちゃん。」

 「っっ!!」



 名前を呼ばれると、また花霞は深いキスをされる。先程、息が出来ないほどの苦しいキスをしたからか、花霞は彼の唇が触れるだけで体が震え、「怖い。」と思ってしまった。


 花霞が苦しさから彼の体を押そうとすると、その両手は椋にあっさりと掴まれてしまう。

 そして、頭の上に片手で固定されると、やっとの事で唇を離される。



 また、ハーハーッと呼吸を整えているうちに、椋はすばやく行動をしていた。



 「りょっ、椋さんっっ!!?」



 花霞が気づく頃には、自分の腕は動かなくなっていた。腕を引き戻すと、両手首には先程まで彼がつけていた黒いネクタイでしっかりと結ばれていたのだ。



 「これ、外してください。やだ………。」



 固く結ばれた椋のネクタイは、花霞が動いたぐらいでは全く緩むことはなかった。

 花霞は、恐怖から彼女は全身の震えが止まらなくなっていた。



 「ダメだよ、花霞ちゃん。始めに言った、よね?」

 「………ぇ………。」



 冷たく低い声で椋がそう言うと、花霞は消えてしまいそうな声しか出なかった。

 約束を守れなかった時。

 その話しを確かに椋としていた。それを思い出した途端、花霞はハッとした。


 その様子を見て、椋はその時、初めて表情を変えた。

 口元をニヤリとさせて笑っているようだったけれど、その表情は見たものを凍らせてしまうような、そんな恐怖を感じるものだった。








 「約束を守れない花霞ちゃんには、お仕置きだよ…………。」

 






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