第72話 今年はこんなところで

 六回の裏、千町高校の攻撃。

 先頭の難波が打ち取られた後、二番の遠藤がセンター前ヒットで出塁した。

 攻め気で果敢に攻めるチーム方針だが、中盤で三点差ということもあり、大智には送りバントのサインが出された。

 試合では滅多にバントはしないが、いつでもできるようにと、練習はしっかりしている。

 大智はファーストストライクできっちりと送りバントを決めた。

 これで二アウト。

 だが、ランナーを得点圏の二塁へと進めることが出来た。

 ここで打席に立つのは四番上田。

 何とか流れを引き込んで欲しいと、千町高校側からは期待を込めた声援が上田に送られていた。

 だが、守り側からすれば無理に勝負する必要はなく、一塁に歩かせてもいい場面だ。

 上田のここまでの成績は二塁打と四球。

 当然相手は、上田に対して厳しく攻めて来た。

 というより、一塁に歩かせてもいいくらいの気持ちで投げている。

 結局上田は一度もバットを振ることなく、一塁に歩かされてしまった。

 二アウト、ランナー一、二塁。

 五番の大森が打席に向かう。

 この試合のターニングポイントになりそうな場面。

 ここでの一点は後半、大きな意味を持つことになるだろう。

 相手も当然それはわかっているようで、この回の初め、疲労の色が見え始めていた相手投手だったが、打席に立った大森に対して、目の色を変えて睨みつけるような目になっていた。

 初球。

 力のある球が投げ込まれる。

 大森は初球から積極的に打ちに行く。

 が、タイミングが遅れてしまった。

 大森のバットは球の勢いに押され、バットに当たったボールは三塁側スタンドへと飛んで行く。

 大森は次の球を見送る。

 判定はボール。

 一ボール、一ストライクからの三球目。

(今年はこんなところで負けるわけにはいかねぇんだよ)

 金属音と共に痛烈なライナーがショート方向に飛んで行く。

 微妙な高さ。

 ショートはボール目がけてジャンプする。

(抜けろー!)

 打球の行方を見ながら走る大森は、賢明に心の内で叫んでいた。

 球場が湧いた。

 大森が打った打球はジャンプしたショートのグラブの僅かに上を抜けて外野の芝生の上に落ちた。

 二アウトで打った瞬間にスタートを切っていた遠藤が一気にホームへ還ってくる。

 一塁ランナーの上田は三塁でストップした。

 打った大森は二塁へ到達。

 オーバーランから戻ると、ベース上で小さくガッツポーズをしていた。

 千町高校のベンチやスタンドからは大歓声が上がる。

 これまで沈んでいた分を一気に爆発させるように、千町高校サイドは沸いていた。

 二アウト、ランナー二、三塁。

 打席には六番の岡崎。

 千町高校の押せ押せムード。

 その勢いが収まらないうちにと、岡崎は初球を果敢に打ちに行った。

 岡崎のバットがボールを捉え、鋭い打球が飛んで行く。

 その打球に千町高校サイドはまたワッと沸き立った。

 だが……。

 岡崎の打った打球はサードのグラブにダイレクトで収まった。

 スタンドからは落胆の声漏れる。

 打球が良かっただけにその分、落胆も大きいようだ。

 あと僅かでもズレていれば抜けていた。

 そうすれば間違いなく同点だった。

 だが、そう上手くいかないのもまた野球なのだ。

 球場の雰囲気は五分五分、いや、ピンチを切り抜けた分、微かに相手に分がある雰囲気になっている。

「ここで相手に流れを渡すわけにはいかんな……。春野!」

 藤原は一人呟いた後、大智を呼んだ。

 だが、返事はない。

「おい、春野はどうした?」

「春野さんならブルペンに行きましたよ」

 ベンチ入りの二年生部員がどこからか答えた。

「たくっ。言われるまでもないってか」

 藤原は一笑する。

 そして、ランナーから帰って来た大森に伝えた。

「ピッチャー、春野」

 それを聞いた大森は口元をニッと笑わせていた。

「はい」

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