第27話 気合十分

 五回の表、港東高校の攻撃。

 七番から始まる港東打線を大智は三者凡退に切って取った。

 しかし、三塁からホームまでの全力疾走とヘッドスライディングで体力を消耗した後、すぐにマウンドに上がった大智の球は前の回よりもスピードもコントロールの制度も落ちていた。

 七番からの下位打線とは言え、相手は強打を誇る港東高校打線。

 簡単に打ち取れるはずもなく、大智はこの回だけで三十球近く投げることとなった。

 結果的には三者凡退だったが、まだ試合の中盤だというのに、大智は既にかなりの体力を消耗していた。

「大丈夫?」

 息を切らしてベンチに帰って来た大智の姿を見て、愛莉が心配そうに声をかける。

「何が?」

 大智は滝のように流れ出ている汗をタオルで拭いている。

「体力。五回でこんなに疲れてる大智なんて見たことないから……」

「だろうな」

「へ?」

 大智の返答に愛莉は一瞬、虚をつかれたようになる。

 だが、大智は気にせずに続けた。

「やっぱ強ぇよ、港東は。剣都以外も油断したら一気に持っていかれそうな雰囲気をプンプン漂わせてやがる」

 大智はタオルから顔を上げると、グラウンドの港東ナインを見渡した。

「九回まで持つの?」

「さぁな」

 大智は平然とした様子で答える。

「さぁ、って……」

「なんたって九回を投げるのは初めてだからな。どんなもんなのかさっぱりわからん」

 大智はあっけらかんとしている。

「それはそうなのかもしれないけど……」

 あっけらかんとする大智とは違って愛莉はかなり心配そうにしている。

「でも、だからこそ、この試合は最後まで思いっきりいける気がするよ。九回投げるしんどさを知らないからな」

 大智はそう言うと、愛莉に微笑みかけた。

 そんな大智の微笑みを愛莉は呆れた様子で見ながらも、口元には笑みを浮かべていた。

 そんな二人の許に九番の大西がやって来る。

「春野、すまん」

「えっ? 何がです?」

 大智はわけがわからないといった様子で大西を見ながら、首を傾げていた。

「てか、なに打席に立つ前から謝ってるんですか。そんな弱気じゃ、打てるものも打てな……、い……」

 大智はそこまで言うとあることに気が付いた。

「あれ?」

 大智がグラウンドに目を向けると、港東高校ナインはベンチに戻っていた。

 この回、八番から始まっていた千町高校の攻撃はあっという間に三者凡退で終わっていたのだ。

「えぇ……」

 それを見て大智は唖然とする。

「もう……、交代……」

 大智はグラウンドを呆然と見つめていた。

「ご、ごめん」

 大西が再び大智に謝る。

「いや、大丈夫ですよ。ええ、全然……」

 言葉とは裏腹に大智の顔は引きつっている。

 明らかに大丈夫そうではない。

「体力も落ちて、剣都に打席が回るこの回が踏ん張りどころだぞ」

 愛莉が大智にグラブを渡す。

「たくっ。ピンチだね~」

 大智は顔を上げ、帽子を顔にかぶせる。

 数秒その体制のままでいて、元に戻ると、正しい位置に帽子を被り直した。

「うしっ! 行くか!」

 大智は自身に気合を入れて、ベンチを飛び出した。

「どこ行くの?」

 ベンチを出て行く大智を止めるように愛莉が声をかける。

「どこって、マウンドに決まってんだろ」

 勢いを止められたことへの不満か、大智は眉間に皺を寄せていた。

「もしかして知らないの?」

 愛莉が真顔で訊く。

「何を?」

 大智の眉間には皺が寄ったままである。

「五回終了後、グラウンド整備があるってこと」

「へ?」

 大智の顔が一瞬にしてきょとんとした表情に変わる。

 大智はゆっくりとグラウンドの方へと振り返った。

 グラウンドでは既に整備が行われていた。

 それを見た大智はまるで何事もなかったかのように淡々とベンチへ引き返すと、自分の定位置へと腰を下ろした。

「けっ。気合十分だったのにな~」

 整備中のグラウンドを見ながら大智は口をとがらせている。

「まぁ、まぁ。でも良かったじゃない。剣都に回る前に少しでも回復できるんだから」

「まぁな。でも俺、追い込まれた時の方が燃えるんだけどな~」

 大智はベンチの天井を仰ぐと顔にタオルを乗せていた。

「それはそうかもしれないけど、その気合は終盤まで取っておいたら? 最低でもあと二回は剣都に回るんだし」

「ん? あぁ。ま、それもそうだな」

 大智は上げたタオルの隙間から一瞬だけ愛莉を見ると、また顔にタオルを乗せて、天井を仰いでいた。


 グラウンド整備は速やかに終えられ、六回の表、港東高校の攻撃から試合が再開された。

 港東高校は打順良く、一番から攻撃が始まる。

「フォアボール!」

 港東高校の一番バッターが悠々と一塁へと向かう。

「ちょっと、ちょっと。自らピンチを招いてどうする」

 マウンド上の大智を見ながら愛莉が呟く。

 大智は足下の土を荒々しく削っていた。

 二番の剣都がバッターボックスへと入る。

 この試合、ここまでで唯一大智の球をまともに弾き返しているだけあって、期待の声が高まっている。

 この試合初めてランナーを置いての対決。

 いや、今まで試合で対戦したことがなかった二人にとって、これは初めてのシチュエーションでの対決である。

 大森は剣都との対決の前にタイムを取ってマウンドの大智の許へと向かった。

「間違いなくこの試合のターニングポイントになるぞ」

 大森はマウンドに着いて早々、大智にそう告げた。

「わーってるよ」

 大智は平然とした様子で答える。

「なら先頭を四球で出してほしくはなかったんだけどな」

 大森はそっぽを向いて言った。

「しゃあねぇだろ。出しちまったんだから」

 大智が口を尖らせる。

「責任は?」

「三振でいいか?」大智がふっとした笑みを浮かべる。

「欲を言えばゲッツーがいいな」

 大森はニッとした笑みを浮かべた。

「それが出来たら苦労しねぇよ」

「冗談だよ。この回を0点で抑えれば十分だ」

 大森は笑顔でそう言うと、大智の胸を二度ミットで軽く叩いてから自身のポジションへと戻って行った。

 ノーアウト、ランナー一塁。

 大智は一塁ランナーを警戒しながら、剣都へ一球目を投じた。

 鋭い金属音が響いたかと思うと、目にも止まらぬ速さの打球がサードの横、三塁線上に飛んで行く。

 大智はすぐさま打球の方向に振り向いた。

 サードの小林はあまりの速さに動けないでいた。

 港東高校のスタンドは湧き立っていた。

「ファール!」

 三塁の塁審がファールの判定を下す。

 港東高校側からは球場を埋め尽くすほどのため息が漏れていた。

 大智は審判の判定を見てふ~っと安堵の息を漏らす。

「うしっ」

 大智はホームに背を向けて腕をぐるぐると回し始めた。

 その様子をマスク越しに見つめながら大森が呟く。

「おいおい。今更かい……」

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