第21話 ベンチにいるだろ?

 試合前のシートノックを行う為に千町高校のメンバーがそれぞれのポジションへと散らばって行く。控え選手がいない為、ピッチャーの大智もノックの補助に入った。

「お~、お~。どうやら完全になめられているようですな」

 大智が相手ベンチにちらちらと目をやりながら呟く。

 相手ベンチの会話の内容が大智に聞こえていたわけではないが、彼らの動きやその様子から、千町高校を見下しているのは明白だった。

「ま、どっからどう見てもレベルが違うは一目瞭然だしな。そりゃそうなるだろ。けど、一人だけ全くスキのないやつもいるけどな」

 大森はグラウンドのナインを見ながら自身の後方にいる大智に返事を返した。

「だな……」

 大智はそう呟くと、もう一度相手ベンチを横目でちらっと見た。

 港東ナインは一見、真剣な表情を保とうとはしているが、節々に油断やスキとも取れる表情が見て取れた。だが、そんな中で剣都だけは全くと言っていいほど油断もスキもなく、闘志をむき出しにしていた。

「既に闘志むき出しだな、おい」

 ノックの合間にちらっとだが港東ベンチを確認した大森が冷汗を垂らしながら呟く。

「まさかだったとは言え、正真正銘、高校初対決だからな。それに、正式な試合での対戦は本当に初めてだ。あいつが燃えないわけがないんだよ」

 剣都のことをそう話す大智だったが、その大智の目にも闘志のような熱いものが宿っているようだった。

「ま、剣都が闘志むき出しにしてるのはそれだけじゃないだろうけどな」

 大森がぼそっと呟く。

「あん?」

 大智は首を傾げて大森の背中を見ていた。

「それより、大智はどうなんだよ? ちゃんと燃えてるのか?」

「それを訊く?」

 大智はキョトンとした顔をしている。

「いや、今日はやけに冷静だなと思ってな」

「抑えてんだよ、今はな。本当はさっきから体中が疼いてしょうがねぇ」

 そう告げる大智の顔には笑み浮かんでいた。

「だよな。じゃあ、マウンドに上がるまではちゃんと抑えとけよ。今日は無駄な体力を使ってる余裕はないからな」

「わかってるよ」

 大智はそう返事を返すと、もう一度港東ベンチにいる剣都に目を向けた。

 大智が剣都に目を向けた瞬間、二人の目が合う。

 大智は一瞬、ハッとした表情を浮かべたが、すぐにキッとした目つきになって、じっと剣都を見つめた。


 千町高校のシートノックが終わると入れ替わりで港東高校がシートノックを始めた。

「そういえば、剣都が外野を守ってるところを見るのなんて少年野球の時以来だな」

 外野に向かって行く剣都を見ながら大智が呟く。

「そうだね」

 剣都は本来、ショートを本職としているが、ショートには三番を打つ攻守の要となる三年生の先輩がいる。バッティングの秀でている剣都だが、ショートの守備に関しては三年の先輩に一日の長がある。その為、打撃を買われている剣都は、今大会は主にライトで出場することになっていた。

「まぁ、あいつのことだから、しっかり練習もしてるだろうし、どうせ無難にこなすんだろうな。いや、それ以上か……」

 大智はぶつぶつと呟いている。

「剣都はセンスの塊だしね」

「けっ、いい動きしてらぁ」

 外野でノックを受けている剣都の動きを見ながら大智が言う。

「さすがだね」

「てかさ……」

 大智は呟くようにそう言うと、顔を右に向けた。

「何?」

「何で愛莉がここにいんだよ!」

 大智の隣には先ほどからずっと愛莉がいたのだ。

「えっ、今更?」

 愛莉が怪訝そうな顔で驚く。

「仕方ねぇだろ。作者が書き忘れてたんだから」

 大智が眉間に皺を寄せながら言う。

 すみません……。ぺこり。

「ということで、ベンチに入ることになった経緯の説明よろしく」

 大智は愛莉に説明を促してくれた。

「たくっ、も~。しょうがないな~」

 愛莉は渋々と言った様子を醸し出している。

 本当にすみません。

「は~。藤原先生がどうしてもってしつこく言うからよ。あまりにしつこいから今年だけ引き受けることにしたの。てか、勝手に名前書いて提出してたし。まぁ、平日の試合だから、こうやって記録員として堂々と試合も見られるし、良かったといえば、良かったのかもしれないけど。でも本当は大智と剣都のどちらかに肩入れするようなことはしたくなかったから、ベンチには入りたくなかったのに……。まぁ、今回は剣都が大智の応援でいいって言ってくれたからベンチに入ったけど」

「と、いうことですので、皆さんよろしく」

 大智が言う。

「あ! そういえば剣都のやつ、絶対にうちが港東には勝てんとか抜かしやがったんだったけか? やろ~」

 大智は急にそのことを思い出すと一人で怒り出した。

「それこそ、今更……」

 愛莉は呆れた顔で大智を見ていた。

「見てろよ。その真っ黒に焼けた顔を真っ白に変えてやるからな」

 大智はグラウンドでノックを受けている港東ナインに向けて叫ぶような勢いの小声で言った。

「いや、オセロじゃないんだから……」

 愛莉が呆れ顔でツッコむ。

「気合入れるのもいいけど、入れ過ぎて初めから飛ばし過ぎないようにね。そうじゃなくても九回を投げるのは初めてなんでしょ?」

「あぁ。でも先の事を考えながら投げて勝てるほど甘い相手じゃないしな」

「それはそうだけど……」

 愛莉は心配そうな目で大智を見つめている。

「俺らは挑戦者だ。初めから全力で当たってなんぼだろ?」

 大智は愛莉の顔を見るとニッと笑ってみせた。

「もう。そんなこと言って、後半バテても知らないからね」

「大丈夫だよ」

 そう言い切る大智の言葉には力強さが込もっていた。

「何で大丈夫って言い切れるのよ?」

 愛莉は顔をしかめながら大智にその理由を訊いた。

「だって今日は、愛莉がベンチにいるだろ?」

 大智はそう言って微笑む。

「ばか……」

 愛莉は大智から顔を背けてボソッと呟くように言った。

 大智から顔を背けた愛莉の頬は少し紅潮していた。

「おっ、ノックが終わったみたいだな。んじゃあ、ぼちぼちキャッチボールでもしとくかな」

 大智はグラブを持って椅子から立ち上がった。

「大智」

 ベンチから出て行こうとする大智の背中に愛莉が声をかける。

「ん?」

 愛莉の声が聞こえた大智は後ろに振り返った。

「頑張れ」

 愛莉が穏やかな声で言う。

 その穏やかな声はどこか力強く、背中を押されるようでもある。

「任しとけ」

 大智は笑顔でそう答えるとベンチからグラウンドへと足を踏み出した。

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