第10話 一つお願いがあるんだが

「ねぇ? 本当に良かったの?」

 体育館から十分離れたことを確認した愛莉は心配そうに大智に訊いた。

「いいんだよ」

 大智は愛莉に話かけられても愛莉の方には振り返らず、前方に目を向けたままだった。

「難波くんの力が必要なんじゃないの?」

「お調子者で、自信過剰なだけなら、な。人の弱みに付け込んで来るような奴はいらねぇよ」

 大智はそう言うと愛莉の方に顔を向けた。

「で、でも……」

 愛莉はまだ何か言いたそうにしている。

「そんな心配そうな顔すんなって。まだ部員集めは始めたばかりなんだ。野球に興味がある奴の一人や二人くらいすぐに見つかるさ」

 大智は愛梨に笑顔を向けた。

「でも、それじゃあ、勝つのは難しいんじゃ……」

 愛莉は変わらず心配そうにしている。

「大丈夫だよ。俺が相手にまともに打たせなかったらいいだけなんだからな」

 大智は自信ありげに言う。だが、愛莉の心配そうな表情は崩れない。

「そんな簡単に言うけど……」

「大丈夫なんだよ。なんてったって俺には信頼のできるキャッチャーが付いているんだからな」

 大智はそう言うと後ろを歩いている大森の方に振り返り笑顔を向けた。

「簡単に言ってくれるな……」

 大森は苦笑を浮かべていた。

「頼りにしてるぜ。相棒」

 大智の顔が満面の笑みになる。

 大智の笑顔を見た大森は呆れながらも笑みを浮かべ、ふっと息を漏らしてから返事を返した。

「あぁ」

 大森はそう返事をすると右手の拳を体の前に突き出した。

 それを見た大智は大森の拳に自身の右手の拳を付けた。

「もう……」

 そんな二人の様子を見ていた愛莉は変わらず心配そうな目をしながらも、左右の口角を上げて微笑んでいた。


 それから数日が過ぎたある休日のグラウンド。

「ナイスボール」

 ブルペンで大智の球を受けている大森の声が響く。

「大森!」

 大森からの返球を受け取った大智は右手を上に挙げて大森を呼んだ。

「どうした?」

 次の球を受けようと座っていた大森はマスクを上げて大智に訊いた。

「ちょっと」

 大智は手招きして、大森を呼んでいる。

 それを見た大森は駆け足で大智の許へと向かった。

「どうしたんだ?」

 大智の許へ着いた大森が改めて訊く。

「なぁ、あのおっさん、また見てるぜ」

 大智が口元をグラブで隠しながら言う。

 大智の話を聞いた大森はライト後方にあるネットの方へと視線を向けた。そこには三十代から四十代の男性の姿があった。

「ほんとだ。最近、良く見るな」

「あぁ。どうする? とりあえず先輩に訊いてみるか?」

「だな」

 大森がそう返事をすると二人はキャプテンである小林の許へと向かった。

「キャプテン」

 ネットに向かってトスバッティングをしている小林に大智が声をかける。

「どうしたの?」

 小林はすぐに練習の手を止めて大智たちの方に振り返った。

「あそこからグラウンド見てる人知ってます?」

 大智がライト後方を指差しながら小林に訊く。

 そのことを相手に気が付かれないように顔は小林の方に向けていた。

「ん? どこ?」

 大智から質問を受けた小林はライト方向に目を向けた。

 しかし、小林はその相手を見つけられないでいた。

「へ? いやいや、いるでしょう? ライトのネットの裏に」

 大智はそう言って自分もライト方向に向いた

「……って、あれ? いない…‥」

 その人物は先ほどまでいた場所にはもういなかった。

「その人って、もしかして、ライトのネット裏からいつもこっちを見てる人のことかな?」

 小林が大智に訊く。

「そうです、そうです」

「なんだ。あの人は野球部の顧問だよ」

「へ?」

 大智と大森は頭に疑問符を浮かべた。

「顧問の藤原先生だよ」

 小林が二人に教える。

 しかし、二人はあまりピンッとはきていなかった。

「へ~。うちの部に顧問なんていたんですね」

 大智が驚いたように訊く。

「一応、部として活動してるからね」

 小林は苦笑を浮かべながら答えた。

「と言っても今年赴任してきたばかり先生だから実は俺もまだよく知らないんだよね」

 小林が少し申し訳なさそうに言う。

「でも野球経験者らしいよ。噂によると現役時代はなかなか凄い選手だったらしいし」

「ほ~」

 大智と大森が驚きの声を上げる。

「ま、所詮過去の話だよ」

 三人が話をしていると、大智と小林の間から例の男性、顧問の藤原が突然ひょっこりと顔を出してきた。

 その瞬間、三人は一斉にビクンとなって驚いた。

「び、びっくりした~」

 大智が驚いた顔のまま藤原を見ながら言う。

「先生! 驚かさないでください」

 キャプテンの小林は強めの口調で藤原に注意をした。

「すまん、すまん。近づいとることに全然気が付いてなかったもんだからつい」

 藤原が右手で頭を掻きむしりながら言う。

(子供かよ……)

 三人はそう心の中だけでツッコミ、冷たい目を藤原へと向けていた。

 一方の藤原はというと、そんな生徒の冷たい目など全く気にする様子もなく、ワハハッと笑いていた。

「この人で大丈夫か?」

 大森が大智の耳元で囁く。

「さ、さぁ?」

 大智は藤原を見つめながら呟くように返事を返した。

「ん?」

 大笑いしていた藤原だが突然笑うのを止めると、無言で大智を見つめていた。

「もしかして君が噂の春野大智?」

 藤原は大智を指差しながら訊いた。

「そ、そうですけど、俺に何か?」

「いや~、噂は耳にしてるよ」

 藤原は大智の右手を手に取ると両手で大智の手を覆った。

「凄い球投げるんだって?」

「えぇ、まぁ……」

 大智が戸惑いの表情を浮かべながら答える。

「いや~。ブルペンでもなかなか良い球投げてたね~」

 藤原はニコニコと笑顔を浮かべている。

「どうも」

 大智は帽子を軽く上げて会釈した。

「そこで一つお願いがあるんだが……」

 藤原はそう言うと、さきほどまでのちゃらけた顔をしまい、真剣な表情に変わった。

「何ですか?」

 それに気が付いた大智も真剣な表情に変わる。

「一打席勝負で君の球を見せてほしい」

「はい?」

 意表を突かれた大智はそう声を漏らしていた。

「勿論、無理にとは言わんが」

 言葉とは裏腹に藤原は真っすぐな眼差しで大智を見つめている。

「大丈夫です。やりましょう」

 大智はすぐにそう答えるとニッと笑顔を浮かべた。その目は輝きを見せている。

「そうこなくちゃな」

 藤原は口元をニヤッとさせていた。

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