第6話
その教室に入った俺は、なるほど彼らが言いあげに来るのも無理はないと納得した。
ひっくり返った机に散乱した教科書、恐れをなした他の子どもたちは、教室の隅で小さくなっている。
「おーい、ホームルームが始まるぞ。早く片付けろ」
「はい!」
さっきまで暴れ倒していたのか、ほんのり上気した頬で荒い息の子どもは、元気よく返事を返す。
「ほら、早くしないと授業が始まるぞ。みんなも見てないで手伝いなさい」
子どもたちは協力して、散らかった教室の片付けを始める。
俺は教卓で、今日配る予定の、日付を変えただけのプリントの端を整えた。
片付けを待っていると、『先生からのお話』をしている時間はないな。
「ほら、チャイムがなったじゃないか、急げ」
一時間目の始業開始時刻になれば、教科担任の他の先生がやってくる。
「じゃ、これ配っといて」
俺は目の前の子どもに、宿題プリントの束を渡した。
印刷したプリントは、朝イチで渡しておくに限る。
そうすれば、渡し忘れを防げるからちょうどいい。
俺は廊下に出ると、すぐに一時間目の教科担任のクラスに入った。
今日の授業で使うセリフは、全部頭に入っている。
それは俺がボイスレコーダーのように、どのクラスでも同じ内容で均一に授業を行えるよう心がけているからだ。
そうでなければ、子どもたちの公平な学力評価ができない。
宿題プリントやテストだけではなく、授業の内容も同じであるべきだ。
一言一句、というわけにはいかないが、とにかく学年が変わらない限り、一度の準備とその復習で俺自身が済むのだから、これは名案でもある。
働き方改革、教師はブラック職業なんて言われているが、そんなものは俺に言わせれば、低脳かつ非効率きわまりない連中の言い分けにすぎない。
やり方というのは、いくらでもある。
昼休みになった。俺は給食の時間は、職員室で食事を取ると決めている。
一般企業でも一時間の休憩時間は認められているんだ、教師にだって認められて当然だと思う。
他の先生から批判の目が絶えないが、そこは唯一、俺の譲れないところだ。
給食時間の終わりを知らせるチャイムが鳴る。
俺は今日も子どもたちとサッカーをするために、手を拭いて席を立った。
「先生! 先生のクラスだけ、まだ給食の食器が返ってきていません!」
白衣に白い帽子、長靴姿の調理員が、こんなことを叫ぶ。
俺に向かってそんなことを言われても、給食に関することはクラスの当番に任せている。
俺に言ってくるのは筋違いだ。
確かに子どもに全てを任せていれば、失敗も間違いもあるだろう。
だけど、それを温かく指摘し、子ども自身の力で訂正し、改善し、次につなげていくのが、本来あるべき大人の姿なのではないのか?
そんなことも理解しない人間に、イライラしながらも渋々自分のクラスに戻る。
教室の中を覗くと、いつもの男児二人がにらみ合っていた。
またコイツらか。
俺の姿を見つけると、すぐにそのうちの一人が駆け寄ってくる。
「先生! 俺は先生んちの子どもになったんだよね、そうなんだよね」
「それは秘密だと約束したはずだ」
俺は床に散乱した食器を拾い上げながら、小声でささやく。
「ちゃんと片付けないと、みんなとサッカーが出来ないじゃないか」
「俺もサッカーしていい?」
「もちろん」
その子どもが片付けを始めたので、俺は見ているだけの他の子どもたちに注意をする。
「みんなで協力して、ちゃんと片付けろ! まだ食べ終わってない人は、さっさと食べなさい。もう時間が過ぎてますよ!」
ほうきと雑巾を持ってこさせる。
この子といつも殴り合いの喧嘩をする男児が、まき散らしたみそ汁の具をほうきで集めながら、ちらりと俺を見上げた。
「なんですか? なにか言いたいことがあるなら、はっきりと先生に向かって、話してください」
子どもは慌てて目をそらす。
その様子を見て、腕っぷしは弱いくせに、口だけは達者なその子どもは、バカにしたように笑った。
「おまえが笑うな!」
彼はその言葉に舌打ちをする。
俺は正直、イライラしていた。
「時間までに、食器を給食室に戻しておけよ」
教室に背を向ける。
何があったのかは知らないが、これだけの大騒ぎをしていたんだ、隣のクラスの先生や生徒たちは、絶対に気がついていたはずだ。
なのになぜもっと早く、俺を職員室に呼びにこなかったんだろう。
先生方は俺が給食の時間は職員室にいることは知っているし、子どもたちだって、教室の中を覗いて俺を呼びに来ることくらいは出来たはずだ。
自分が困っているときには人に頼ってくるくせに、人が困っている時には知らんぷりなんだな。
本当に損な役回りだ。
おかげでサッカーが出来なくなってしまった。
もう次の教室に行かないと、授業に間に合わない。
俺は職員室に戻ると、残りの時間を授業の準備のために費やすことにした。
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