ハイリゲン・ブルート

岡智 みみか

第1話

俺は自宅の庭に植えたばかりのアカシアとミモザの若木に、丁寧に水をかけていた。


植える場所も良く選び、肥料もしっかり撒いた。


育て方の本も買ってきたし、きちんと手をかけて大きく育つよう、余計な枝葉も落とす。


こうやって丁寧に育て上げれば、大地に根の張った、立派な大木に育ってくれるだろう。


「あら、おはようございます」


近所を通りかかった、母と顔見知りのおばさんが、俺に声をかけてくる。


「朝早くからお庭のお手入れ? まぁ、新しく木を植えたのね」


「えぇ、大きな木のある庭に、憧れてまして」


おばさんは俺の庭をのぞき込み、二本の若木を交互に見比べた。


アカシアの木は父に、ミモザの木は母を思って植えたものだ。


「最近、お父さんとお母さんを見かけないけど、元気?」


「あぁ、二人とも体調を崩していまして、揃って入院しているんです」


「そうなの? まぁ、それは大変だったわね」


彼女はもじもじとして、何か言いたげな顔をちらちらとこちらに向ける。


「まぁ、病院では、二人とも元気にしているんですけどね」


そろそろ出勤時間も近い。


これ以上無駄なおしゃべりにつき合わされるのも面倒だ。


俺は毎朝の習慣と決めた水やりをたっぷりした後で、買って来たばかりの新品のホースを巻き取り始める。


「じゃあ、ご両親によろしくね」


「はい」


俺が笑顔を向けると、おばさんは自転車にまたがり去って行った。


家の中に戻り、一息つく。


「母さん、うるさいご近所のおばさんを、さっそく追い払ってきたよ」


母は台所のテーブルに座っていて、俺の用意した朝食を食べている。


「父さんも、あんまり自分勝手なことばかり言わないで、大人しくしといてくれよ」


新聞を広げたままの父を尻目に、俺も席についた。


炊きたてのご飯にお味噌汁、今日は焼いたししゃもが二匹と、沢庵に野沢菜のお漬け物。


昨日の残りの肉じゃがも添えた。


「いただきまーす」


俺は湯気を立てているその朝食に、箸をつける。


「今年の俺の担任のクラスさ、ちょっと個性的な子が多いって前にも話したじゃない? だいぶ落ち着いてはきたんだけどさ、まだまだやんちゃ盛りで大変でさ、その……」


仕事の愚痴は、同じ教職員だった両親にしか分かってもらえない。


俺はおしゃべりで弾む楽しい朝の食事を終えてから、片付けまで済ませて家を出る。


毎朝時間に余裕を持って出勤するから、一度も遅刻をしたことがない。


絶対に遅刻をするなという両親のいいつけを、いまだにきちんと守っている。


それは俺にとって、よいことだからだ。


自分からかってでた朝の挨拶当番にも、いつも開門前から立っている。


用務員さんが明けてくれた校門から、一番に外に飛び出す。


「おはようございます!」


「先生、まだ誰も子どもたちは来てないですよ」


「まずは世界中に向かって挨拶するのが、俺の基本なんです」


用務の先生は、そんな俺を見て笑って立ち去って行く。


ぽつりぽつりと登校し始めた子どもたちに、俺は元気な朝の挨拶を始めた。


副校長先生から話があると呼び出されたのは、ちょうど昼休みの時間だった。


校庭で子どもたちとサッカーをしていた俺は、すぐに校長室へと向かう。


「失礼します」


中に入ると、スーツを着込んだ見知らぬ男性が二人、丁寧に起立して俺を迎えた。


「お手数をおかけいたします」


俺を訪ねてきたのは、刑事さんだった。


「先生の担任のクラスの、ある児童についてですが……」


そのベテランと若手のコンビらしき、若手の男性の方が淡々と説明を始める。


俺の受け持つクラス児童の母親が、遺体で発見されたらしい。


「報道規制はかけています。ですが、すぐにこの件は公になるでしょう」


詳細は調査中で、詳しい事件の真相は、まだ何も分かっていないらしい。


「すみませんが、このお子さんについて、特別な配慮をお願いしたいのです」


「当然です」


あまりの出来事に、俺の声は自然と震え、それを抑えようと両手をぐっと握りしめる。


「分かりました。子どもの心のケアに、細心の注意を払います」


事件の真相とか、家庭の事情とか、そういったことは、今の俺には全く関係のないことだ。


俺には担任教師としての、俺のやるべき義務というものがある。


刑事と同じように、丁寧に頭を下げてから、俺は校長室を出た。



 

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