芸術家になれる装置

「博士、例の物が出来たって本当ですか!」


 研究室に飛び込んできたのは一人の青年だ。ごく平凡なサラリーマンらしい。

 彼は息せき切っており、仕事場から慌ててやってきたことが窺える。


「うむ。これが君が所望した芸術家になれる装置だよ」


 そう言って博士が取り出したのは、頭部に装着するタイプの装置だ。


「あくまで私なりの解釈だがね。芸術家になるには神秘的な体験が必要だと考えたのだ。霊的体験インスピレーションというやつだね。この装置には擬似的な霊的体験を可能とさせる機構が備わっている」

「なるほど……早速試してみてもいいですか!?」


「まだ完成したばかりで君が最初の被験者となる。私自身、どんな問題が生じるかも不明だが、良いかね?」

「もちろんです! 僕が博士に頼み込んで作って貰ったものなんですから!」

「よろしい。では、これを頭に着けたまえ」


 彼は言われるがままにそれを頭部へと装着する。

 博士は装置を起動する為のスイッチを手に取った。


「この装置を起動すると、脳の言語野に電気的な干渉が行われ、君は一分間、言語能力を喪失する。人間は誰しも思考を何らかの言語で行っているものだ。それゆえ、当然思考は曖昧模糊としたものとなってしまうだろう。しかし、そうすることで、言語による分化が行われる前の世界、すなわち原初の世界へと初めてアクセスを可能とするのだ。素晴らしき現在への全面的没入をただ感じるといい。その体験はきっと君を芸術家へと誘うだろう」

「……お願いします」


 彼はゴクリと唾を飲み込み、覚悟を決めた顔で告げた。

 博士は頷くと、スイッチを押して装置を起動した。


「…………」


 外見的には何ら変わっていないものの、青年の変化はすぐに表れた。

 言葉を喋る様子はない。当然だ。現在の彼は言語能力を喪失しているのだから。

 しかし、キョロキョロと周囲を興味深そうに見ていた。その目の純真な煌めきはまるで赤子のようだ。

 博士の顔を覗き込むと、「ああぁぁううぅぅおおぉ」と声を発した。けれど、何かを伝えようという素振りは見せないので、特に意味のないただの生理的な発声だと推測する。

 一分後、自動的に装置の電源が切れた。すると、青年は途端にその瞳に怜悧な輝きを取り戻した。


「……あ、博士」

「気分はどうかね。何かおかしなところがあったりはしないだろうか」

「いえ、特には」

「では、素晴らしい体験は出来たかね」

「はい、筆舌し難い体験でした……ただ」


 彼は言葉に詰まる。望んだ結果にはなってないことが良く分かる、苦々しい顔だ。


「ただ?」


 博士は何が失敗だったのだろうと気になり、急かすように聞き返した。

 すると、青年は懊悩しながらも告げる。


「僕にはその体験を文章や絵や音楽に出来るとはとても思えないんです……」

「……なるほど。芸術家になる為に必要なのは霊的体験ではなく、到底描けないと思えるものでも描こうとする不屈の意志だった、というわけだ」


 博士は自らの思い違いに納得する他なかった。

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