第66話11月21日よくみるとそれが母だ

物心つく頃

不器用に箸をつかみ 怒られながら見守られながら

ご飯を食べる練習をしたことも

小学生に上がるころ

鉛筆を握りしめ

毎日書き取りに明け暮れた ことも

部活動に夢中で

仲間と必死に走り込んだことも

誰かのためにと

包丁の使い方を 無心になって 繰り返したことも 裁縫覚え たことも

先生になろうとピアノの練習をしたことも


全部が一瞬でゼロになった

半分なくなっただけなのに 全部0になった

もう何もできない

どんな綺麗事もどんな理想も どんな励ましも

現実に 勝てはしない

もう一度全てをやり直す にはあまりにも年を取り過ぎている

時間もない

ひらがな一つ 書けない

ボタンひとつ はめられない

靴が履けない

喋る言葉もままならない

積み上げてきた役職も

ボランティアも仕事も

あらゆるキャリアも

全部ゼロになった


赤ん坊みたいだ

赤ん坊ならこれからだ

赤ん坊じゃないから

何もない


違うものを積み上げればいい

けれどもそれはとてもいびつで

これまでの日々の代わりにはならず

ずっと

あの日たおれなければ、の上に乗っかった

不細工なねんど細工なんだよ


ぽろぽろこぼしながら飯を喰う

ぶざまなひらがなを練習する

あいうえおを伝えようと口を大きく開く

一歩歩こうと汗にまみれる

ベッドにうずくまる


でかい赤ん坊だ

未来のない赤ん坊だ

出来そこないの赤ん坊だ

不細工な赤ん坊だ


よくみるとそれが母だ


もう一度一緒に大人になろう

してくれたことぜんぶしてあげるから

してきたことぜんぶやり直していこう

時間がなくてもいけるところまで

そしていくぞ

光と音の渦巻く俺たちの場所へ


そんな言葉がどんなにうつろなのか

分かっている

ないものはない

それでも

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