第54話 始まりの終わり

 軽く弾むような音色でドアチャイムが鳴った。

 俺はパチパチとうるさい鍋をかき回していた菜箸を止めて、エプロン姿のまま呼び出しに答える。鍵を開けると挨拶より先に買い出しのスーパーの袋がずいと差し出された。全部で三袋が俺の両腕にかかる。


「まったく、こんなつもりで言った訳じゃなかったのに」

「細かいことは気にしないでくれよ。皆で観た方が楽しいかもしれないぞ」

「デートでもなんでもないじゃない……」


 玄関口に並べられた二足の女物の靴を見てそんな愚痴をこぼしつつ、それでも律儀に「お邪魔します」と丁寧に靴をそろえた。俺は桐ケ谷に施錠を頼んで買ってきてもらったものをキッチンに運ぶ。

 とはいっても菓子類がほとんどで、あとはパーティー用の惣菜だ。

 中間テストが明けた週末。桐ケ谷と交わした映画鑑賞を、高坂と林を含めた四人でやろうという話になった。名目はテストの打ち上げで、主催はなぜか高坂だ。

 俺はまたパチパチパチパチうるさいカロリーの塊を菜箸でつつく作業に戻る。後片付けが果てしなく面倒だから油物はあまりしない主義だったが背に腹は代えられない。


「うわ、本格的ね」

「どっちのことかな?」

「両方よ」


 桐ケ谷はリビングとキッチンを見比べつつ肩をすくめた。

 俺もそれには苦笑いを返す。


「あーまあ、スクリーンの方は親の貰い物だよ」

「脚本のネタになったとか、スタントマンをやったお礼とか?」

「鋭いな」

「じゃあそのフライドポテトは?」

「高坂が『映画ならポップコーン』ってゴネて、そんな大量に作れないからポテトが妥協案になった」

「……それは妥協してるのかしら」

「さあ?」


 曰く俺が仲直りできたのは高坂あってのことらしいから、素直に言うことを聞くことにしただけだ。なんだかんだ見えないところで裏方ばかりやっている高坂は今日の朝一番に来て、届いた機材のセッティングで俺の部屋にずっと籠っている。


「林が設営やってるから、桐ケ谷は温めた料理とか菓子を適当に並べて持って行ってくれるか? これが手放せないんだ」

「分かったわ」


 どこにどんな皿があるとか、そんな指示を出しつつ桐ケ谷に手伝ってもらったおかげでキッチンのカオス具合はいくらか解消されつつあった。


「ねえ」


 指示を交わすこともなく、お互い調理と盛り付け作業をしている合間に、桐ケ谷がぽつりと言葉を転がす。


「荒療治だったみたいだけど、恋愛が怖いっていうの……少しは良くなったのかしら」

「あー……」


 桐ケ谷の質問に俺は口ごもった。

 どうなのか、と聞かれたら少しは良くなったんじゃないかと思う。紺野にどうしてフラれたのかが分かって、気持ちに多少の折り合いをつけることができた。でも一方でつくづく恋愛は難しいなとも思ってしまう。

 理解したかった紺野と誰も彼も拒んでいた俺は、付き合いこそしたもののすれ違って傷つけあって別れてしまった。それを恐れずに新しい恋愛を始められるかといったら……素直には頷けない。

 また別れることになったら。

 折り合いをどこかでつけられたとしても傷や痛みはどうしたって残るだろう。


「まだ、治ってはいないかな」

「残念ね。治っていたらすぐに付き合えたのに」


 背中越しに聞こえてきたため息に申し訳なく思った。


「俺より良い男なんてほかにもごまんといると思うぞ」

「そうかもしれないわね」


 本当のことを言っただけな上に、俺から言ったことなのに即答されるとへこむ。俺はちょっぴりシリアスな気分にひたりながら揚げたてのポテトに軽く塩を振った。


「これでポテトも終わりだ。そっちは?」

「私もあとは持っていくだけね」

「じゃあ行くか」


「ポテトまだー?」と高坂のねだる声が聞こえてくる。それを林がなだめているのがなんだか滑稽だった。二歩先を行く桐ケ谷が、キッチンを出る前振り返る。


「でも、今好きなのは春人だけよ」

「お、おう」


 思わぬ不意打ちに挙動不審になった俺を「変な春人ね」と桐ケ谷は笑った。

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