第41話 扉をノックする音

 施錠しないまま閉めた扉から離れて、つっかけた革靴を脱いでネクタイをするりと首元から取り去る。林には悪いけど自分の部屋の中でずっと制服でいる気にもなれずにTシャツとデニムに着替えた。薄手のパーカーを羽織ればすっかりくつろぎモードだ。シャツを洗濯機に放り込んでスラックスはハンガーにかけておく。

 普段からそこまで散らかさないものの、テーブルの上なんかを整えてみた。読み止しの本を閉じて雑多な飾り棚に潜ませてしまう。

 そうこうしているうちに控えめな来訪者を告げるチャイムが鳴った。


「手、塞がってたら開けられないか。入って」

「お、お邪魔します……」


 扉の向こうで待っていた林を通して、リビングに向かった背中を追う。林はトレーをテーブルに置いて陶器のマグカップにコーヒーを注いでいた。


「田崎くん、どうぞ」

「ありがとう」


 マグカップを受け取って一口すする。同じものを両手で抱えた林はどこか所在なげに視線を巡らせた。


「……立派なお家ですね」

「一人暮らしには無駄に広いかな。一応名義は両親のものなんだけど滅多に帰ってこないし、別に家あるし。正直ワンルームでも俺はよかったんだけどね」

「異国情緒があってとても良いお部屋だと思います」


 林は飾り棚を見てそう呟いた。

 体のいい荷物置き場にされている感もなくはない。大きさのあるものとかは客室に置いていたりもする。むしろ荷物置き場に息子を住まわせているんじゃなかろうか。いやまあ、文句はないけれども。


「適当にその辺に荷物置いたら、アカウント作っちゃおうか」

「はい」


 入口とは別の短い廊下のドアを引き開けて自室に林を招く。何の変哲もないベッドと勉強机、クローゼットがあるだけのシンプルな部屋だ。着替えた時についでに電源を入れたデスクトップは準備万端だった。

 俺はいつも使ってるオフィス用のワークチェアの背もたれをクルリと回す。


「ほら、座って」

「でも」

「そんなに難しくないから。大丈夫大丈夫」


 予備のスツールを俺が取り出すと、観念したのか林はワークチェアにおずおずと座った。本当に大したことはない。俺はぴっと人差し指と中指を立てて、ピースサインを作る。


「これから林にはピクシブとツイッター、二つのアカウントを作ってもらう」

「ふ、二つもですか……?」

「正確には二つのサイトで連携する一つのアカウントを作るんだけどね」

「???」


 分からなくてもいいよ、と首を傾げた林の疑問を吹き飛ばす。


「片方は作品を掲載するため。もう片方は林自身に情報を発信してもうため、だな。ピクシブに限らず、ウェブに作品を載せている人は結構セルフプロデュースもしてる。『たくさんの人に見てもらいたい』っていう目標を達成するなら、少なからず作者もプロデュースを頑張らなければならないと思う」


 一息に喋った俺の言葉を吟味するように考え込んだ林は、沈黙の末に「はい」と首肯した。


「それが田崎くんの思う最良ならば」

「ああ。手探りで進もう」


 そのために俺がいるし、これは目標のために必要な【道具】だ。


「じゃあツイッターからやろうか」

「はい」

「とりあえずストアからアプリを落として……」


 ゆっくりめな操作を見守りながら逐一林に操作方法を教えていく。俺が取得した時の倍ほどもかかってしまったがこれから慣れていけばいい。


「アカウント名はどうしましょうか」

「ああ、悩むな。好きな単語を組み合わせたりして名前にする感じかな」

「好きな単語……ですか」


 林にとってはこれから絵描きとして名乗るペンネームだ。迷うかな、と少し心配した俺の内心と裏腹に、林はフリック操作で『夢崎』と打ち込んでから上目遣いにこちらを見つめる。


「田崎くんと私から一文字ずつでも、いいですか……?」


 不安そうに問われて俺は勢いよく首を振った。


「いや、林がそれでいいなら俺は構わないよ。名前は後でも変えられるし」

「変えません」


 はっきりとした声音で林はもう一度「変えません」と宣言する。おれはうやむやに相槌を打って、ツイッターのフォローを飛ばした。


「それが俺のアカウントね。フォロバしたくなったらしてくれればいいから」

「フォロバ、ってなんですか?」

「フォローした人をフォローすること。フォローバック、略してフォロバ」

「なるほど」


 そんな感じでツイッターの使い方を一通り教えて、いよいよ本題のピクシブに手を付けようとした。そんな時だ。


「あっ。雨降ってきちゃいましたね」

「本当だな。……どうする、本降りになる前に帰る?」


 窓の外を見ると墨色に滲んだ空からざあざあと雨が降り出し始めていた。天気予報も外れるときは外れる。この雨が一過性のものか、あるいはこのまま雨脚を強めていくのか見通しもつかない。

 俺が尋ねると林はいえ、と言葉を切った。


「私は大丈夫ですよ。もしかしたら、止むかもしれません」

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