第11話 バスケットボールプレーヤー

 毎年恒例の健康診断が通り過ぎて、しかし体力テストはゴールデンウィーク明けという微妙な時期。俺のいるクラスの体育は男たちの支持によってなぜかバスケをする事になった。中学の頃履いてたバッシュを体育館シューズ代わりにしていて良かったと思う。


「どうすっかな……」


 もっとも、ボールを衝く以前に柔軟体操をする相手に苦慮していたが。

 辺りを見回すと誰も彼もがペアを作って適当に柔軟をやっている。ここ二週間近くクラスメイトとの接触でさえ極力避けてきたデメリットが、こんな所でやって来るとは思いもしなかった。

 それもそうだ。去年の今頃なんて紺野のグループに溶け込んで楽しくなりだした時期だったんだから。


「ま、一人でいいか」


 壁際でいかにも線の細い、俺と負けず劣らずな地味なクラスメイト達が協力し合う中、俺は個人でできるストレッチを入念に行った。この辺は昔取った杵柄というやつだ。やはり周囲がペアを組む中でそんな事をやっていたら目立つ。


「アイツ一人で変なのやってるぜ」

「さびしーのぉ、くくくっ」

「やめてやれって。今はアレだけど元紺野グループだぜ」


 そんなクラスメイトでもガラの悪い奴らが馬鹿にする声が聞こえる。ああいうのは誰かを下に見ないとやってられないらしい。イケてるやつが全部ああでないことは知っていたものの、かと言って相手する気にもさらさらなれずに俺は無視を決め込む。

 それに釣られてなのか、厳つい顔つきをした剣道部顧問の田島が険しい目を投げてきた。


「ペアを組まんのか」

「テキトーにやってるように見えます?」


 伊達でバスケをしてた訳じゃない。体のほぐし方ぐらい知ってる。一方の田島も伊達で体育教師をやってなかったらしく、何事か唸ったあと黙認してくれた。田島の指摘があったにもかかわらず一人でストレッチを続行する俺に、また何事か嘲笑の言葉がかけられるがあまり耳に入ってこない。

 それ以上に、格好が昔に戻ったからか久しぶりのバスケにワクワクと胸が踊っていたのだ。

 せっかく優馬もいることだしな。

 そう思って優馬に視線を向ければ、ちょうど優馬が歩いて来るところだった。

 背後にはボール籠。田島が怪我しないように、と注意といくつかの指示を飛ばして解散を告げる。途端に騒がしくなる周囲を、優馬は威圧するようにダムダムと強めにボールを打ち鳴らした。


「ヘイ、『一人四役ソロスクアッド』。一年でサビついてないか〜?」

「そのカッコ悪い二つ名はやめろよ。『桃色猿ピンキーヘッド』」


 優馬は中学の頃、乱暴なプレーと某サイヤ人のようなどピンク頭のせいでそう呼ばれていた、バスケ強豪校の一軍メンバーだ。怪我をしてからは一線級の実力を出せなくなったものの、今もバスケ部に入って練習に参加していると聞く。

 関東大会で当たった時は、負けるかとヒヤヒヤさせられた相手だ。


「慣らしで一本行くか」


 クイ、と顎を奥のゴールに向けてしゃくり優馬は力強いドリブルを敢行する。スピードは全力の七割くらい。ワイワイガヤガヤと近くのゴールに集まりだすクラスメイトの間を、暴風のように通り過ぎる。

 俺はかき乱されたそこをぶつからないように避け、その背中を追った。


「いきなりかよ」

「ついてこれるだろ〜」

「まあな」


 優馬から俺へのノールックパス。ドムッ、とワンバウンドしたにもかかわらずその威力は健在で手のひらが痺れた。俺は小刻みなステップを織り交ぜつつディフェンスを躱す動きを一度入れ、そのタイミングで優馬にボールを返す。


「かあ〜〜、エゲツない!」


 かく言う優馬もどこで仕込んだのか、球を衝く手を後ろにずらし巻き込むようにスリ抜けるトリック……というブラフをかまして背中からこちらにダイレクトパスを繋いだ。


「お前も、なっ!」


 俺は足捌きを試したくなって、受け取ったダイレクトパスの勢いのままに優馬に返却。


「バッカどの口が言うんだよ!」


 投げたのは優馬の前方。スリーポイントライン目前のあたりだ。優馬の爆発的なバネがあれば届くことも難しくない。そのまま駆け込んでレイアップも、ジャンプ力が戻っていたら。

 その瞬間、ボールに追いついた優馬がニヤリとほくそ笑んだのを見た。


「おらよっ、お返しだ!」


 スリーポイントライン上でのジャンプシュート。しかし球威はゴールを壊すほどに強く、がぃいいんと鈍い音が鳴り響く。ボードに反射した球がまっすぐこちらに飛んでくる。

 手のひらが剝けそうなほどの衝撃。辛うじて受けきって低い姿勢でドリブル。最大加速でゴール下に潜り込む。勢いを反転し力を上へ。伸び上がったまっすぐな背筋と球の底を支える利き手。反対の手で優しく支え、手首のスナップの力のみでシュートを放つ。

 緩やかな放物線を描いて寸分の狂いなくゴールに向かった。思わず笑みが出る。

 着地する寸前に言ってやった。


「決めろ、優馬」


 優馬の闘争本能もまた死んでなかったらしい。リングの縁で球が跳ねるよりも早くゴールに向けて踏み込む。金属製のリングをしならせた球は反動で垂直に浮かびながら今度こそゴールに吸い込まれそう、といったところ。

 重い。体育館の床を踏み抜くがごとき衝撃音を伴って優馬が飛ぶ。長身と、長い手足全部を使って球を捉えた。

 そして仕上げにリングに叩き込む。


「……」


 だむっ、だむっ、と球が転がる音以外が静寂に包まれていた。優馬の荒い着地音が束の間の無音を破る。先ほどまで集まっていた方を見やると誰も彼もが驚いた顔をして、ぽかんとこちらを眺めていた。それは俺の見知った桐ヶ谷、林、高坂も含まれる。


「くっくくく、見ろよ〜あの間抜けな顔を〜」


 すっかり元の調子に戻った優馬に肩を叩かれ思い出す。

 優馬は俺がバスケ経験者であることを知っているが、他のほとんどのクラスメイト達は知らない。たとえ今目の前にいるのが全国大会に出場したバスケプレーヤーだとしても、他校の、他県の一選手のことなど耳に入ってこないだろう。

 今まではそうだった。それで良かった。

 俺は日々楽しく生きるのに忙しくてバスケットボールに触れる機会はあまりなかった。だから明新では『紺野グループのメンバー』でいられたんだ。それにたとえ聞いたとしても高校デビューをして姿を変えていたし、バスケをしてなければ信憑性にどうしても欠ける。

 それがこの場では全部裏目に出た。

 苦々しい思いで優馬の手を払う。


「……俺をハメたな」

「さぁ〜、なんのことやら〜」


 とりあえずイラついたので、ウルフ気味に伸びたオレンジの襟足を引っ張っておいた。


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