第5話 宣言する夜

「ってやつだろ?」


 俺がそう言い切ると、煮え切らない様子で桐ヶ谷がむくれる。


「私が言いたいのはその後のことよ。前日片付けきれなかった分、あなたがやったのでしょう?」

「なんのことだか分からないな」


 爆睡したことに。去年の文化祭の初日、俺は準備で疲れたという理由で参加したのは午後を回ってからだ。散々優馬たちにからかわれ、その後バカ騒ぎに突入したために思い出すこともなかったが、それでよかった。

 残った書類は当日の朝に、というのが俺の見解。


「ヘラヘラしてる癖に、そういうところはあの頃から真面目よね」


 桐ヶ谷は不完全燃焼とでも言わんばかりにカップを置いて髪をかきあげた。

 あなた以外に誰がやったのよ、と雄弁に語っている。

 俺としては別に大したこともしていない。十分少々歩けば着く距離に家があって、日が明ける前に終わる程度の仕事があった、ただそれだけのことだ。文化祭で散々櫻井をからかってむしろ釣りが来たくらい。


「俺が真面目かどうかなんてどうでもいいよ。しかし、それで惚れるもんなのか?」


 仕事が山積みで大変な時に助けられた。

 朝行ったら残っていた仕事が綺麗に片付けられていた。

 ただそれだけのことで好きになってしまうのだとしたら、むしろ桐ヶ谷のその惚れやすさが心配になる。

 だがそれに桐ヶ谷は露骨な嫌悪を示した。


「はあ? 文化祭はキッカケよ。案外悪くないなと思って、目で追ううちに……ね」

「そんなもんか」

「そ、そんなもんかって酷くないかしら?」


 嫌悪から照れにスムースに移行していく。桐ヶ谷は案外感情豊からしい。そして今は淡白な返答に困ったような表情をしている。

 俺は言おうかどうか悩んだ言葉を、そのまま桐ヶ谷にぶつけた。


「いや、可愛い恋だなと思った」

「なっ……!! な、なんでそんなこと言うのよ……」


 普段のクールさというか、委員長らしさはどこへ行ったのやら。照れて頬を染めながら挙動不審になる一人の女の子が向かいの席にはいた。俺は桐ヶ谷が落ち着くのをコーヒーと共に待ちながら、心の内でひとりごちる。

 生傷を抉るようだが、俺が紺野と付き合いだしたのは件の文化祭で告白してからだ。桐ヶ谷が俺に好感情を持ち始めたのは同時期。つまり桐ヶ谷は実らぬ恋と知っていながら……それでも俺を好きになったのだろう。

 桐ヶ谷がいつどのように俺と紺野の別れを知ったのかは分からない。だが半年もかけて積み上げた想いを考えれば、二年生になったばかりの始業式に告白をしようと思い立っても自然だと思う。

 俺がまったく逆の立場だったなら。

 新しいクラスの人間関係が形成されきる前に、新しい出会いが起きる前に、自分のものにしたくなっていたかもしれない。

 桐ヶ谷の胸の内に秘められた、熱い想いの源泉を垣間見た気がした。

 それに非常に申し訳なく思いつつも俺の気持ちを隠すことなく話す。


「桐ヶ谷、やっぱりまだ俺は恋愛が怖い。好きだって言ってくれたのは嬉しい。けどここで流されて付き合うのは桐ヶ谷に悪いし、またすぐあんな思いをするのは嫌だ。これが治るまでは付き合ったりとかは……できないと思う」


 落ちた視線の先、太ももの上で組んだ手が力んで白く変色している。

 高校デビューしてイケてる奴らのグループに入って、何人かの女子から言い寄られたことはあった。告白を受けて振ったこともある。けれどここまで苦しいものではなかった。


「……それって、田崎くんが治るまで待っててもいい、ってことよね?」

「身勝手だよな……」

「そんなことはないわ。待つ……いいえ、私が治してあげる。それが一番ね」

「桐ヶ谷……?」


 思わず顔を上げれば、いつもの頼れる委員長の雰囲気をまとった桐ヶ谷がそこにいる。鋭い瞳の奥には情熱が揺らめき口角は得意げに持ち上げられ笑みを形作った。

 凛とした印象を与えながらも臆することのない心を閃かせる。


「私が惚れるんじゃなくて、。田崎くん」


 それは実に堂々とした宣言だった。


「……ああ、やれるもんならやってみろよ」


 見た目も、心も変わってしまった、新学年の始まりに相応しいと思えるほどに。

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