第40話 銀縁眼鏡の同志~金井七海の法廷闘争
銀縁眼鏡に紺色のスーツ、えんじ色のネクタイを締めた男は米田、と名乗った。
S地裁に近いマンションの一室。「米田法律事務所」と書かれた看板がなければ、一般の賃貸住宅と言われても分からない。いや、その看板だって、表札のステンレスケースに手書きで札を差し入れただけで、米田のスーツのラペルに付けられたバッジを見なければ、弁護士かどうか疑わしいものだった。
「ああ、バッジですか。一般の方には珍しいでしょうね。本当は金色なんですが、ベテランに見られたくて、若い時に表地を削ったんです。若い弁護士がよくやるんですよ。まあ、今は本当にベテランになっちゃったけど。年だけは」
笑わせようというつもりなのだろうが、笑えない。そもそも風体が銀行員のようだ。それも冴えない窓際系の。中年男性にありがちだが、スーツの襟元にふけがたまっていて、ネクタイは結び目付近の色だけ皮脂でくすんでいる。七海は次第に嫌悪感が募ってきた。
七海の気持ちを推し量ったのか、夫の忠司が七海の肩をたたきながら、米田に質問を重ねた。訴訟の代理人を依頼したいが、料金はどのくらいになるものなのか。口頭弁論はどのくらいの頻度で開かれ、判決はいつごろ出るものなのか。法律に疎い七海も知りたいところだった。
「あー、結論から言いますとね、料金は要りません。ああ、それだと語弊があるな。そう、実費だけいただきます。これは他の方にもそうお話しています。法廷はーー、そうですね、月に1回ずつ開かれて、結審までだいたい1年半かな。判決は時期にもよりますが、その半年以内というところでしょう」
スケジュールの話も詳しく聞きたかったが、七海は料金の話に耳を疑った。報酬はいらない、という意味だろうか。弁護士というと法外な報酬を取る専門職というイメージがあったのだが。そこは忠司も同様だったようで、掘り下げた。
「そのイメージは分かります。一般的な事件なら着手金が10万~30万円、和解なり判決の際に成功報酬として和解金や賠償金の13~16%というのが相場です」。米田はS弁護士会内のおおまかな基準を教えてくれた上で、今回はその規定を取り払い、印紙代などの訴訟費用とコピー代などの実費補填だけで構わないと語った。
米田は「震災でお家をなくされ、仮設住宅で暮らしてらっしゃる方もいるでしょう。もらえませんよ」と続けた。今回は、ほかに10組の遺族が加わる集団訴訟になる。七海らの自宅は流失しなかったが、中には家がきれいさっぱり流され、布基礎だけになった方もいる。さらに勤め先が被災で倒産し、職を失った方もいた。着手金に何十万円も払えないという事情はよく分かる。
ただ、では判決まで2年もの間、米田はどうやって糧を得るのか。遺族ごとに犠牲者の年齢や境遇、障害の程度が異なるため、今日のように1組ずつ呼び出され、訴状を起案するための聞き取りが行われていた。これ一つとっても、膨大な時間を取られるだろうに――。今度は七海が疑問をぶつけると、米田は本音を打ち明けてくれた。
「息子が一人、いたんです」
その長男が津波の犠牲になった。大学卒業を間近に控え、気の合う仲間たちと岩手の陸前高田市へと卒業旅行に出かけていた。七海らの場合と違って誰が悪い訳でもないが、同じような年頃の子どもを亡くした気持ちは痛いほど分かる。身を切られるようだというのはこのことかと、仕事に没頭することで忘れようとしてきた。東北新聞で七海らの話を知り、依頼があったら自分が引き受けると弁護士会に話を通していた。米田の表情は淡々としたものだったが、その口調は熱を帯びた。
「大学は法科でしてね。在学中は受かりませんでしたが、次こそ司法試験に合格して私の跡を継ぐんだと言ってくれた矢先でした。旅先でバスごと海に呑まれました。皆さんのケースを知った時、体に電流が走りましたよ。これは私の仕事だ、って」
もう、何日も自宅に帰っていないという。七海は、米田の見た目をさげすんだ自分を恥じた。
この人は、同志だ――。
(続)
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