第35話 祖父母のお清め~氏家悠吾の奉職
一週間ぶりに足を運んだ町営ホールは以前より整然としていた。震災発生直後は次から次へと遺体が運び込まれていたが、見つかる遺体の数が減ってきたことに加え、搬入と安置に当たる警察、消防、自衛隊が業務に習熟してきたのだろう。膨大な遺体を扱ったことで得られたスキル。氏家は何とも寒々しいものを感じた。
惣一とカツは二人一緒に並べられていた。半世紀も連れ添い、大波にさらわれても離れなかった祖父母だ。担当者の配慮がありがたかった。
あらためて明かりの下で二人を見ると、ずいぶんと汚れていることが分かった。衣服こそ身に着けているものの、ところどころ破れている。何より、地肌がさらされている顔や首、手が泥だらけで、髪の毛の間にまで詰まった泥で毛が固まってしまっていた。80年近く必死で生き、つましい生活ながらも子を育て、孫の面倒まで見てきた実直な夫婦の最期がこれでいいのかーー。氏家は、死者の尊厳まで踏みにじる災害の在りように悔しさが募り、拳を握りしめた。
墓どころか自宅まで流失し、避難生活を続けている身ではできることがないということで、惣一とカツの遺体をひとまず安置所にお願いし、氏家たちはいったん引き上げた。父と母は父方の兄弟ーー父には弟が二人いるーーがいるS市内に向かい、今後について話し合ったようだ。一両日して、伯父二人がやって来た。
父が町営ホールに電話し、今から親族と向かう旨を告げたところ、惣一とカツの遺体は松島湾を挟んだ対岸にあるR町の体育施設に移されたと聞かされた。増え続ける遺体にスペースが追い付かなくなり、県内一の観客収容者数を誇る施設に業務移管したのだという。施設は人気アイドルのライブや国際スポーツの会場に選ばれるほど巨大な場所だった。
氏家は父と伯父二人と共に、R町の施設を訪れた。伯父二人は震災後、惣一とカツに初めて対面する。気を遣って脇で眺めるにとどめようと考えていたが、安置所に着くやいなや驚きのあまり遺体に駆け寄って声を上げた。
「じいちゃんとばあちゃん、きれいんなってら」
S町の町営ホールに置かれていた時とは雲泥の差だ。髪の毛の泥が拭き取られ、顔や手にこびり付いていた泥も見当たらなくなっていた。鼻や耳の穴に詰まっていた物も拭き清められていて、もちろん、すべてとはいかないものの、見違えるほどだった。不思議に思って、そばを通った係員に尋ねると、県警の方針だと教えてくれた。
数万人の観客を動員できるアリーナには、それこそ数えきれないほどの遺体が運び込まれていた。そのすべてが泥にまみれていたのかどうかは分からなかったが、おそらく状況は似たようなものだろう。何千体という数の遺体に寄り添い、一体一体に清拭を施した警察官の行動に、氏家は崇高なものを見た。
泥だらけの惣一とカツを目の当たりにしていただけに、余計に胸が熱くなった。思わず「POLICE」の縫い取りがある防災服の男性に声を掛けると、沼田と名乗った警察官が話をしてくれた。
普段、内陸部の警察署に勤務していること。沿岸部の署に所属する同僚は皆、遺体の捜索や現場の警戒など最前線業務に当たっていること。これほどの大災害で、一人にできることなど高が知れているけれど、安置所の担当になった以上は最善を尽くすべきだと考えたことーー。沼田は「困っている人を助けたくて奉職した。今、全力でやらないと、絶対に後悔するからね」と続けた。特に上司の指示があって清めたのではなく、担当者が現場で考えて対応したという。
浅黒く日焼けした巡査部長が、気を落とさないよう氏家を励まして立ち去ろうとする。氏家はそんな沼田が素直に格好いいと思った。言うは簡単だが、家族でさえ、泥だらけの遺体をどうしていいのか分からなかった。アリーナ全体に安置された他人の遺体に向き合うなど、途方もない作業だ。「公務員さなれ」。ふと、惣一の教えが蘇ってきて、あれは安定した仕事に就けということではなく、人のために働く人間になれという意味だったのかと思い至った。
「沼田さん、どうやったら警察官になれるんですか」。中学を終えたばかりの少年の場違いな質問に、沼田は微笑みながら説明してくれた。
(続)
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