第25話 I市の寺院跡にて~江藤美智子の遍路道


合掌礼拝一礼し、山門をくぐる。四国遍路第36番札所、独鈷山青龍寺。美智子は、うっそうと茂る木々を見やりながら、なるほど、これこそが霊場だと感じ入った。お大師さまが創建なさった名刹だという縁起にも納得する。


祈願を終え、納経帳に墨書をいただいて青龍寺を後にする。近くでは青く光り輝く雄大な太平洋を目の当たりにすることもできた。観光目的のお遍路さんならば感動するところだろうが、同じ太平洋に我が子を奪われた美智子にすれば、どうしてこんなにきれいな海が、と思わざるを得なかった。


ご本尊にも考えさせられた。青龍寺の波切不動明王像は、お大師さまが入唐の際、暴風雨を鎮めるために現れたと伝えられ、航海の安全や豊漁、世間の荒波をも鎮めてくれると信仰されているというのだが、暴風雨を津波と読み替えて「もし、仮に」と思ってしまう自分がいた。


 どうかしている――。美智子は首を振った。


高知県内も残すところ、あと三つとなった。体力になど全く自信のない還暦過ぎのおばあちゃんが、よくぞここまで続いたものだ。そもそも、木工所と家庭、子育てに追われて夢中で生きてきて、宗教や信仰などとは無縁だった。そんな美智子が2県目の遍路を終えようとしているのは、大津波で突然、命を落とした一人息子の存在が多分に影響していた。ふとした折りに孝則を重ね合わせてしまうのは、致し方ないことと言えた。


お遍路の旅に出ることにしたのは、ある寺の住職の影響だった。


あれは孝則の死から半年ほど経った頃だ。孝則の妻香織が実家に帰ると言いだした。夫の政彦と二人、孫の涼太もいるのだからと思いとどまるように諭したが、受け入れてもらえなかった。「涼太がいるからこそ、です」。おそらく原発事故の影響を言うのだろう、頑なな態度はあたかも強固な岩を思わせた。


孝則の勤務先と官舎があるI市の斎場は、大地震の影響で構造に問題が見つかったとやらで、しばらく使えなくなった。近隣では、I市の北隣のN市の斎場が復旧を果たしていたので、そちらで荼毘に付した。香織はその他の諸々の手続きを終えると、わずかに分骨した孝則と、涼太を抱き、実家に戻っていった。


「彼は江藤のお墓に入れてあげてください。私の旧姓のお墓では気まずいでしょうから」


香織がそう言い残したので、政彦と美智子はI市沿岸の寺に向かった。K市にある菩提寺は無住となって久しい。最後の住職と親しかったとかで、檀家に困り事があればI市のその寺が差配してくれていた。夫を手元に置いて供養したいという香織の気持ちは痛いほど分かったが、分骨は故人の魂が引き裂かれて縁起が悪いなどとも聞く。どうしたらいいものか、お伺いを立てたかった。


「49日が過ぎれば分骨しても問題はないですよ。K市の墓に埋葬して構いません」。寺が津波で流失したといい、ジャージ姿で寺の遺構や遺物を探していたご住職が、その際は自身が読経に伺うと言ってくれた。政彦と美智子は跡形もなくなった寺院跡に驚きを隠せなかったものの、ホッと胸をなで下ろした。


表情を察したのか、ご住職がスコップを立てかけ、話を続けた。


「何もないでしょう。地震には耐えたんですがね、津波に全部持っていかれてしまって。建物だけなら良かったんですが、私の子どもまでね…」。だから、お気持ちはよく分かる、突然の死を受け入れられる人間などいない、それが我が子ならば、なおさらだ、と語った。


I市でも1000人近い住民が犠牲になった。そのうち、いわゆる檀家は250人ほど。心の内がどうしても晴れないという方には勧めているのだと言って、ご住職は1枚のパンフレットを差し出した。同じように悩みをぶつけてくる被災者が多いのだろう、ジャージのポケットに入れていたパンフレットは、くしゃくしゃだった。


「四国八十八箇所霊場と遍路道」。表題に、そう書いてあった。我が子の死と、その血を継ぐ孫との別れ。何かにすがりつかなければ倒れてしまいそうだった美智子の心に、ほんの少しだけ明かりが灯るのが分かった。


(続)


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