真夜中の祠 ――白い少年は誘う

灰市

白い少年は誘う

第1話 ざまあみろ 



 私は悪くない。


 夜の街を自転車で走りながら、絵里は心の中でずっとそう繰り返していた。

 自分はイジメの被害者なのに、誰も同情してくれないのが凄く悔しい。

 担任や学校は事なかれ主義で、どんなに被害を訴えても対処してくれない。教師である父親もやはり同じで、絶対に学校を休ませてはくれないし、お前にも悪いところがないか一度考えて反省した方がいいんじゃないかと説教してくる始末だ。

 母親だけは絵里の味方になってくれたが、夫に頭を押さえ込まれていて、てんで役立たず。もう耐えられないのだと訴えたら、イジメに対処してくれない夫と離婚して一緒に田舎に帰ろうかと言い出した。


 違う! そうじゃないでしょ!


 絵里は被害者だ。

 なのにどうして反省したり、逃げ出したりしなくてはならない?

 イジメのきっかけは些細なことだった。

 高校生になったばかりの頃、絵里はクラスのカーストトップのグループにいた。それなのに、ほんのちょっとした諍いがきっかけで、いきなりグループの仲間から無視されるようになったのだ。

 イジメは徐々にエスカレートし、最近では暴力を受けたり、お金を脅し取られたりするようにもなった。徐々に苛めに男子も加わるようになってきて、性的な被害の心配もしなくちゃならなくなっている。


 誰か助けて!


 困り果てた絵里は、藁にも縋る思いで都市伝説に頼ることにした。


『追い詰められて立ちすくむ時、袋小路に閉じ込められた時、未来に希望が見えなくなった時。真夜中の祠においで。心からの祈りを捧げれば、親切な神様がきっと助けてくれるから……』


 最初に聞いた時、絵里はつまらない都市伝説だと笑った。

 あの頃はまだ友達とうまくいっていたし、両親との関係も良好だった。毎日が楽しくてなんの問題もなかったから、神様なんかに頼らずとも誰かが助けてくれるはずだと信じていた。

 でも今は違う。

 友達は敵だし、学校も親も助けてはくれない。神頼みだろうとなんだろうと、頼れるものがあるのならすがりつきたかった。

 絵里はネットの情報をかき集め、都市伝説の真夜中の祠を探した。

 曰く、真夜中の祠は都内にある。一メートルにも満たないビルとビルのすき間に挟まるようにして存在している。鳥居は灰色の石で出来ていて、鳥居から祠までは鳥居と同じ色の石が綺麗に敷かれている。

 いくつか候補を見つけて絞り込み、最終的にここではないかという場所を探り当てることに成功した。


「……たぶん、ここよね」


 ビルとビルのすき間にある小さな灰色の鳥居を見上げて、絵里は自転車から降りた。

 真夜中に家を抜け出すのは大変だったが、それ以上にもうじき夏休みというこの時期、ここまで自転車をこぎ続けることのほうがもっと大変だった。途中で何度か休憩したから、腕時計を見ると二時間近い時間がかかっていた。ここでどれだけの時間を過ごすことになるかわからないが、同じ時間をかけて家に帰った時には朝日を見ることになりそうだ。


「これで間違ってたら許さないんだから」


 誰を許さないのか自分でも定かではないが、絵里は自転車のかごに放り込んでおいたペットボトルの水を飲み、持参したタオルで汗をぬぐった。乱れた息を整えながら、さっそく鳥居をくぐり小さな祠の前に向かう。

 祠は木製で、重々しい瓦屋根が乗せられていた。全体的に古びているが、きちんと手入れされている。


「ここで祈るといいの? お賽銭箱とかないんだけど」

「おねえさん、この祠がどういうところか知っているの?」


 きょろきょろしている絵里に、後ろから声をかける者がいた。

 振り返ると、小学生くらいの男の子が、ちょうど鳥居の下辺りに立っている。


「知ってるわよ。真夜中の祠でしょ? あんた、小学生? こんな夜中になにしてるのよ」

「それはおねえさんも同じだよね。こんな夜中にひとりでここまで来るの怖くなかった?」

「別に……。それどころじゃないもの」

「ふうん。かなり追い詰められてるんだね。本気で真夜中の祠に祈るつもりなんだ」

「そうよ。っていうか、ここ真夜中の祠? 間違いないの?」

「間違いないよ。ここはね、本気で救いを求めている人しか辿り着けない場所なんだ」


 歩み寄ってきた少年がにっこりと笑う。

 仄暗い照明に照らされた白い顔は、少女じみて見えるほどに端整だ。

 そもそも、こんな真夜中に人気のない祠に小学生が現れるなんておかしい話だ。急に絵里は不安になった。


「……あんたなに? 人間?」

「やだな。人間だよ。ちょっと眠れなかったから散歩してるだけ。不思議とこういう夜には、真夜中の祠に詣でる人と出会っちゃうんだ。僕もおねえさんみたいに、神様に呼ばれてるのかもね」

「呼ばれてるって、なんの為に?」

「真夜中の祠がどういうところか、ちゃんと説明する為に……。僕ね、曾お祖父ちゃんから色々聞いてるから、けっこう真夜中の祠には詳しいんだよ」

「……詳しいんなら聞くけど、賽銭箱はどこ?」

「ないよ。ここの神様にはお賽銭は必要ないんだ。神様は退屈だから、人間の悩みにちょっとだけ手を貸してくれてるんだって」

「暇潰しってこと?」

「うん、そう。――親切な神様は真剣な祈りを捧げた人にふたつの道、ふたつの可能性を見せてくれるんだ。そして神様に道を見せてもらった人は、そのんだ」

「どちらも選びたくなかったらどうするの?」

「それは駄目だよ。どっちか絶対に選ばなきゃならないんだ。だって、せっかくの神様の厚意を無にしたら失礼でしょう? 神様に怒られちゃうよ」

「親切な神様だったら怒ったりしないんじゃないの?」

「ここの神様は昔ちょっと暴れすぎて、この祠に祀られたんだって曾お祖父ちゃんが言ってたよ。それで和魂にぎみたまになったけど、元々が荒魂あらみたまだから封じられていても気をつけなくちゃいけないんだって」

「へえ、そうなの」


 和魂とか荒魂とか、絵里にはなんのことかさっぱりわからない。

 だが小学生相手に詳しく教えてと頼むのはなんだか悔しくて、わかっているふりをしてしまった。

 それが間違いだった。

 絵里はここできちんと聞かなくてはいけなかったのだ。

 その為に、この少年はわざわざここに呼ばれてきたのだから……。


「とにかく、この祠に向かって真剣に祈ればいいのね?」

「うん、そうだよ。おねえさんはこの真夜中の祠に辿り着けただけでもう祈りを捧げる資格はあるんだ。後はちゃんと二回お辞儀をして柏手を二回打って真剣に祈るだけでいいよ」

「そう。教えてくれてありがと」


 なんだ。案外簡単なのね。このお金で新しい服でも買おうかな。 


 頼み事をするんだからとお賽銭を沢山用意してきたのだが無駄になってしまった。

 祈りを捧げさえすれば、きっと神様が悩みを解決してくれるのだと、絵里はすでに悩みから解放された気分になっていた。

 そして祠の前に立ち、ぺこぺこと軽く二回お辞儀してから手を二回叩き、ゆっくりと目を閉じた。


 神様、どうかわたしを助けてください。


 ――その願い、聞き届けた。


 どこからか性別不詳の低い声が聞こえてきて、絵里はばっさりと刈り取られるように意識を失った。

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