第四十二話 行い大根

「石田さん」


 呼ばれた方に顔を向ければ、石田さんがおーいと大声を出しながら向かってくるのが見えた。杉に囲まれた相変わらずボロボロのコンクリートの足場の悪い道を、青空の下、えっちらおっちらと登ってくる。

 先週ポーションを渡して帰った石田さんだ。結構離れているはずなんだが、まさかここまで来るとは…。

 キーファに合図を出して、急いで石田さんを迎えに行く。


「どうしたんです、石田さん。こんなところまで」

「おう、済まないね。実ちゃん」


 畑に着く直前の坂道まで石田さんを迎えに行けば、石田さんはなかなか凄まじい有様だった。

 両手に野菜の入った巨大な袋を下げ、わざわざ坂を登ってきたらしい。東南アジアの買い物風景のような有様だ。ぜーはーと息をついている。


「どうしたんです? 車は?」


 普通、群馬の移動は車で行くものだがわざわざここまで歩いて登ってきたらしい。

 石田さんは土の上に荷物をゆっくりと置いて、大きく息をつく。もう年なんだから見ていて気が気じゃない。


「いや、ごめんよ。ふう…。いや、昔はこのくらい、なんてことなかったんだけど…」

「いや、そういうわけにもいかないでしょう」


 車からペットボトルのお茶を取り出して渡せば、石田さんは喉を鳴らしてそれを飲んだ。


「…はあ。ありがとう。久しぶりに、はあ、自転車で来たんだ。昔は、このへんまで、自転車でよく来たんだけどなぁ…」

「いつも車だったでしょう。なんだって今頃…」

「いや、はあ、車が今日は使えなくてさ。それで久しぶりに、はあ、来てみたのさ。ここに来れば、今日は実ちゃんいるでしょ?」


 それでいなかったらどうしたんだろうか?

 なんだか妙にウキウキした感じがする石田さんは、機嫌良さそうに持ってきた袋を手で示す。


「これ、うちで取れた野菜だよ。もらってくれ」

「あー、それは、どうも、ありがとうございます…?」


 唐突な展開に理解が追いつかない。いや、石田さんから野菜をもらうのはたまにあるからそれはいいんだが、それにしても量が多い。

 まだ早いがピーマンやら、キャベツやら、じゃがいもやらがごっそり袋の中に詰め込まれている。これは確実におすそ分けコースだ。もらいすぎても困るのだ。

 ひとまず石田さんを休憩用の石に座らせる。野菜は、まあ、あとだ。

  

「あんなにもってきたら重かったでしょう? どうしたんです?」

「いやぁ、今日を逃すと、実ちゃん捕まらないでしょう? そう思ったらね」


 そう言って、石田さんは笑う。

 まあ、朗らかなのはいいことだ。石田さんの顔には、この間会ったときのような憂いがない。

 ここ数年、奥さんの調子が悪くなってからは、見せたこともないような顔だ。

 オレが訝しげに見ていると、石田さんは気づいたように言う。


「ああ、ごめんごめん。そう、それで話があったんだよ」

「話ですか? なにか…」


 あったんですか、と言おうとして、思わず言葉に詰まってしまった。あったどころか、やらかしてる。

 思わず血の気が引いたが、麦わらをかぶっていたせいか、おかげか、石田さんはそれに気づかない。


「いや、実ちゃんにもらったポーション? だっけか。あれ飲んでから、かみさんの調子がいいんだよ」

「あー、そう、です。か…? きいたんですね…」

「うん。一応、かみさんの病気がわかったときに調べてみたんだがね。まさか本当に効くとは思わなかったよ」


 石田さんはそう言って苦笑する。その話は聞いている。

 病人周りでは、ポーションは一つの特効薬と言われているのだ。もちろん、ポーションの区分なんてされていないので、効くかどうかはわからない。だが、それでも死にかけたならば、それを手にとってしまうのが人情だろう。

 だが、あまり当てにならないものだとも言われている。

 オレも実際にドロップしたものを区別できるわけではないのでなんとも言えないが、ポーションの区分は少なくとも人に知られている知識じゃない。実際に飲んでみて治るかどうか、一か八か。そして一本あたり、数十万の世界だ。

 なんでも自分で取りにいけないような人のところまで降りてくる頃には、末端価格(なんだか変なクスリみたいだが、実際成分がわからないので否定もできない)でそのくらいの値段の世界になるらしい。実際、死にかけの人間が、あんなダンジョンにいいけるわけがない。そこらへんが、この値段に反映されているのだとか。

 石田さんの奥さんがどう思っていたか知らないが、農業だけの年金暮らしの年寄が、気軽に試せる世界ではない。それに、なんだかんだまだそんなものが出回りだして数年なのだ。年寄りの中には懐疑的な人も多い。だからこそ、この間の石田さんの奥さんの状態だったのだ。が。


「かみさんも病院に行ってね。見てもらったら、急に随分良くなったらしい。もうあと、何ヶ月かって言ってたんだけど」

「そう、ですか…」


 それは、純粋に良いことだと思う。一体どういう原理でそうなるのかは知らないが、実際オレが石田さんに渡したポーションはちゃんと効くやつだ。キーファにも確認したが、一回飲めば、数ヶ月かけてしっかり体調を整えてくれるらしい。治ったのならそれは良かったと思う。副作用も特になく、まったくもって『夢のクスリ』そのものだ。

 なの、だが。


「いや、あれ、貰い物だったんだろ? お礼がしたくてさ、一体誰からもらったんだい?」


 田舎特有の遠慮のなさで、石田さんは爆弾を落としてくれた。

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